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浜諸磯洞窟砲台 再訪2022

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以前はこちらから出入り出来たが、上の別荘の住人が亡くなり、管理会社がご近所に監視を委託していた。
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南側砲室から入る事にする、夏場にここに行くのはちょっと大変だ
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別荘に改造されて、売り出された稀有な砲台
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側壁の砲身格納場
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14cmカノン砲がここから海を睨んでいた
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砲室側の弾薬庫
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爆風除けのかべの奥に部屋がある
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三畳程度の小部屋
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天井は半円で、板張りでコンクリートを打った跡がある
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後方の通路に行くと
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反対側に同じ構造の部屋がある
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前室部分
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大きさも同じだろう
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こちらの天井は板張りでは無く、モルタルを吹き付けてある
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砲室を出る、赤い格子は別荘時の物
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格子の左手に、爆風除けのコンクリートがあり、その後ろに素掘りの兵員控室がある
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支保の柱の跡があるので、木造の小屋が建っていたのだろう
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出て左を見ると外部への通路が見える
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右手の通路へ向かう
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右手に分岐がある
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若干うねる通路を進む
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掘りかけの突き当りだ
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通路に戻る
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意外と長い通路
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その先は近代コンクリートで封鎖されていた
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別荘側の住人が改造使用しているものと思われる
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言って無い方の通路に向かう
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意外に長い通路を歩いて行くと
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閉塞の気配が
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閉塞に見える
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上を見る
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なんと縦穴の上に別荘の床があるではないか
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下の通路に僅かな隙間があるので、あきひさ氏が掘ってみると、通路がある
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確かに某サイトでは、西砲台に繋がっていると紹介している
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上の別荘から落とされた土で埋まっている柔らかい土を掘りだりて進むが、結局未完成の行き止まりだった
探索終了

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浜諸磯狙撃用洞窟陣地  再訪2022

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浜諸磯海岸にやって来た
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あの辺に洞窟砲台もある
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えらい久しぶりに来たら、入り口に変な廃屋が建っていた
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破られているがネットを張られていたようだ、こんな石ころも以前は全く無かった
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さっさと中に入る
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コンクリートの前壁を打つための溝が切られている
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排煙口
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内部へと進む
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なぜかこの辺はゴミが多い
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低い通路を進むと分岐がある
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すぐに突き当り、右に多少の空間がある
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小さな部屋の様だ、弾薬庫か
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コンクリートの屑が大量に詰め込まれている、別荘の工事の産廃だろう
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右の分岐はクランクして行き止まり
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本坑を進むと右に分岐する
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開口部のようだ、コンクリートのガレは以前ここから持ち込まれ、埋められたのだろう
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本坑を進む
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右側の分岐へ
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ヒドイコンクリートのガレを越えて左に曲がると
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産廃の土砂に埋め尽くされた、大きな部屋がある
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どうせ繋がっているので一旦通路に戻る
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緩やかに右に曲がる本坑
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左に分岐がある
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少し登り加減にクランクして行く
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細く低い通路を登る
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変形の部屋に出た
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ここが第二の銃室である
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銃眼
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天井にある排煙口
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入り口付近を振り返る
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コンクリートを打つ溝
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銃室の横に別の通路がある珍しい構造
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正面は階段になっているが
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行き止まり、観測窓でも開けようとしたのだろうか?
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通路は右回りにループして行く
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元の銃室へと向かう通路に戻って来た
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銃室に戻る
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銃眼から外に出る
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なんとも奇妙なコンクリートの世界が広がる
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真上に別荘が建てられて、密封されてしまっているのだ
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銃眼自体は非常に綺麗な物だ
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下の主坑道に降りて行く
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主坑道に戻った
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人物比を入れると、この陣地の狭さが判るだろう
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右に分岐が出る
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右に曲がるとすぐに右手に入り口がある
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入り口を入ると
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先に向こう側から見た大部屋に出る
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元に戻ると左に分岐
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妙に丸く綺麗な天井
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なだらかな登りの先は
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土砂で埋まった抜き穴だった
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通路に戻り、先に進む
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階段が見える
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幅の広い階段を登る
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行き止まり
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元の本坑に戻り、最深部へ
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若干幅が広くなり、左にうねる
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ここも土砂で埋没していた
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撤収する

ロタコ(御勅使河原(みだいがわら)飛行場)掩体壕

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山梨県南アルプス市飯野4182-2を探す
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始めは判らなかったが、端っこに何かある
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飛行機掩体壕のコンクリート基礎部分だ、これは珍しい木製の天蓋を持つ掩体壕だった
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南アルプス市の案内板(3号掩体壕)
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かなりしっかりとした基礎に見える
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木造の天蓋を固定するアンカーボルト
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調査時の発掘状況右側部分は埋没している
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左側の基礎はある程度露出している
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右側は、ふとすると見落としてしまう
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ほぼ埋没
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付近にある1.2号掩体壕を見に行く
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ダブルトラックの農道を歩いて行く
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コンクリートの塊が見えて来た
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路肩の外側にもあるが、一部破壊したのだろうか?
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恐らく掩体壕の右側部分
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3号掩体壕に対して、非常に粗いコンクリートだ
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埋没しているのか、右側部分しか確認できなかった
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奥の方に行くと、もう一つある
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同じく雑なコンクリートだが、状態は見やすい
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人物比とのさん
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半没しているが、ほとんどの基礎が残っている
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反対側も薄っすら見える
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全体で見ると、かえって判らなくなる


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この後とのたま号で横浜まで爆走して帰った

韮崎七里岩地下壕群(立川飛行機疎開地下工場)本坑1本目

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とのさんと合流して1本目の壕を見て行く
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右側本坑唯一の右側の横坑
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こちらの壕は見学コースになっていて、案内看板が多い
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本当に1cmぐらいの径二なっていた
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触るとポッキリ折れそうなぐらい
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坑木の類も沢山落ちている
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横坑は反対側にも伸びているが隣へ貫通はしていない
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残っている犬釘
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この横坑は意外に深く、もう少しで貫通していただろう
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地下壕の突き当りでよく見かける穴
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奥には坑木が多数残る
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主坑道には良く見ると枕木の跡や窪みが見える
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主坑道のこの部分には坑木が複数立っている
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どこの地下壕にも、立っている坑木は殆どない
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矢板、掘削によってできる土壁が崩れないように押える為の土留板
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見慣れた鎹だが、碍子と共に地下壕に似合うアイテムだ
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左側の横坑
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最終地点、掘削途中で終戦
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引き返そう
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二段掘りの所に戻って来た
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ちょっと登って見たくなった
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予想以上に狭かった、しかも崩れる
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とのさんにフォーカスされた


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久しぶりに外に出たら眩しい
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靴を洗うとのさん、便利な車だ
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田んぼの中に車を停める
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周辺の斜面を調査するも、住宅が多い
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山越えの古道を発見するも、戦跡とは関係ないだろう。探索終了

韮崎七里岩地下壕群(立川飛行機疎開地下工場)本坑2本目

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那須戦争博物館を出た後、山梨の数少ない戦跡に向かった
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この辺一帯の崖に、複数の地下工場があるらしい
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立川飛行機の疎開工場がこの地に掘られたのだが、ピンポイントが判らない
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とのさんがドローンで偵察する
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すごい時代になったもんだ
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さっそく突入する
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内部は泥濘が多く、水はけが悪い
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ぐちゃぐちゃの通路を進んで行く
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左に分岐が現れた
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支保工だろうか、一本だけ柱が建っている
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二段掘りの行程の途中
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見学会に使われた事があるのだろう、あちこちに説明が残っている
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見る分には、未完成の方が途中経過が見れて、面白い
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真ん中はトロッコ軌条だろうか、窪んで見える
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隣の通路に出た、接続部は狭くなっている
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振り返り
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2本目の通路は水没していた
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入って来た壕口と同じ方向、完全に水没している
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埋め戻しだろうか、開口部は無かった
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長靴を履いて来なかったとのさんは、ここまで
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十字路部分の一方は行き止まり、掘りかけでは無くこれで完成形なのだろう
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二本目の本坑に戻る
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完全に水没しており、長靴でギリギリ。次の十字路に到着
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右側を見る
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掘りかけで、一本目と接続していない
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左側も掘削途中だ
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本坑を進む
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左手の掘りかけ
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掘削途中の穴が開いている
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引き返す
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本坑に戻ると、拡幅の跡がある
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また左に横坑がある
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しかし10m程で行き止まり
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更に先に進む
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遂に2本目の本坑は行き止まりになったが、十字路になっている
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正面の行き止まり
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左側はまだ掘っている途中、結局左側には5本の横坑があった事になる
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右側、結局隣の壕と接続していたのは、最初の1本だけだった


河口湖自動車博物館(飛行館)

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八月のある日、八月にしか公開されない飛行館を、とのさんを誘って見に行った
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実に7年以上ぶりの飛行館で、どの位変わっているか楽しみだ
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栄一二型の零戦のエンジンの一部、プロペラの直後辺り
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二段に並んだコンロッドが見えるエンジン
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こんなにいい状態で残っているのは非常に珍しい
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周りに空冷ラジエターが着くと、普段見るエンジンらしく見える、これがエンジンシリンダーになる
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零戦二一型
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上にあるのは陸軍の隼
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操縦席前のタンクと60kg爆弾
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インテークがこんな回転式とは思わなかった
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水冷、空冷と色々なエンジンが展示されている
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箱も良く見ると
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銘板がカッコいい
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愛知V12エンジン
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点検の合格印、⚓や🌸、水ってなんやろ?最後の方に多い
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当時の部品の展示
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リメイク版の銘板
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零戦21型の骨格修復
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オリジナルの不足している部分は再生部品で補う
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インテグラムタンク
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翼内20mm機銃
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当時の国債ポスター、戦意高揚ポスター等も展示
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写真銃、今のガンカメラ
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91式航空魚雷(このスクリューは手で回してもいい)の二重反転スクリュー
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零戦52型
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一式陸攻の復旧が終わっていた。胴体後方のみがオリジナルの修復で、前半分は複製
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爆撃照準器
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上部旋回機銃
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胴体左側の7.7mm機銃
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入れないが、胴体内部。上の円筒が上部旋回機銃座
こうして見ると、全く防弾設備が無い事が判る、レプリカなせいだけでは無いだろう
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尾部の20mm機銃
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胴体後部なので、機銃以外はほぼオリジナルと思われる
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フルメタルの隼
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天井の桜花
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翼のぶつかりそうなギリギリのスペースで展示してある
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彩雲の複製が始まる
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極一部のオリジナルパーツも展示してある
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無理やり連れて来たとのさんだったが、意外と楽しんでくれているようだ
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特に発動機系が興味を引く様だ
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こんな文字に萌える
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屋外にも中庭形式に展示物があるが、雨ざらしでボロボロだ
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説明板だけは新しく綺麗なのが付いていた
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屋外にあるものも、チラッと見て行く
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ドイツのSLらしい
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F-108自衛隊仕様
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数年おきに来て見るのも良いものだ、今度は彩雲が完成した頃に来て見よう

観音崎砲台 第三砲台観測所及び大浦堡塁

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三軒屋砲台掩蔽部
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迷彩の残る砲座を横目に見ながら第三砲台を目指す
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道中陸軍の標石が並んでいる
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観音崎公園の園路は基本的に当時の軍道を整備拡張してある
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拡張整備の際に抜かれた物、埋められた物も多々ある
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路肩を良く捜すと、まだ結構な数が確認できる
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切り通しの付近には、砲台への門柱の片方が残っている
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旧火薬庫の屋根が眼下に見える
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大浦堡塁に立ち寄る
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大浦堡塁は直接湾内に進入した敵艦を攻撃するのではなく、砲台の裏側から攻めて来る敵に対する防御陣地だ
現在は公園化の為、壁の一部と階段の一部のみが残る
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9糎カノン砲右翼砲座
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明言されていないが、進徳丸の錨なのだろう
神戸高等商船学校の練習帆船として竣工、1944年9月に三菱造船神戸造船所で帆装が撤去され汽船練習船となるが、その後石炭輸送に従事していた。1945年(昭和20年)7月24日に米軍の艦載機の攻撃を受け、火災を伴う大きな被害を受け、着底した。
1946年(昭和21年)8月19日に浮上修理後練習船となるが、引き揚げ輸送等にも従事。
1963年(昭和38年)3月31日に廃船となった。1923年起工から40年と長い航海だった。
更に1995年の阪神・淡路大震災により台座が損傷、修復不能となる1966年まで、船体は残されていた。約76年と長寿の船だった。
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戦没者慰霊碑に一礼し次に向かう
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第三砲台(旧第四砲台)到着、旧第三砲台が除籍となった為、繰り上げとなった。
更に入り口に第一展望台などと書かれている為、非常にややこしくなっている。
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トンネルを通らないと行き来出来ない砲台
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切り通しがエモい
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山によじ登る
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かすかに道の形跡が最初はあるが
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途中から全く無くなり、判別不明になる(横はガケ)
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途中、地滑りで完全に寸断されるので、お勧めは出来ない
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諦めかけた頃、やっと姿が見えた
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第三砲台には右翼、左翼共に観測所が現存しているので、この観測所は旧第三及び三軒屋砲台等と共有の山頂観測所だろう
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風雨に晒され、地盤が危うくなっている、いずれ滑落する時が来るだろう
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既に半ば割れているが、これが近年の崩壊か、関東大震災の被害かは不明
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この観測所は他に類を見ない円筒形構造をしている
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中に入ると床面はコンクリート製
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内径は2m無いぐらいで、観測器を置いたらえらい手狭だ、内壁も高く胸の高さほどある
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観測所入り口
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刻印煉瓦も多用されている
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小菅集治監の複弁の刻印
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何らかのフックが並んでいる
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測袁基台は煉瓦をモルタルで塗ってある
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土台も煉瓦だ
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小さいが、とても良い遺構なので、同好の人は見付けて欲しい物だ
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帰りは尾根ルート(本来の軍道)から戻る(行きは倒木で迂回して来た)
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するとすぐそばに3本の測袁基台が現れる
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夏なんかに来るもんじゃ無いな
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なぜここに露天で台座だけあるのかは不明だ
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八角形の台座で測袁基台には間違いないだろう
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下界に降りて来た
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ガキの頃は何も考えずに飛び込み台として遊んでいたこれも、砲台遺構だ
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資材運搬から砲弾陸揚げに至るまで使われた桟橋とレールの跡が見る目を変える
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さて、横浜に帰るとしよう!

横須賀軍港巡り(リンカーン入港)

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よこすか軍港巡りにやって来た
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目的は3つ、その一つは空母となった出雲の飛行甲板を見る為
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早く一般公開で見てみたいものだ
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意外に人気で、毎回ほぼ満席となるクルーズ
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お隣は言わずと知れた米軍横須賀基地
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潜水艦の姿も見える
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今回はおやしお型が一隻だけ
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米軍基地の先端に達する頃
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第二の目的が見えて来た
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初寄港の「リンカーン」しかも艦載機満載のままでの寄港
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アメリカ海軍アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦 スプルーアンス
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大量に積まれたF-18
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E-2ホークアイ早期警戒機の姿もある
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中央にはFー22か
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艦尾迄びっしりと艦載機満載
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やっぱりいずもより、かなり大きくて迫力がある
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空母らしい大型の張り出し甲板
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米軍艦艇が妙に多い、空母の護衛艦だろう
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リンカーンの真正面
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とりあえず見れたので満足だ
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沖合にも一隻補給を受けている湾外警備の米艦艇が居る
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船は船越に向かう
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DD-110たかなみとDE-230じんつう
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バックショット
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掃海母艦MSTー463うらが
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新造船、潜水艦救難艦ASRー404ちよだ
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特務艇ASYー91はしだてと、 掃海艇MSCー604えのしま
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補助艦艇、Yは横須賀で次のOはOIL、Wの場合はwater水である
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軍需部F号倉庫
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火事で焼失した二棟は、簡易倉庫として再建された
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新設の潜水艦桟橋にもおやしお型が
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新井割掘りに入る
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新設の比与字弾薬庫
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旧軍の地下施設
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割掘りを抜けると、一瞬だけ12バース空母岸壁が見える
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新型のステレス護衛艦FFM-1「もがみ」とFFM-2「くまの」、これを見るのが最後の目的だった
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DDGー174きりしまとDDGー177あたごが並んでいる
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DDー153ゆうぎりと 補給艦AOEー423ときわ
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護衛艦DDHー183いずも
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あたごにタグボートが接岸している、出航が近いようだ、舞鶴に戻るのだろう
ちなみにあたごの定員は300名、もがみ型の定員は90名と1/3以下で運用できる
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DD-154あまぎり
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いずもの艦尾飛行甲板にあたごの見送りだろうか、こちらにも手を振ってくれている
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完全な空母化に、あと一回の改修作業が必要だそうだ、DDHから何に変わるのだろう
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スキージャンプ台なんか付けて欲しいな
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とか見てたら、いつの間にかあたごが出航していた、汽笛ぐらい鳴らして欲しいが軍艦だしな
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天気はイマイチだが、良い見学が出来た。