函館要塞(津軽要塞)汐首岬第一、第二砲台(失敗)
大正8年の要塞整理案により津軽要塞が新規に設置される。昭和に入り竜飛崎砲台及び汐首岬砲台及び大間崎砲台を完成させて、1927年(昭和2年)には旧函館要塞を吸収する。ワシントン海軍軍縮条約で解体された戦艦伊吹の主砲も転用され、津軽海峡の封鎖が可能となった。また新設砲台への軍事物資や兵員輸送目的で戸井線(五稜郭駅-湯の川駅-戸井駅)、大間線(下北駅-奥戸駅、大畑線はその一部)の建設が急がれた。(wikipediaより)
汐首崎第1砲台には7年式30cm長榴弾砲計8門が配備される予定だったが、配備は4門だったらしい。
刻々と変わる国際情勢により計画も再検討され、「汐首崎第2砲台」が昭和13年に起工し、途中で備砲を45式15cmカノン砲(改造固定式)2門から 96式15cmカノン砲4門に変更し、15年6月に竣工した。
逆に同年7月、汐首崎第1砲台の30センチ榴弾砲は撤去されてしまった。
汐首岬第一砲台は、上部に2座、下部に2座と別れていたようだ、しかも上部は南向き、下部は西向きと方向も違う

手前のこの橋から砲台のある山に入る

川沿いの小道を歩き、道を外れて行く

砲台の基準石柱がある

眼下に汐首岬砲台の砲座が見える

しかし、下部のこの砲座は現在個人の畑となり、立ち入り禁止となっている

住民の迷惑になるので、ここは諦めよう。上に砲座はまだ二つある

廃校のグランドフェンス沿いに奥に進むと

コンクリートの壁が見えて来る、砲座の外縁部だ

埋まっているのか、1mちょっとなので乗り越える

砲座の内側に降りると、迷彩の残る壁があった

上部右翼砲座、迷彩部分は砲座間の砲側弾薬庫となる

上部右翼砲座の右側内縁

砲座間にある砲側弾薬庫の迷彩は鮮やかだ

一部庇や壁面に、破壊を試みた跡がある

一時期物置化していたらしいが、現在は動物侵入除けの金網で市が封鎖している

下部には防湿用コールタールを塗った跡が見える

元々は、頑丈な鉄扉が付いていたようだ

正面部にも出入口がある、出入口はこの2ヶ所、左右の各砲座用なのだろう

こちらも金網封鎖

落書きも少なく、状態は良さそうだ

少し離れて全体を見る

左翼の砲座

左翼砲座の左側内縁

離れて左翼砲座を見る

壁面の上部が波の様な凸凹になっているのがこの砲台の特徴だ

砲側弾薬庫の上に上がってみるが、通風塔などは見当たらなかった

迷彩塗装は砲座内側だけで、外壁部はむき出しコンクリートなのも謎だ

内壁部にあるボルトの飛び出た部分、階段でも取り付けてあったのだろうか?

このボルトはかなり太い

砲座の反対側、右方向に行って見る

石垣を組んだ1m程の溝がある

コンクリートでトンネルにした川がある。砲台整備で軍が造った物だろう

上部砲座と下部砲座の間にある小山

コンクリート構造物が埋まっている

ここには指令所らしき部屋のある地下施設があったが、極近年市に寄って入り口がコンクリート封鎖された

反対側に回ると、施設の一部が見える

境界柵のコンクリート柱

一旦道路に出る、下部砲座は民地になるのだ

奥に見えるのが下部砲座の砲側弾薬庫、この両側に砲座があったが、左側は潰してしまった

地権者に許可を得て、見学には成功したが、下部砲座の写真の公開はNG。以前より無作法に敷地に入り込む人が多く、観光バスまでが無許可でやって来たそうだ。自分の趣旨は認めてもらえたが、基本的には一切の立ち入りを断っているそうだ。
個人観賞用にと数枚の写真を撮らせて頂いたが、約束なので掲載しない。
砲座を案内して頂きながら幾つかの情報も頂いた、道路沿いには砲台の門があり、衛所があった
川の上流に少し上がると、兵舎の基礎が残存している等教えて頂いた。
ついでに第二砲台について聞いてみたが、あそこは無理だ、破壊されて判らなくなっているとの事

上流に車で向かうと、途中からアスファルトが無くなる

目印の滝が現れた、このすぐ先にある

何やら石柱があったが、戦跡では無さそうな気がする

車を停めた。この道の両側に基礎が確認できた







大きめの建物の基礎が、少なくとも川側に2つ

屋根瓦の破片が付近に散乱している

うっすらと残る踏み分け道を下ると

大きな骨が転がった河原に出る

河原には平坦地があり、炊事場になっていたのだろう

よく見ると、きちんと水路の跡もある

道路の山側にも削られているが基礎の跡がうっすら残る所が二ヶ所ある

帰り際に見た二本の中央の大木の辺りに、砲台の門と衛所があったそうだ

戸井支所から第二砲台を探しに山に向かう

実は第二砲台はグーグルマップに載っている

函館市立日新中学校跡から右に登る

幼稚園跡に続く道を進む

あとは施設に入らないように山を迂回して進む

道などなく、ただグーグルマップを見ながらポイントに向かう

ポイントに到着すると、ハイキングコースがあったのか、日新中学校への道標と

役場への道標が転がっていた

ポイント地点から付近を歩いて見るが見当たらない

一部塹壕っぽい部分はあったが判然としない

他に手がかりが無いので諦める

幼稚園まで戻って来た

市街地に戻って観光だ
汐首崎第1砲台には7年式30cm長榴弾砲計8門が配備される予定だったが、配備は4門だったらしい。
刻々と変わる国際情勢により計画も再検討され、「汐首崎第2砲台」が昭和13年に起工し、途中で備砲を45式15cmカノン砲(改造固定式)2門から 96式15cmカノン砲4門に変更し、15年6月に竣工した。
逆に同年7月、汐首崎第1砲台の30センチ榴弾砲は撤去されてしまった。
汐首岬第一砲台は、上部に2座、下部に2座と別れていたようだ、しかも上部は南向き、下部は西向きと方向も違う

手前のこの橋から砲台のある山に入る

川沿いの小道を歩き、道を外れて行く

砲台の基準石柱がある

眼下に汐首岬砲台の砲座が見える

しかし、下部のこの砲座は現在個人の畑となり、立ち入り禁止となっている

住民の迷惑になるので、ここは諦めよう。上に砲座はまだ二つある

廃校のグランドフェンス沿いに奥に進むと

コンクリートの壁が見えて来る、砲座の外縁部だ

埋まっているのか、1mちょっとなので乗り越える

砲座の内側に降りると、迷彩の残る壁があった

上部右翼砲座、迷彩部分は砲座間の砲側弾薬庫となる

上部右翼砲座の右側内縁

砲座間にある砲側弾薬庫の迷彩は鮮やかだ

一部庇や壁面に、破壊を試みた跡がある

一時期物置化していたらしいが、現在は動物侵入除けの金網で市が封鎖している

下部には防湿用コールタールを塗った跡が見える

元々は、頑丈な鉄扉が付いていたようだ

正面部にも出入口がある、出入口はこの2ヶ所、左右の各砲座用なのだろう

こちらも金網封鎖

落書きも少なく、状態は良さそうだ

少し離れて全体を見る

左翼の砲座

左翼砲座の左側内縁

離れて左翼砲座を見る

壁面の上部が波の様な凸凹になっているのがこの砲台の特徴だ

砲側弾薬庫の上に上がってみるが、通風塔などは見当たらなかった

迷彩塗装は砲座内側だけで、外壁部はむき出しコンクリートなのも謎だ

内壁部にあるボルトの飛び出た部分、階段でも取り付けてあったのだろうか?

このボルトはかなり太い

砲座の反対側、右方向に行って見る

石垣を組んだ1m程の溝がある

コンクリートでトンネルにした川がある。砲台整備で軍が造った物だろう

上部砲座と下部砲座の間にある小山

コンクリート構造物が埋まっている

ここには指令所らしき部屋のある地下施設があったが、極近年市に寄って入り口がコンクリート封鎖された

反対側に回ると、施設の一部が見える

境界柵のコンクリート柱

一旦道路に出る、下部砲座は民地になるのだ

奥に見えるのが下部砲座の砲側弾薬庫、この両側に砲座があったが、左側は潰してしまった

地権者に許可を得て、見学には成功したが、下部砲座の写真の公開はNG。以前より無作法に敷地に入り込む人が多く、観光バスまでが無許可でやって来たそうだ。自分の趣旨は認めてもらえたが、基本的には一切の立ち入りを断っているそうだ。
個人観賞用にと数枚の写真を撮らせて頂いたが、約束なので掲載しない。
砲座を案内して頂きながら幾つかの情報も頂いた、道路沿いには砲台の門があり、衛所があった
川の上流に少し上がると、兵舎の基礎が残存している等教えて頂いた。
ついでに第二砲台について聞いてみたが、あそこは無理だ、破壊されて判らなくなっているとの事

上流に車で向かうと、途中からアスファルトが無くなる

目印の滝が現れた、このすぐ先にある

何やら石柱があったが、戦跡では無さそうな気がする

車を停めた。この道の両側に基礎が確認できた







大きめの建物の基礎が、少なくとも川側に2つ

屋根瓦の破片が付近に散乱している

うっすらと残る踏み分け道を下ると

大きな骨が転がった河原に出る

河原には平坦地があり、炊事場になっていたのだろう

よく見ると、きちんと水路の跡もある

道路の山側にも削られているが基礎の跡がうっすら残る所が二ヶ所ある

帰り際に見た二本の中央の大木の辺りに、砲台の門と衛所があったそうだ

戸井支所から第二砲台を探しに山に向かう

実は第二砲台はグーグルマップに載っている

函館市立日新中学校跡から右に登る

幼稚園跡に続く道を進む

あとは施設に入らないように山を迂回して進む

道などなく、ただグーグルマップを見ながらポイントに向かう

ポイントに到着すると、ハイキングコースがあったのか、日新中学校への道標と

役場への道標が転がっていた

ポイント地点から付近を歩いて見るが見当たらない

一部塹壕っぽい部分はあったが判然としない

他に手がかりが無いので諦める

幼稚園まで戻って来た

市街地に戻って観光だ
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