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下関要塞 笹尾山砲台 その2

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第五號掩蔽部
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脇からこの上に登る
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この先に観測所があるはずだ
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下には正規の軍道が見える
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斜面から排水溝らしき物が飛び出している
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石垣があったので辿って行く
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コンクリート構造物が見えた!
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観測所背面の指揮所だ
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事前情報で知ってはいたが、観測所が浮いている
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左のコンクリートが指令所で、その上に半分乗っかる形で円形の観測所があるのだが、何故か地面が風化して流れ出している
上の茶色いブツブツが観測所の底に当たるコンクリート
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コンクリートを残し、砂がどんどん流失している
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30cm程浮いたキノコ状態が、何とも奇妙だ
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本来はこの分厚いコンクリートも埋まっているはずだ
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この虫の穴みたいなのが原因だろうか?
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雨が降るたびに少しずつ削れているんだろうな
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上に回り込む
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観測所はすごい状態だ
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分厚いコンクリートが破壊されている
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測遠機台が三本のタイプのようだ
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側面に辛うじてポケットが見える
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司令所に潜る
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内部は結構狭かった、天井に上の観測所との伝声菅が見える


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石垣に沿って下って行く
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途中、道は消えるが、下の軍道に降りるスロープに繋がる
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これを下って行くと、もう一つのルート、青葉台公園からの道になる
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少し下ると路肩に煉瓦遺構が見つかる
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砲台入り口に多い、便所の遺構だ
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小用のトイレで左右に入り口がある
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下部にスリットがあり、そのまま外に排水されるシステムか?
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下だけ妙に壊れているのも不思議だ
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下側の入り口
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どんな感じで用を足していたんだろうな
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斜面に石柱の様な物が落ちていたが、特に何も書いて無さそうだ
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近くにもう一つ煉瓦遺構がある
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状態が悪く判別できないが、こっちが大か?または衛所の様な物か?
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唐突にここで石垣がぶった切れる、砲台施設はここまでなのだろう
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この辺にも煉瓦が転がっていたが、便所の一部が転がって来たのかも知れない
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地下式半円貯水槽に降りて来た
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良く見るとこの辺にもコンクリートの何かがある
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最早判別出来る状態では無い
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下の街を見やる
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ちょうど往復1時間の行程だった
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表示板の位置が車を停めた位置で、上の緑の部分が砲台入り口である

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下関要塞 笹尾山砲台 その1

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笹尾山砲台は、北九州都市高速4号線を挟んで、青葉台公園側から登るコースと北九州市上下水道局笹尾排水池側から登るコースが存在する。遺構は後者の方が多いので、光町二丁目の住宅地に向かう。配水池側にはフェンスがあるらしいので、住宅側からのアプローチにした。
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この住宅地のヘアピンにあるフェンスの先は、地図上道になっているが通れないだろう
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このヘアピンから上は管理道路になるので、フェンス前に車を置いて、歩いて登る
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道路をとぐろ巻きに歩いてもいいが、ショートカットの階段が有るので登る
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再び道路に出て登ると最終ヘアピンで道路が消える
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このヘアピンまでとぼけて車で来れたのでは?とか思いつつ荒れた道を登る
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荒廃したジムニー道を登り始めると
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すぐに左側に近代設備だろう貯水槽があるパイプのエルボから見て戦後だろう
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そこから1分も歩くと、右側にコンクリートの塊が見える
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これが砲台施設としては珍しい形の、目玉と言える物
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脇に回って斜面を登ると、地下への階段が有る
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階段は土に埋まり、滑るので注意が必要だ
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ここにしか無いのではないだろうか、地下式半円貯水槽
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前部は直接水をすくい上げる為か、切り欠いてある
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入り口横には左右に1m程の物置のような空間がある
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水は未だに満ちているが、飲みたくは無い
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天井が弾薬庫の様に丸いのも特徴だろう
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落ちない内に脱出する
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右側には耕作放棄された畑があり、近年まで人や軽トラの往来があったようだが、今はぬかるんだ道になっている
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この木の辺りに、少し開けた所があるので藪に突入する
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突破すると砲台の掩蔽部が現れる
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第四號掩蔽部
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あまり奥行きは無く、換気口は横広型である
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畑を使っていた住民だろうか、ゴミ捨て場と化している
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煉瓦にモルタルを塗った構造
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僅かな小山に、無理やり掩蔽部を掘ったような土盛りの無さ
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隣の掩蔽部が見えているが、とりあえず上に上がる
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緩斜面を登る
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平たい土地ではあるが、砲座等は見当たらなかった
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掩蔽部の通風口だけがあった
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雨除けの傘が付いていただろう金具
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動物除けのフェンスがある
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砲座を探しに周囲を探す
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僅かに何か構造物があった程度の物しか見つからない
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藪は濃くは無いが見通しが効かないので諦める
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もう一つの掩蔽部、何故か横の煉瓦が崩れている
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位置的には四号のL字方向にある
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第五號、他には見つかっていない(高速工事や宅地化で失われたか?)
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五號はモルタルが割と剥がれている、湿気のせいか?
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こちらの内部は見事に綺麗だ
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全ての遺構がこんな状態で保存されたらいいものだ

下関要塞 矢筈堡塁砲台(矢筈山キャンプ場)その2

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最初の砲座から、今度は塁道にそって進む
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クランクを曲がると有名物件が現れる、「オリンピックの身代金」と言う映画のロケに使われた第五火薬庫だ
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元々は斜面に設けられた入り口に、木とFRPで造った建屋とドアのロケセットを継ぎ足したものだが、便利なので流用しているそうだ、見た目は重厚だが叩くとベコベコなのが判る
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隣の角地には用途不明の平場がある
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平場から左上に行くと2つ目の砲座がある
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これはオリジナルの砲床のコンクリートだと思われる
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火薬庫を後ろに見ながら塁道を登って行く
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細い塁道の右側に、近代ブロックの一角が
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腰上ぐらいのブロックが石垣の前に並んでいる
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中を覗くと階段が有り、砲座間の弾薬庫が下にある
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当初は無かったそうだが、キャンプ場としては危険という事で、ブロック封鎖したそうだ
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容易に原状復帰出来る程度に封鎖してくれて、ありがたい事だ
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そのまま塁道を進むと、3つ目の砲座に到着する
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スロープを上がって行く
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胸稍の形は統一のようだ
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右側にはスロープがあるが、特に何もない
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砲床には扇形の溝(駐鋤〈ちゅうじょ〉)の跡が見て取れる
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この砲座は調査が行われたのだろう、他の砲座より判りやすい
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また、砲座の横の角地には、平坦地がある
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階段もあり、砲座上に行き来出来る
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砲座の隣には必ず平坦地がある感じだ
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基礎の様な物もあったが、近代ブロックの土台なので、キャンプ場関連だろう
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向かい側には先ほどと同じく、地下弾薬庫がある
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状態は同じである
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弾薬庫上部の通気口
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その先には4つ目の砲座があるが、ベンチなどが置かれ、状態は良くない
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形状は同じである
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砲座から振り向くと橋がある、橋の下は前回見た6つ並んだ掩蔽部
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この階段や橋は当然キャンプ場の後付けだ
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登らず下ると、キャンプ場の炊水所だ
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階段を登ると何も無い、この下は4連の掩蔽部だ
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橋に行く
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橋からはこんな景色が見える、この為に橋を架けたのだろう
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橋を渡ると、管理事務所に降りる階段と
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尾根道に分かれる
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尾根道の下は隧道式弾薬庫で、通気口の傘が残っている。オリジナルと思いたい!
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隧道式弾薬庫はトンネル左右に一つずつある、傘も二つ
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尾根をそのまま抜ける
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広い広場に出る(てっぺん広場)
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掲揚台が三つある、古くはあるがキャンプ場創設期の物だろう
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下に降りる塁道
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誰かが無断で建てたらしいお宮、申し出てくれと張り紙があった
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このまま降りると、キャンプ場の入り口門に出てしまう
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別のルートに進む
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広場があるが、石垣が近代コンクリートなので、キャンプ施設の大空サイトだろう
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広場奥には物置が一つ
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炊事場に降りて行く
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左を見ると隧道式弾薬庫がある
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炊事場に居た職員さんに聞いたら、これは砲座だと言っていた。こんな道の上に砲座がある訳は無く、恐らくは荷役用クレーンの台座であると思われる。
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奥はステージになっていて行き止まり
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いよいよ隧道式弾薬庫だ
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左の部屋
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扉は外れて立てかけてある
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右の部屋パレットが山積みになっている
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管理棟に行き、再度お願いしてロケセットを開けてもらう
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結構急な階段で、これは弾薬庫では無いのでは?
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内部にはロケの時の写真が貼ってある
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入り口のロケセット
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内部の入り口は二重構造
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この辺の構造は弾薬庫なのだが
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待たせているので、早々に脱出する
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お礼を言い、矢筈堡塁を後にする
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下りは10分ほどで戻って来た
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帰り道はまた穿れた狭い道を下って行く、所により10cm近く路面がエグレテいるので、いい車で来ない方がいい

下関要塞 矢筈堡塁砲台(矢筈山キャンプ場)その1

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対向車が来たら、ちょっと困る道をここまで登って来る
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ここから先の道路は、関係者以外進入禁止なので、この辺に駐車して行く
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門は閉まっているが、ハイカーは横から通って良い。キャンプ場管理者が日中はいるので、邪魔にならない所に停めよう
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900m程度の車の通れる道なので、気楽に登れる
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土留めの石垣が点在し、軍道の感じが端々にある
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途中の斜面に、一本だけ標柱を見付けた
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陸軍とだけ書かれた歪な標柱(行き帰りに見たが、これ以外は見つからなかった)
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6番まで来たら行き過ぎ、前との中間ぐらいにある
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あちこち見ながらも20分も掛からずに到着する、車道を歩くだけだから楽だ
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入り口脇に転がる煉瓦、門柱だったのだろうか?
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堡塁時代の排水路から、無粋な塩ビパイプが伸びている
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門の裏側に石柱が建てられている
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左側には水場がある
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ゆるくカーブを切りながら進む
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土台の構造からして、コンクリート部分は後世の物だろう、構造と水道が繋がっている事からキャンプ場の子供プールか?
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谷側の方にも土塁に囲まれた広い空間がある、当時から駐車場だった可能性もある。これより先は車を停めるのが困難な地形だからだ。
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路肩には当時の排水施設が残っている
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石垣は一部崩れたのか、補修の跡がある
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キャンプ場管理等の前に当時の階段が有る
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とりあえず土塁の上に登って見る
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土塁の上はキャンプ場の展望施設になっている様だ
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眺めは良い
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ベンチなどもあったが下には行かなかったが、蓋をされた地下施設入り口があった模様
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展望台を通過すると最初の砲座が現れる
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右側の砲座、石垣に煉瓦とは珍しい砲座だ
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左側は大分破損している、砲床は確認できない
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下に降りて来た
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このキャンプ場全体が矢筈堡塁となる
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管理棟、日中はキャンプが無くても常駐しているようだ
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素敵な隧道式弾薬庫があるが、後にする
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まずは目立つ掩蔽部を見に行く、閉まっていたのでお願いして中を見せて貰った
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右のさっきの砲座に上がる階段は、急な為に閉鎖されている
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右に4連、左に2連並んでいる
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右から見て行く、一番手前の掩蔽部
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左側から先に見る
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達磨ストーブが置かれ、教室風になっている
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隣もホワイトボードが置かれ、レクチャールームにでもなっているのだろう
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左側の掩蔽部は2連だけ
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右側の掩蔽部に戻る
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右奥の掩蔽部、何も無くわかりやすい。天井が板を貼ってコンクリートを塗ったのが良くわかる
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掩蔽部は奥で4連とも繋がっている
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資材庫となっているので、この辺でお暇する
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先ほどの砲座に戻り、外周から見て行く
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掩蔽部の上に来た
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掩蔽部の通気口は元の物は半分に別れて放置、近代物に変えられていた
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掩蔽部の上にある広場
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何か突起物が見える
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三角点か何かかと思ったが、埋められた掩蔽部の通気口だ
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これは砲台当時にあった石碑を破壊された跡だろうか?

北九州市 軍艦防波堤 「柳(初代)」「冬月」「涼月」

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福岡空港8:30着、9:00レンタカー発車、相島渡船場(新宮漁港)発9:20分に、無理やり間に合わせる
実はチケットすら買わずに飛び乗り、船内で精算している。(次発は11:30で待ってはいられない)
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探索を始める前に、行っておきたかった島が「相島」と言う猫島
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島で最初に見た島猫
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国内有数の猫島で、猫の方から寄って来てくれるほど人慣れしている
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基本的に猫にはエサやりは禁止であるが、餌場があり、そこならあげる事も出来る
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もっともエサで釣らなくても触り放題
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野良もいれば、家猫もそこら中歩いている
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人懐こく、膝に乗せる事も可能だが、無理はしないように
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すり寄ってくれるにゃんこはたまらん!
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港付近に猫は集中している
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港には餌がある
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島猫はたくましい
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釣り人も承知で怒らない
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おいでニャ
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住宅地にもにゃんこは多いが、港よりは逃げやすい
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逃げようとするにゃんこは追いかけないで、ズームで撮るだけ
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洋種も結構混じっている
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おなかを見せて、触らせてくれるにゃんこもいる
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にゃんこはあったかい
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そろそろ船の出る時間だ、無理やり入れた渡航なので居られる時間はわずかだ
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短い時間だったが、大満足で探索に向かえる
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密航者発見!
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便数や駐車場が限られるので、事前に調整しよう。特に帰りは乗り遅れると島に泊まる事になってしまう。
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小雨降る中、北九州市の響灘に向かう
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北九州市若松区響町1丁目、若松港 軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)に到着
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埋め立て地なので少々判り難いが、車でここまで入って来れる
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消磁所と思われる
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一番大事な写真が何故かボケている
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軍艦防波堤は意外とあるのだが、3隻も纏まっているのは珍しい
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かなり褪せているが、駆逐艦の説明板がある
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涼月
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冬月
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柳の艦首
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艦体は上甲板が僅かに覗く程度で、艦内は全てコンクリートで埋められている
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側面装甲の薄さ、機銃弾でも貫通しそうだ
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錆びや腐食で減っているだろうが、1cm程度しか無さそうだ
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艦尾は下り加減になっている、艦体が傾いているのか、元からの構造かは不明
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コンクリートの下に没してしまっている
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驚くのは小型の駆逐艦とは言え、この細さで太平洋で戦闘を行っている事だ、2mちょっとしか無い
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なお、冬月と涼月はこの辺に埋まっているらしい


追記 
良くお調べになっているサイト様がありました、参考にご覧ください
https://ameblo.jp/vesselturedure/entry-12672540936.html(海軍艦艇つれづれ様)

高野山慰霊碑巡り

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雪の高野山にやって来た、極楽橋駅から既に雪国だ!実は途中の新幹線も雪の為に徐行運転で1時間45分も遅れた
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高野山駅までは駅舎から直通の高野山ケーブルで5分登り、そこから更に南海りんかんバスに乗り換える
このケーブルやバスは、駅に着くなり数分で発車するタイムスケジュールになっていて、寄り道不可能だ
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目的地は高野山奥之院なのだが、途中駅千手院橋(東)で下車し、宿坊街を歩いて行く
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途中にも見たいものがあるのと、せっかくだから雪道を歩きたかった
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摩尼宝塔(まにほうとう)残念ながら閉まっていたが、内部には写真等の展示品もある
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ビルマ戦没者供養塔
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まぁこんな時期に来る人も、いないのだろう
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一の橋方向、参道に向かう
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高野山には終戦間際の1年だけ、飛行場も無い高野山海軍航空隊があった
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実際にここで訓練した航空隊員が、特攻隊として出撃している
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この宿坊街に、分散して寝泊りしていたそうだ
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ここから奥之院を目指す
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橋は何故か通行止めになっている
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仕方ないので、橋以外の所から参道に入る
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六地蔵尊灯籠塔
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もしかしたら橋が通行止めなんじゃ無く、参道が通行止めだったのか?
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足の埋まる深雪を歩くのは、意外に大変だ
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ちょっと後悔しながら歩を進める
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高野山奥之院参道入り口に到着
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結構な観光地だという印象で来たのだが、人が居ない?
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参道入り口付近は、各大手企業の慰霊碑、供養塔が立ち並ぶ
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これはちょっと不謹慎だが笑った
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中盤以降は地元の名士なのか、個人墓が目立つ
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英霊殿、昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた
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満州第七七五部隊慰霊碑
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尼崎市の慰霊碑群
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慰霊碑と慰霊塔の違いは何だ?
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お化粧地蔵
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信長の墓を見付けた
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意外とひっそりとした公募
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この橋から先は撮影禁止となる
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無縁塚
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海軍通信学校第五二期生慰霊碑
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アンボン島海軍特別陸戦隊戦士之碑
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日本軍は1942年1月31日、アンボン島を総攻撃した、第38師団歩兵第228連隊を基幹とする東方支隊の陸軍5300名と海軍呉第1特別陸戦隊(呉一特)750名での攻撃で、東方支隊=戦死55名、戦傷135名、呉一特 =戦死40名、重傷50名の損害を出し、占領している。
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和歌山県特別攻撃隊供養塔
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黒龍江省富錦第七七五部隊慰霊碑
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大阪市東成区中本校下戦殉英霊供養碑
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東部ニューギニア派遣戦没者慰霊塔
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戦艦陸奥殉職者英霊供養塔(事故による沈没の為戦没にはならない)
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これは帰り道の宿坊街で見かけたもの
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街中にもいろいろあるようだ

鴨居漁港倉庫壕及び港湾監視所

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観音崎砲台を回り終え、多々良浜のトーチカを見ながら鴨居方面に移動
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村雨の碑、本当の慰霊碑は住宅の奥にある
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ここに地下壕がある事は知っていたが、ネットで覆われている
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コンクリートで覆われた壕口
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幾つかの単独壕を見て行くと
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奥が埋め戻されている壕があった
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人一人がやっとの隙間がある
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全員なんの躊躇も無く潜り込んで行く
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匍匐はあまりやりたくないのだが、仕方が無い
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横方向の主坑道に繋がった、これは左側の行き止まり方向
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左方向には六浦より狭い隙間が長く続いている
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ベルトコンベアーで上から残土を埋め戻して行ったのだろう
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30mほどで最早通行不能になった
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壕内で昆虫を探す人達
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さて戻ろう
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唯一の遺物だが、陶器製のヒューズボックスとは言え、埋め戻しの時のだろう
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壁面には杭が打ち込まれている所がある
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どんな昆虫が見つかったのかな?
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場所を変える、小さいが壕があるらしい
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斜面を登って行くと
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確かに壕がある
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多少ガレているが、十分立って歩ける
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右の斜面側は土嚢で開口部を塞いでいる恐らく観測窓があったのだろう、出入口には小さい
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左側の部屋
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突き当り迄10数mの壕で、高い位置にある事から、港湾の出入りを監視する目的と思われる
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最初は湾に向けた速射砲陣地かと思ったが、海軍だし撃ったら崩れる事は必至だろう
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下の方にも壕はあったようだが、完全に埋まっている
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南門砲台の駐車場に戻って解散となった
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花壇には砲座だった頃の取り付けボルトが円形に残っている
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ここからは聴音所の遺構が良く見える
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帰りがけに走水低砲台に寄ってみた
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日曜だったが、見学時間が終わって、まだ係員が居たので入らずに帰った
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走水高砲台は老人ホームになり、小原台堡塁は防大の敷地内で埋められてしまっている
花立台砲台は健在だが防大のグランドだ。