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木更津海軍航空隊掩蔽部、桜井防空砲台及び探照灯跡

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数年前に発見された木更津海軍航空隊の掩蔽部を久しぶりに観て来た
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雑木林を伐採したら出て来たコンクリート、当初は破壊しようとしたが、硬すぎて断念したようだ
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上に登ると通気口の跡がある
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もう一つの通気口
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入口部分は、大分頑張って壊そうとしたようだ
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入れないので隙間からカメラを突っ込んでみる
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内部は激しく水没している
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こちら側の入り口には扉を取り付けていた木枠が残る
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反対側の入り口
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木枠は無いが丁番の跡らしき物がある
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内部は結構広い、退避壕にしては大き過ぎるが、弾薬庫にしては通気口が2つも開いている

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木更津の桜井地区に12cm高角砲4門と探照灯用電探1という引き渡し目録の遺構を探す
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目星を付けた山に登って行く、ねこさんが小さな地下壕一つはリサーチ済みなのだ
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山道に入って行く
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ねこさんのリサーチ済みの穴に来た
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入口は8割がた埋まり、急斜面となっている
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入ると天井が派手に崩落している
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乗り越えると行き止まりの15m程度の単独壕だった
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もう少ししたら埋まってしまいそうだな
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山頂に登った
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土塁に囲まれた平坦地を見付けた
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周囲に数ヶ所砲座とおぼしき円形平坦地がある、恐らくこれが12cm高角砲砲座だろう
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資料と位置関係を見比べるねこさん
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付近に弾薬庫と思わしき穴を発見した、まず確定だろう
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確証は無いがまず間違いないので、とりあえず撤収する
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来る時に不自然に盛り上がった場所が気になったので登って見る
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僅かにコンクリートが見える!
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円形に広い範囲で伸びている様だ、ねこさんを呼ぶ
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頂上部にはコンクリートの露出している部分もある、当初はこれが砲座かと思った
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大きさを確認する為に、周囲を掘ってみる
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中央部に気になる物が出て来た
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長方形の穴だ、深さも10cm程ある
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周りを掘ると、いっぱい出て来た
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外周部も並行して掘り起こす
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この横たわる倒木が邪魔だ
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倒木の下にさっきと違い、長い溝がある
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恐らく動力伝達の電路の溝だろう
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溝は結構大きな物だった
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外周部まで溝は続いている
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中心に取り付け部分が放射状に並ぶ
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最初は砲だと思っていたが、砲ならアンカーボルトが出っ張っているものだ
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結局外周は5mにも及び、探照灯用電探の基部と判断する。
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売津速射砲陣地及び石切り場改機関銃陣地

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売津の山に、速射砲陣地を見付けたそうだ
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山を登り、斜面を見ると妙な窪みが
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斜面をずり落ちて行くと
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四角い穴が在る
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中に入ると長方形の部屋だ
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奥には坑道が延びる
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出口からは大量の土砂が流れ込んでいる
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横には弾薬庫らしき物が
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土砂を登ると、開口部が見える
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どうやらこっちが砲室のようだ、弾薬庫もあるし
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天井が相当崩落してしまったようだ、こんな所で大砲撃つつもりだったのだろうか?
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みんな広い砲室側から入って行く
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砲室が無事な頃に入って見たかった
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頂上に上がると、円形の窪みのある平坦地
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こちらにも窪地がある
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石積もある、城跡か?
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妙な石像がある、この関係なのだろう
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次の遺構に到着した
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壕口だ
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また四角い入り口通路だ
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綺麗に掘削してあり、左右に分岐も見える
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左はL字の部屋
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爆風除けがあり、右に通路は伸びる
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通路を進むと
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銃座がある、重機にしては台座が短かい
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軽機にしては台座から銃眼迄が高いという中途半端な銃眼だ
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この手の銃眼にしては珍しく、コンクリート補強されている。後に理由が判る
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銃眼としてはコンクリートだけあって綺麗な形をしている
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表に出る
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外部から銃眼を発見、下に降りてみる
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下に降りると、銃眼のコンクリート補強の理由が判った、銃眼を造る際にクラックが入ってしまったのだ
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これだけ派手に割れたら補修するしか無かったのだろう
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竹岡某所にある、15cm榴弾砲陣地を見て行く
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ここは地層がすごい
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イカヘッド型の砲室
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砲眼側からの眺め
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先端はフェンスで塞がれていて、出れない
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近くにもう一つある
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こちらは砲眼側から入る
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砲室は完成しているが、未完成のようだ
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掘りかけの弾薬庫
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出入口になるはずの通路も掘りかけ
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砲室
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イカヘッド

冨浦10K東京湾要塞第1砲兵隊(第2.3.4中隊欠)冨浦10糎加農砲陣地

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冨浦の山にパパさんを先頭に入って行く
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早速壕口があるが
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L字の倉庫壕だった
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道の無い山道を登って行く
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更に斜面を下って行くと
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緑に埋もれた砲眼が現れる
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早速砲室に入るが水没している
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見難いがアンカーボルトが円形に並んでいる
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天井には砲を固定する為の吊り金具がある
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砲室は粗いコンクリートだが、鉄筋は入っている
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砲室のコンクリートはまだ途中のようだ、上の方に丸い穴がいくつもある
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この穴に型枠の丸太を入れる
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砲室の奥の素掘りの部分
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同じ位置に丸い穴が在る
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下の部分はコンクリートが薄い、鉄筋では無く木筋に変わり、砂利も多い
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奥に入って行く
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左に分岐
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弾薬庫だ
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壕は緩やかに右に曲がる
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その先は埋没、水の流れた跡があるので、近年までは開いていたのだろう
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現在はライトを消しても明かりも風も入らない
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砲室に戻る
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砲室右側の段々
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左側の段々
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今回の目的は、除草と掘り出し整備だ
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傾斜地なので、交代に掘り出していく
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きへいさんが除草したおかげで、上面が露出した
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偽装網を架ける金具が、砲眼を囲む様に出て来た
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一番頑張った福本君、彼は普段からあちこちの遺構の草刈り等をしてくれている
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腰を痛めているねこさんも頑張っている
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細かく丁寧に根っこを除去するきへいさん
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右側はほぼ掘り出した
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左側も完璧に露出
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全てをかき出すとコンクリートが痛むので、形状が判る範囲で止めておく
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最後に灌漑深く、写真に収めるきへいさん
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次に来る時まで、埋もれないでいて欲しい
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撤収する

大和ミュージアム大型旋盤15299機

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大和ミュージアムに向かう
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残念ながらこの日は休館日
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当然鉄のクジラも休館だ、知っていたから仕方が無い
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この46cm主砲弾のダミーも好きだな~
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しんかいも大分色あせて来た
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大和波止場を見て行く
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上に登って見る
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大和波止場は大和の実物大として1/4の部分だけイメージ再現している
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艦橋トップの15m測距器の縮尺モデル
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振り向くと鉄のクジラとしんかいが見える
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高さが無く判り難いが
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この部分だ
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46cm主砲は1基で駆逐艦一隻分の重量
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25mm三連装機銃
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錨鎖甲板
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舳先の部分は適当、正確な形状が良くわからないそうだ、菊の御紋はあえて着けられていないのだろう
ちなみに艦尾の形状は丸いのか平らなのかすら判らないでいる。
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艦首付近のモニュメント
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14、250KG、もちろん中空のレプリカ
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先端から引き返すと結構な距離を感じる、これで半分か。
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今回の目的は、駐車場前のこの建物。内部には入れず外部からの見学だけとなる総ガラス張りの建物
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2023年3月5日にオープンしたての大和の主砲を造った旋盤の展示
ガラス面に細かい説明が彫られているが、反射で全くカメラに映らず目で見るのも困難
なのでガラス越しに見た、反射で見えない部分だけただ貼り付ける
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ガラス張りなので反射が酷く、自分の体を陰にしながらの撮影となる

螺山(つぶやま)防空高角砲台

螺山防空砲台は太平洋戦争前の昭和12年に竣工しており開戦時には三年式8cm高角砲2門が配備された。
開戦後は聴音機が追加され、それに伴う電源増設のために変圧所が設置されるなど改修される。

昭和19年3月には三年式8cm高角砲が2門から4門に増強されるが、半年後の9月に新宮防空砲台にすべて移設され武装がない防空監視所となってしまう。

昭和20年1月に秋月型駆逐艦の主砲に使われた九八式10cm連装高角砲という最新の大型高射砲2基が配備され、再び防空砲台として稼働し電探も装備された。
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呉市小坪にある螺山防空高角砲台に向かう
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途中、離合不能の山道に入るが薬師堂があれば間違いない、この辺までは畑や民家がある
頂上付近では未舗装ダブルトラックになるので、3ナンバー高級車は無理だろう、腹の底を擦ったりボディが枝葉で傷だらけになっても良ければ物理的には可能だが、かなり狭い。
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頂上にはテレビ中継施設が建っている、ここは8cm高角砲砲台があった場所で、兵舎もあったが何の痕跡も無い
この後ろの道から山道を徒歩になるが、時折りピンクリボンがある
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こんな感じの山道を5分程度歩く
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すぐに石垣等の形跡が現れるので、迷う事は無いだろう
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貯水槽と言われる素掘りの溝で、結構長い
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ピンクリボンに沿って若干の上り下りはあるが、割と平坦だ
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時折り道が消えかけているが、突破すれば復活する
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一気に開けた場所に出ると、若干下りながら砲台陣地になる
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人為的な窪みがあちこちに見えるようになってくる
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何かしらの施設跡だろう
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蛸壺もちらほらと掘られている
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しばらく行くと交通壕が見えて来た
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左手には砲員待機所
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砲座方向へ向かうが、交通壕は埋まっているのか砲員待機所を含み、膝程度しか深さが無い
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砲座への曲がり角に弾薬置き場がある
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こんなイナズマ型の通路は珍しい
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弾薬置き場は左右対称に4つある
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奥行きは深く、1m以上ある
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砲座への下りスロープを下る
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独得な砲座形状
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砲床は中心基部が下がっており、上から3m程度の深さがある
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即応弾薬置き場が深い、浅いを等間隔で円周しているのも珍しい、コンクリートの高さは2m程と高い
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弾薬箱をこの中に縦方向に積み上げて、引き出しながら使用したのだろう、浅い即応弾薬置き場は横置きで積み上げか?
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入って来た砲座への通路
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破壊された部分はこの一部だけ、砲座内に砲員待機所は無かったようだ
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砲座全景


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最初の交通壕の砲員待機所の手前に、もう一つの砲座への交通壕がある
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しかし殆ど埋まり、灌木も生えてトレースするのは難しい(動画参照)
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交通壕から90度曲がり、コンクロートに通路が変わる
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今度は直線的に通路が造られている
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弾薬置き場は殆ど埋没している
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砲座に出る
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状態は良くは無いがマシな方だろう
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深い方の即応弾薬置き場は識別できる
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弾薬置き場の天井は、殆ど落ちている
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入って来た砲座入り口
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埋まったせいで、隣程高さを感じない
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隣の砲座にあった、この上の部分が欠落しているせいだろう
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珍しく残っている即応弾薬置き場
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自然崩壊なら近くに落ちているはずなので、爆破もしくは破壊なのだろう
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壊れた砲台もまた美しい
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砲座を確認したので撤収する
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石垣の土留めゾーンに帰って来た時
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行きには気が付かなかった標石を発見
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海軍の波二本
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裏は第三十二号
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兵舎跡迄戻って来て探索終了

大平山防空高角砲台

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下蒲刈島に渡り、県道74号線から大平山コースに入る
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看板裏に気になる建物があるが、離れすぎているので軍には関係ないだろう
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途中途中に案内があるので迷う事は無い(そもそもカーナビで砲台迄来れる)
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ここが駐車場なのだが、行く気になればこの車道で展望広場まで車で上がれる
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天気が良ければこんな眺めがあるらしい、トイレもあるアクセスしやすい公園化された砲台だ
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トイレに貼ってある案内板に沿って、舗装された道を歩いて行く
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すぐに砲座が見えて来る
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砲座の石垣は、凄い直角に造られている
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案内板もある
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砲座はあまり綺麗には整備されていない
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3月でこの状態だ
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意外と少ないが、即応弾薬置き場がある
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八九式12.7cm連装高角砲は薬莢なので寝かせて置いているのだろうか?
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普通は末広がりに組まれる石垣が直角だと、違和感がある
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しかも左右対称型では無い、異形な形をしている
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砲座入り口から見る
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もう一つの砲座は、すぐ隣にある
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やはり同じように崖に石垣を組んで、直角に築いてある
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斜面を降りてみると、この土台は二段で造られていた
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こちらの方が埋没具合はましかも知れない
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即応弾薬置き場がはっきり見える
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砲座全景
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砲座からは本州から下蒲刈島にかかる安芸灘大橋が見える
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振り返るとフェンスがある
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中を覗くと貯水槽にしか見えない指揮所跡と言われるものがある
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側壁はコンクリートで囲まれている
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フェンス内側には、下に降りる階段が有る
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戦後に指揮所は取り壊され、貯水槽に改造されたらしい
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痕跡はこの左右から降りる階段ぐらいのようだ
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フェンス沿いに先端方向に行く
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下り勾配に軍道の形跡がある
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斜面にコンクリート片がある
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下まで降りると、コンクリート構造物がある
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弾薬庫だ
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大量の切り株が行く手を阻む
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隙間から覗くと20m程で行き止まりのようだ
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そのまま下って行くと
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建物の基礎のようなものがあり
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その先にコンクリート建造物がある
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鉄筋の抜出の為、激しく損壊しているが、砲台施設に間違いないだろう
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あまりに損壊が激しく、全体像が判らない
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この二つの施設に関しては、他のホームぺージ等ではほぼ見かけない
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東屋方向に向かう
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三つ目の砲座がある
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この砲座が一番状態が悪い
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引き渡し目録に10cm連装高角砲二基となっているので、ここの砲座は早い時期に放棄されたのかも知れない
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形状は他の二つと同じである

二葉山高射機関銃陣地及び高射砲陣地

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夜景スポットの二葉山
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平和塔の場所に高射砲、登山道に高射機関砲の陣地があった
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とりあえず平和塔に登る、ここまでは車で来れるしトイレもある
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案内板の末尾には、ほんの少し高射砲について触れている
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平和塔の外周基礎に見え隠れする明らかに変な物がある
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これが高射砲台の一部、もしくは関連施設の残骸と言われる
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しかし位置的に高い、怪しいけど地表から離れすぎていると思う、地表の方が滑り落ちた可能性もある
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平和塔の裏手に塹壕がある
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ぐるっと回って平和塔からの下り階段に出た
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標柱とは違うが、長方形の石材
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下は荒れた石垣になっている
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ここから夜の登山道に向かう
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今回は探索ではなく観光のつもりで来たので、いつものライトを持って来ていない、ポケットにあった非常用の豆ライトで登山道を登っている。(空母氏にもらった)
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平坦地に出ると、玄関の様なコンクリートがある、しかし周りには建物の基礎すらない、洗面所の様なものだろうか?
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乗っている板は関係ない物だろう、参考にした人の写真には乗っていない
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巨大な穴が登山道の半分を埋めている、蛸壺にしてはデカい、機銃掩体か?
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交差点、登山道が入り組んでいて、足元しか照らせない状態で、道を間違わないかちょっと不安になる
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登山道の一段下に、コンクリートが見える
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便所と言われる遺構の様だ
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周りに幾つかある様だ
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蛸壺風窪地も散見する
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ここで変な標柱を見た
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昔の地名だろうか、軍ものでは無さそうだ
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塹壕を辿って行くと
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不意に機関砲砲座が現れた
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天蓋の破損した即応弾薬置き場
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正規の出入口
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ウサギの耳のような即応弾薬置き場二つ
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形も違う
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土が積もって正確には判らないが1m程の深さがありそうだ
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なんとこんな所に案内板がある
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案内板の横には指揮所がある
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機関砲座と違い、岩盤を掘っただけの簡素な物
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二つ目の機関砲座
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この部分はコンクリート
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出入口
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何故か落ちている高圧碍子
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三つ目の機関砲座
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かなり粗削りに見える
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一つだけ即応弾薬置き場がある
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全体を見る
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山の標柱
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砲座は斜面に石垣を組んで造ってある
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急造で作った有り合わせの石をコンクリートで固めた石垣
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最初に見た砲座が一番きれいに整備されている
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砲座に見えなくもない程度の物も付近にある
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これ以上フラフラしていると迷子になりそうなので撤収する
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平和塔に帰って来た
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広島東照宮から登って来るコースもあるが、こっちのコースの方が直近まで車で来れるので楽だろう、夜景も綺麗だ

宇品島 元字品高射砲陣地

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宇品島の宇品灯台のある元字品公園に元字品高射砲陣地はあった
昭和18年頃、88式7糎高射砲×7、機銃砲×4の陸軍独立高射砲第22大隊第8077部隊がいた
現在残っているのは砲座が4つと土製の機銃陣地の窪み、一部の関連遺構のみだ
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灯台の場所にはかつて、陸軍信号所があった
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戦後これを灯台に作り替えたが、老朽化に伴い撤去、昭和46年に現在の灯台が新設された。
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高射砲陣地の一部は公園化により喪失したが、道路の際にある程度残っている
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砲座群の手前100mほどか、明らかに当時物のコンクリート遺構が斜めにずり落ちている
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砲座とは位置が離れている様なので、探照灯台座かも知れないが詳細不明
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砲座の一部、四角いので砲側弾薬庫と思われる
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10m間隔ぐらいにコンクリート砲座の遺構が道路際に露出している
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ほとんどそのまま砲座と判る形の物は無い
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その中でもこれは良く残っている方だ
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上によじ登ってみる
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これが一番わかりやすい砲座だ、7cm高角砲の砲床
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アンカーボルトではなく、穴で残っているのは珍しい?
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砲側弾薬庫?
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広場には非常に判りやすい砲座が一つだけ残っている
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まぁ知らなきゃただのコンクリートの塊なだけなんだろうが
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謎のコンクリート
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当時の階段と思われる、なんせ登っても斜面しか無いし
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この物干しざおの台座は何だろう?
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これも砲側弾薬庫か?
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機銃陣地も見ようと思ったが、時間も時間だし見分けは付かなそうなので撤収した

原爆ドーム(広島県物産陳列館)

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広島には何度か来たが、原爆ドームに始めて来た
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自分は極力戦闘等で多くの人の亡くなった所には行かない事にしている、軍人墓にすら行かない
まぁ、慰霊と記録の為に今回やっと行って来た。
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既に夕暮れとなって来たが、夜は通年ライトアップされる
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平和の使いも慰霊に訪れている
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既に暗いのだが、明るく撮ってみる
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原爆ドームって、もっと飾り気のない建物かと思っていたら、それなりに意匠を凝らしている
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大分暗くなって来たので撮影を開始する(ライトアップを待っていた)
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もっともそれらしいドーム部分
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原爆ドームは3階建て、ドーム部分は階段を含み5階建て
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過去4回の保存工事を受けているが、平成27年度(2015年度)で耐震工事を受け、現在の形となる
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爆心地と言われがちだが、本来の爆心地は建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾「リトルボーイ」を投下。
投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約600メートルの地点(現・島内科医院付近)で炸裂した。
今は3代目で内科に変わっているが、爆心地説明の碑が建物の入り口に立っている。
投下目標は川に掛かる元安橋、この橋は直撃に耐えたが1992年に架け替えられている。
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耐震工事で、大きく様変わりした内部
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川沿いからだと、内部がある程度見れるが、立ち入り禁止だ
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ドームの反対側から見る
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アーチ型の建物
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煉瓦造りをモルタルコーティングしている
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建設省(内務省)職員殉職の地碑
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柱の一部がベンチ代わりに置かれている
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国や公の補修費用は、いつになったら出るのだろう
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世界遺産原爆ドーム
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本来の建物は、この外壁に見える部分が外壁の三階建てビルだった
15_(広島名勝)商品陳列館_70435_002_R
当時の外観
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橋を渡り、対岸に行く
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対岸は平和祈念公園となっている
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平和の時計塔
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平和の鐘
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平和の灯
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原爆の子の像
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ここで式典が行われる
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安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから
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原爆の投下目標になった元安橋、オリジナルではない
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動員学徒慰霊塔
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学徒動員のレリーフ
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広島おりずるタワー
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夜の原爆ドームは、ただ美しかった