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旧陸軍省福岡連隊司令部跡、長住中央公園陸軍柱群

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長住中央公園に到着するが、何処に陸軍柱が有るかが全く分からない
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そこら中工事中で、一足違いで捨てられてしまったのか?
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トイレ裏の工事柵の中を見ると
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大量にあった
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周りを見渡すと、砂に半分埋まっているが、そこら中にある
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陸軍とだけ書かれた標柱
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微妙に材質や文字のフォントが違うので、あちこちから集められたものだろう
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ここにある経緯や出土場所は不明だが、15本もの本数が確認できた
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今頃は埋まってしまったか判らないが、外周にでも保存しておいて貰いたいもんだ
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福岡市中央区薬院4丁目19のブロックに、旧陸軍省福岡連隊司令部跡がある
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建物自体は残っていないが、境界柱だけがこのブロックをL字に囲む様に残っている
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半ば埋まっていて、頭しか出てない物もあるが、割と残っている
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まずはシェルスタンドからバス停沿いに進む
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横に番号らしき物があるが、ほぼ読めない
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基本的にお犬様御用達なので、あまりしげしげと見たくない
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バス通りの角地
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南薬院交差点を曲がった跡の一つでぷつりと途切れるので戻る
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角地にある標石は頭の矢印が曲がっている
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薬院599号線にそって進む、基本的に右側にしか無い
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これしか飛び出していないと、道路は大分嵩差しして高さが変わっているのだろう
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十四だろうか、辛うじて番号が見える
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最後の一本はこの角地
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十三の番号が良く見える

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最後に空港近くの福岡城に寄った
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天守閣等は無く、部分的に復元された櫓がある程度だ
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それでも日本の城跡は人を引き付ける物がある
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軽く20分ほど見ていると、飛行機がヤバい時間に突入
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レンタカーを返すのと給油に時間をかけて、さらにピンチ
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受付終了5分前に何とか飛行機に乗り、帰途に就く
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宗像大島砲台 その3

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最左翼の砲座を探しに、藪の中に突入する
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左翼弾薬庫発見!
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後に追加された弾薬庫なので、若干形は違うが基本構造は同じだ
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手前の砲具庫
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この弾薬庫は砲座一つ用なので、貫通はしていない
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奥側の弾薬庫
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庫内全体が広めな気がする
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藪を漕ぎながら上に上がると、ほんのり道がある
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最左翼の砲座発見
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最右翼と同じ急造型だが、かなり埋まっている
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ちょっと降りる気にならないので、上から眺めるだけにする
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踏み跡を辿って行くと
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なんだ、遊歩道から普通に歩いて行けるでは無いか
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風車迄歩いて来た
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解っていれば観測所と砲座が何となく判る
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ズームすると観測所と中央左翼砲座が判る
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中腹に、かつての軍道か、現代の管理用道路なのかがある
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遊歩道に沿っていろいろ行って見ると
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コンクリート製の弾薬庫らしき物がある
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入り口両側に空間があり、弾薬本庫にも見えるが奥行きが無い
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中央の部屋を囲む様にコの字に空間がある
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部屋の床を見ると成形された窪みがある、これは弾薬庫では無い
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発電機室か、油脂庫等では無いか?
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壁のフックも気になるが、横に窓がある
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形状は特殊だが、弾薬庫の点検窓に似ている
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人一人がやっと通れる隙間
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部屋の奥側
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中央に煙突状の通気口がある
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遊歩道を更に進む
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ちょっと開けた所で行き停まる
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そこで見つけた標石。小呂島、博多湾沖にこの島は実在する
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風化して読みにくいが、沖で始まる島は沖ノ島が大島沖にある
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もう一本有ったが、これは全く読めなかった
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航空写真だと、下の方に円形の場所が二つあったので確認に行く
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探照灯かなんかかと思ったが、ただの東屋のようだ
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振り返ると風車の右手に弾薬庫?が見える
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その下になんかある!
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行こうとしたが、ガケみたいな斜面だわ、イバラだらけだわで退散した
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船の出航迄の時間が迫って来た、船着き場に戻らねば
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帰ろうとしたらバスと若い女性がチャリで汗もかかずに登って来た。
自分が死ぬ思いで登って来たのに・・・体力の低下を感じてしまう今日この頃
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探索終了
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牧場付近で、当時らしい境界石を見付けた
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うかつな事に道を間違えて反対方向に!超重いチャリンコを漕いで港に向かう
レンタルを返す頃に電源が入っていなかった事が発覚、アシスト無しで走り回っていたようだ
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出航直前に飛び乗る事に成功
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一日の体力を使い切った気がする、既に足がガクガクになっている
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それでも最後の小ネタに向かう

宗像大島砲台 その2

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宗像大島砲台には、大型のトーチカ型観測所がある
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右側が海側で、観測所の下部が中央2座の弾薬庫となり、貫通している
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重厚な鉄扉の枠が残っている、排水溝や防湿用のタールも下部に認められる
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扉側には用具庫と思しき扉の無いスペース
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中央部は弾薬の出し入れを考慮してか、広く造られている
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基本的に用具庫と弾薬庫が1砲座に一つずつ
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弾薬庫入り口方向
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70数年経っているとは思えない腐食の無い木目の綺麗さ
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弾薬庫の扉は、相当重厚だったのだろう
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隣の砲座用の弾薬庫、構造は同じだ
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鉄扉はバーナーで焼き切って行ったのだろう
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臨時砲台と違い、細部の構造がとても丁寧だ
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左翼側の用具庫
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鴨居に木材が埋め込んである、これを見ると内部は木材を張り巡らしてあったのかと思うが、知る由もない
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左翼砲座側に貫通する
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出入口にここまで補強をするのは珍しい
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弾薬庫の前はすぐに砲座で、即応弾薬置き場は設置されていない
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上の観測室に上がる
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コンクリートと石垣で、強固に造られている
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観測窓の一つ、こちらは簡易な物だ
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窓の下にフックがある、偽装網を架ける為か、簡易な雨戸があったのかは不明
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地表面すれすれに開口する正規の観測窓
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中を覗き込む
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コンクリートで建物を完成させてから、盛り土して偽装してある
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右翼側の2座と観測所の位置関係は、意外に近い
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背面に回り、観測室に入る。下の弾薬庫とは直接接続していない
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観測所の金属部分は殆ど持ち去られている
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左側の部屋、指揮や計算、通信等の別室か
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横スライド式の窓の収納部分には、木材が残っている
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窓の下部はレールだったのか、全面的に削り取られている
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左側の窓から見る、中央左翼側砲座
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観測室側を見る
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観測室全景
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測遠機台
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金属を剥がされた観測窓
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中央部の柱のみ残る
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途中まで溶断したが、何らかの事情で諦めたのだろう

宗像大島砲台 その1

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宗像大社総本宮に立ち寄る
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ちょっとだけ宗像大島に所縁があるので、時間調整に寄ってみた
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宗像市神湊港渡船ターミナルに到着するも、直近の駐車場が満車。200m程先の第二に向かう
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ここも結構な込み具合だった、また出航時間ギリギリ15分前!
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発券機でチケットを買う(片道570円)
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一日7往復あるが、帰り時間はチェックしておこう、2時間近く待つ事になる
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旅客船「しおかぜ」で15分の船旅、フェリー「おおしま」だと25分かかる
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レンタカーで行こうかとも思ったが、予約が必要だし結構な値段がする
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大島到着
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棟内図、7番の砲台跡が目的地だが、結構遠い。この島の移動手段はタクシー(島に1台要予約)、レンタカー(ターミナル前要予約)、バス(1時間に1本程度)、レンタサイクル(予約不要先着順)、徒歩だ
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バスの本数はこんな感じ
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レンタサイクルをチョイス、実に何十年ぶりの自転車、電動アシストは初めての体験
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まずは近くにある、先に寄った宗像大社の宗像大社中津宮に寄る
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山道に入ると、自転車がクソ重い、電動アシストなんて話に聞くほどの物では無かった
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スマホで位置を確認しながら砲台跡を目指す
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怪しげな掘割りを見付けた
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祠の先で現道に出た、道路が出来る前の旧道だろう。チャリを取りにまた降りる
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山頂近くの牧場に到着
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養老馬の牧場で人慣れしているので寄って来る
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馬って思ったよりデカくて硬い
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冬場に大汗を掻きながら山頂の砲台に到着、死ぬほど疲れた
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ここにはトイレはあるが自販機の一つも無い、飲み物は事前に買わないと死ぬ
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あるのはバス停だけ
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早速砲座を見て行く、45式15cmカノン砲が4門となっているが、左右2門と中央2門の砲座の形状が違う
元々は中央の2門だった物を、左右に2門後に追加したようだ。
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最右翼の砲座
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砲床も綺麗に残っている、島のおかげか全く破壊されずに済んでいる
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電路と思われる溝
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深さは1m程だろうか
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異様なほどに狭い階段、自分の肩幅有るか無いか程
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近くにある標石、砲台の座標を示す基準杭のようだ(ここは山頂では無い)
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中央右側の砲座
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最右翼の砲座と明らかに違い、複雑な形状をしている。追加分は急造砲台なのだろう
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明らかにこちらの方が、砲台らしくてカッコいい
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階段の幅はやはり狭く、同じように前後に2つある。右手は同じく電路の溝
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階段の形状も複雑だ
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観光用の風車、砲台はあの位置の方が良さそうな?丸見えだけど
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中央左翼の砲座
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若干こちらの方が荒れているが、まずまずの状態だ
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砲床手前は、電路の穴だろうか
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砲座はやはり、ターレット状の方がいい、一般に砲座が見学できるのはここまでで、最左翼の砲座は藪に埋もれている
本来この丘は牧場なので、観光用に砲座を整備している兼ね合いだろう


陸軍上西郷航空廠弾薬倉庫

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福岡県福津市上西郷にある陸軍上西郷航空廠弾薬倉庫
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弾薬庫、倉庫、兵舎などを合わせると、40程の建物が建設され、引き込み線も引かれていた
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当時からの鉄扉だろう窓が開いている
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覗いてみると、天井が剥がれている
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壁はともかく、天井は結構ヤバい事になっている
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外観的には保存状態はかなり良いと思う
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当時の換気ダクト、弾薬庫らしく蓋を付けて防湿、温度管理に気を使っている
下の二本の鉄の突起は、開け閉め用の梯子でもあったのか?
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右側は閉じられている(裏から見たけど)
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米軍摂取時の管理ナンバーだろうかM2の文字がある
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左側は開いている
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天井は全て落ち、構造が判りやすい
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急造とはいえ、屋根板にただモルタルを金網も入れずに塗っただけなんて、落ちるに決まっているだろうに
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煉瓦は鉱滓煉瓦を使用している
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扉のリベット感が何とも言えない
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昔はもっと土塁に隠れていたのかも知れない
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先にもう一棟ある
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基本的に構造は同じだ
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右側はやはり閉まっている
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こちらにはW3の文字
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一段低く、ぬかるんだ足場に気を付けて入る
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農家の人が採光の為にブラインドを外したのだろうか
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まさに物置といった様相
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こちらも煉瓦は鉱滓煉瓦
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この天井も、いつかは落ちて来るのだろう
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窓枠の木材と鉄格子
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入り口側の換気口
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入り口から見た農道、以前は土塁としてもっと高かったのだろう
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弾薬庫は二重扉になっている事が多い、これは内部側の扉の丁番
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非常に珍しい形だ
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外扉の鉄扉は失われている
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土塁(農道)から見た弾薬庫は誘爆防止に埋まっている
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農地返還後に掘り下げられたのだろう
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少し離れた所に、怪しい建物がある、よかとこBY様の文中に弾薬庫は3棟残ると書いてある、このコンクリート部分か?
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反対側から見る、かなり異質だ
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コンクリートの質も、同年代だろう
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煉瓦は確認できないが、当たりで良いのでは?

今回は知らずに行けなかったが、やくじんさま付近に引き込み線の終着駅のプラットホームの一部が残っている
ストリートビューで見れるので参考に。

旧サッポロビール九州工場(門司赤煉瓦プレイス)

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翌朝7時から行動開始するも、雨に祟られる
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昨夜見かけていたが、日没前に砲台に行きたくてスルーした門司赤煉瓦プレイス
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到着と同時に雨が上がる、この柱はもちろんただのモニュメント
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早速見て回るが、内部は開館時間前で見れない
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中央部は階段部分と思われるが、4階建てか?
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工場配管の跡が散見する
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カフェやショップもあるようだが、来るのが早すぎた
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隣の建物は鉱滓煉瓦のようだ、鉱滓煉瓦とは製鉄の際発生するスラグを混ぜたもので、通常よりも断熱性や強度が増すと言われているが、現在はすたれている。
北九州市では八幡製鉄所、岩手では釜石製鉄所があり、鉱滓煉瓦を製造していたが、太平洋戦争時に釜石製鉄所が艦砲射撃を受け壊滅、今では殆ど製造されていないようだ。
個人的にはやはり見た目重視で通常の赤煉瓦が一般に普及したと思う。
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いろいろある様だが、開いて無ければ仕方が無い
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現在残っているのはこの4棟
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これは倉庫だった2棟
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裏手にある組合棟
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醸造棟と電気ケーブルが繋がっている
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半地下があるようだ
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醸造棟と組合棟の隙間
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醸造棟の裏手側
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組合棟の裏側
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鉱滓煉瓦の事務所棟
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ネットが巻かれているのが残念だDSC04823_R_202202241826477f9.jpg
この松もきっと当時からあるのだろう
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倉庫は長崎番所跡とある、ここは福岡?
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倉庫は大分改造されている
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裏手にも似たような倉庫が建っているが、模して造った近代物だ
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倉庫前の路地が当時の街道だったらしい
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倉庫は壁面の煉瓦以外は大改造を受けている
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耐震補強をして営業しているからだ
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醸造棟はかなり目立つ、夜の状態も見たかった
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奥の2棟は新築倉庫
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もっと見やすいのがあった
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当時の輸送手段は陸上では無く船での大量輸送が常識だった
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カフェスペースも、まだ開きそうもない
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レストハウスもレンガ調で併設され、赤煉瓦交流館となっている
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醸造棟を裏側から見ると、2階に別の屋根が2棟くっついていた跡が付いている

下関要塞 富野堡塁

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日没直前のラストアタックに富野堡塁に向かう
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山頂の足立公園には、無料の駐車場がある
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公園隣には老人ホーム「望玄荘」がある、カーナビはここでセット
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「望玄荘」の前には掩蔽部があるが、駐車場整備で幾分埋まっているようだ
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車程度の高さしか無いので、1mほど盛られているのか
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その手前にあるこれが堡塁の塁道なのだが、老人ホームからの視線が釘付けで怪しくて入れない
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展望台奥の遊歩道側から回り込む
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石段があったので降りて行く
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石垣で囲まれた広い場所に出た
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イノシシの罠がある
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石垣の先端に階段がある
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階段の先に掩蔽部が登場する(写真左が階段部分)
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コの字型をした掩蔽部が並んでいる、左端は点検用通路があるので、弾薬庫と思われる
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中央部には4連の掩蔽部が並ぶ
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格子型に煉瓦を組んで通気口としている
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右端もL字に曲がって掩蔽部が一つ
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掩蔽部横は左側と同じく階段になっている
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その脇の塁道を辿ると、最初に見た老人ホーム側の入り口となる
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階段の側面も石垣になっている
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階段を登っても裏側の公園のフェンスに出てしまう
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掩蔽部周辺は、木々に覆われ暗くなってしまって写真がブレまくる
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掩蔽部の間には、1つずつ雨樋が付いている
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他には遺構らしき物は殆ど見つからない
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掩蔽部の対面側にも階段があるが、これが砲座に向かう物なのかは不明
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フェンスの隙間から脱出する


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日は沈んだが、僅かな残照を眺めて一服する
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すると、不意に花火が上がった
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僅か数分のゲリラ花火だったが、疲れた体にご褒美を貰ったようだ
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しばし夜景なんぞを撮って山を降りる
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小倉城を見に行く
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城のお堀にイルミネーションが反射する
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小倉城のイルミネーションを見ながら宿に戻る

下関要塞 手向(田向山)砲台

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このトンネル手前を曲がり、手向山公園へと登る
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非常に入り難い一方通行の入り口、うかつに勢い良く進入すると擦りそうだ
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駐車場まで登ると、そこは既に砲座である
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左から順に見て行く、第六砲座のみ即応弾薬置き場が残る
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砲座間の第五號弾薬庫
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第五砲座
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第五砲座と第四砲座の間にある謎の大階段
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階段の横に弾薬庫がある
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第四號弾薬庫
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僅か1年で完成している
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第四砲座
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手向砲台跡碑
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第三號弾薬庫
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第三砲座
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第弐號弾薬庫
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第二砲座
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第一號弾薬庫
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第一砲座


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特設見張り所に登って見る
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関門海峡を挟んだ、岡山の火の山砲台が見える
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砲座を出てすぐのカーブにある左翼観測所に向かう
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前回来た時に、この観測所を見落としていたので再訪した
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測遠基台は三本のタイプだ
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全円形や直角に切った形は良くあるが、こんな曲線で切った部分は珍しい
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階段は崩れている
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ポケットの周りにある溝も気になる
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この曲線がたまらん
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観測所としては珍しい遺構
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観測所裏の階段
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まるで砲台長位置のような遺構だ
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位置関係の分かりやすい写真
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下部の観測室


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探照灯台座を見る
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これはただの東屋跡なんだろうな?
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なぜ写真は火力発電所?
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台座部分はとても良い状態だ
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火力発電所跡
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柵があって中に入れないのが残念
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