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峯山海軍航空基地(河辺(こうべ)飛行場)その1

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最初の遺構は三ツ橋の付近にある
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橋の袂のこれは、グーグルマップには道路となっている
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ちょっと右に曲がると見えて来る橋
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海軍橋
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橋自体には銘板は着いていない
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橋の右側の方が長い
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橋の欄干
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ただの丸ではなく面白い形をしている
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対岸側から見ると右が長い、川に対し斜めに橋を架けているのだろう、車の出入りの為か
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桜の名所、峯空園(ミネクウエン)、飛行場の練習生入り口の一つだったらしい
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中心の小山にモニュメントがある
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非常に珍しい海軍マークのマンホールを使ったモニュメント
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碑文ってのは万人に読める文字にするべきだと思うのは自分だけだろうか?子供にゃ読めん
「太平洋戦争中 峯山海軍航空隊 飛行場ここにあり 生命を課する飛行作業をはじめ隊生活のなかに 青春のありかを求めた 多くの若者達によって 幾たびも幾たびも 踏まれたマンホール 忘却の彼方に 時代は移りゆくとも 哀しき戦いの証人として いついつまでも桜の園に 平和の希いをこめて 久遠の足音を響かせん」
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止水栓とかは山ほど見たが、マンホールってのは海軍陸軍共に殆ど見ない
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引き手部分はちゃんと稼働する
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戻りしな橋の下を見ると、この石垣も当時の護岸なんだろう
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残りの遺構はここを起点に考えると、廻りやすいだろう
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スシロー駐車場横の路地を入って行く
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アスファルトが切れると当時の暗渠の蓋となるコンクリートが敷かれている
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規則的に穴が開けられている穴は、平坦な飛行場の水はけを良くするために開けられた排水溝
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住宅の前辺りに海軍マンホールがある
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思わず一つ貰いたくなる様なマンホール
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当時のままのオリジナル位置だろうが、現代と違ってマンホールの間隔が長い
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暗渠はまだ続くが、マンホールはこの1ヵ所のみ
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スシロー前のメイン通りに戻る、この道路は嵩上げされているので、暗渠は消えるが道路を跨ぐと復活する
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暗渠自体はあるが、マンホールは見当たらない
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ワンブロック分一つも無かった、道路を渡り暗渠は続く、実は交差点にあって埋まっているのかも
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更に歩いて行くと峯山海軍航空隊第4格納庫に近づく
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ここでやっとマンホール登場
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メインの車道では無いので、すり減りとかの悪影響は無い様だ
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約2ブロック分間隔が開いている、家一軒に一つのマンホール状態の現代からは信じられない間隔だ
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格納庫の正面、外見は当時は板張りだが鉄板を貼られている。入り口の扉は改修され封鎖、吉村機業新町工場が使用している
第一第四は木造で、第二第三は軽量鉄骨構造製(13機格納)だったそうだが、木造格納庫の方が大型だ
ちなみに軽量鉄骨構造製の格納庫2棟は終戦の年の大雪で倒壊している。
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第四格納庫は最も北にあり、近くに軍民境界壁と言われる壁がある
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入口手前には当時風の瓦屋根や下見板が貼られている建物がある
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この様に格納庫に直接接続しているので、戦後の建物だろう。格納庫が開かなくなる。
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格納庫を右後方から眺める、ほぼ正方形のようだ
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後ろ側にはコンクリートの小屋がある
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格納庫側面には川が流れ、石垣も当時の物だろう
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一部金属が付いている所もある
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付近にも古そうな建物はあるが、戦後の物だろう
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格納庫を回り込んで行く
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格納庫左側は駐車場となり、殆ど見えない
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正面に戻る
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小屋の壁面の貼り方が横から縦に変わっているが、修理でもしたのだろう
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上世屋海軍特設見張り所

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世屋高原口交差点を曲がる(この戦跡はグーグルマップにポイントされているので迷う事は無いだろう)
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ここから農道に入るが軽トラ道だ(自分はここでレンタカーを置いて行く)
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1分も歩くと左側にコンクリート倉庫の遺構が見える
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ここに行ったのは9月だったが、これは見付けるのは容易だった
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内部を覗くと天井は木製だったのだろう、無くなっている
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左側を見る、窓が高く小さい
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正面方向には窓が二つ
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上を見上げると、コンクリートの厚みはソコソコある
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足元にはいくつもの通気口がある
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コンクリート敷きの道路を更に1分行くと、笹薮と雑木林の境に出る
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手前の笹薮の中に
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水槽の遺構が隠れているが、藪に入って探さないと見えない
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アンカーの入ったコンクリート製の基礎はソコソコ大きさはあるが、高さが無いので見付けにくい
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道は一時消えてしまうが
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すぐにまた復活する
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左側には雑木林と化した平坦地があるが、耕作放棄された農地かも知れない
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獣ワナのある所で、右に消える道と
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左の平坦そうな道から登る斜面になる
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何となく道っぽい場所を登るがハズレっぽい
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前の2つの遺構はグーグルマップにピタリと嵌っていたので、マップを見ながら直線的斜面を登る
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この笹薮が絡まり見難く歩き難い
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頂上に近づくと、何か見えた
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ドンピシャで到着した、グーグルマップすごい!
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コンクリート物件は、地下壕と違って見付けやすくて助かる
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外周は藪が酷いので、中に入る
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ここは特設見張所指揮所兼探照灯となっているが、この台座が探照灯台座とは室内なので思い難い
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発電機台座と電路とかでは無いだろうか、探照灯は屋上か屋外と思われる
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左側には窓と通気口が下の倉庫と同じようにある
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窓から首を出して見るが、屋上に登る術は無さそうだ
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当然下にも何も無い
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上の窓は異様に高く、事実上正面の窓からしか外部は見張れない
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入口方向
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扉や窓部分からは煉瓦が覗いている、通常の煉瓦積み配列では無いので何とも言えない
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扉の丁番らしき金属も入っている
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天井の穴、この規模に通気口は必要ないので電路か発電機の排煙と思われる
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壁面にも何かの機器を取り付けていたような金具が残っている
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入口の庇か前室の接続部と左手の金属
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足元にも対であるので、屋上に上がる梯子だろう、となると探照灯は屋上だったかも知れない
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登って見たいが庇の反り返しがあり無理だった
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施設から歩きやすそうなコースを辿ったらここに出た、これを罠の方に行くのが正解だった
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倉庫と言われる遺構に戻って来た
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良く見ると、明らかに配線の跡と機器を取り付けた跡
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チラホラと金具も出てるし、窓の形状もあり本当にただの倉庫だろうか?

陸軍新井崎砲台(再訪)

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柵ギリギリに天橋立を見ながら伊根に向かう
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新井の棚田に到着、この背面が新井崎砲台になる
前回訪問時の観測所がどうしても気になったのだ
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まずはおさらいしながら見て回るが、今回は人が居てイマイチ気になる
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便所遺構
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木造の砲具庫
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裏側から見る砲具庫と横にある油庫、斜面にあるのは転がった集水桝
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そして丸い井戸、上に載っているのは陸軍の境界柱
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他の境界石もある様だが、民家が近いので諦め、山の方に曲がる
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前回も来た車道の終端に
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引っこ抜かれた境界石を発見
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前回見付けられなかった、目印の防三六だ、ここから右の小山に入る
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平坦地から右の登り口を上がる
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前回の大きな窪地と
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小さめな窪み
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角度を変える、砲台なので避難用の蛸壺か?
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一段下に降りてみる
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雑なコンクリートの壁が現れた
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石垣だ、この観測所が気になって再訪した甲斐があった
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1m程の切れ間があって、また石垣がある
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ここに観測所の入り口があったのだろうが、藪化してしまい内部の確認は出来なかった
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海側の石垣、発見出来たのでこれで良しとする
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付近には入り口を壊した破片が転がる
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下の地表面まで降りてみる
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特に遺構らしき物は見つからなかった
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観測所とは言え、あまり眺めは良くなかった
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観測所のある小山を眺めつつ撤収する
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車で少し離れると、道端に穴が在る
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車を寄せる所が無く、この写真だけ撮って終わりにしたが、横にありそうに見える

原町陸軍飛行場

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南相馬市にある陸軍の原町飛行場跡を見に来た、これは第四格納庫基礎
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昭和11年(1936)11月、雲雀ヶ原臨時飛行場として開隊、ほどなく拡張し原町飛行場として完成し、昭和15年(1940)6月、熊谷飛行学校原町分教所となる。
しかし大戦末期には特攻隊の訓練基地になり、昭和20年2月と8月にアメリカ海軍艦載機に爆撃され、基地機能を失う。
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当時の格納庫の基礎は、こんな将棋の駒のようなコンクリートを並べて土台にする
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ここに鉄骨もしくは木材の屋台骨を固定し、ドーム型の屋根を支える
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スクリューまで綺麗に残っている
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柱の間の低い基礎は、格納庫の壁となる土台だ
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壁を貼り付けていたモルタルの跡
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格納庫基礎の端っこには、コンクリートの塊がある
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場所的に格納庫の中に位置しているので道路整備の時にでも移動され、ここに置かれたのだろう
集水桝のような形をしていて、土管状の円筒があるので、排水関係の遺構だろう
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ネット上で軽く見るだけだと、この部分しか無いように思っていた
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しかし奥側にも格納庫基礎が並んでいて驚いた、しかも向こうの方が長い
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この時点ではこの空地部分に格納庫が有ったのだと思ったが違った
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基礎の向こう側は宅地の様なので、空地側から見学する
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形状は同じようだが、角度的な違和感を覚えた
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こちらは長い分、入り口部分の基礎も残っている
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回り込むとさっきの集水桝の様な物が横倒しになっている
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この部分のコンクリートは、格納庫前のエプロンとなる
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ふと見ると、格納庫基礎がもう一組ある
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どうやら格納庫は民家を覆うように有ったようだ、これは第五格納庫となる
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第五格納庫の中に民家が建っている形だ
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よく壊さないで残してくれたものだ
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ふと見ると、民家の端っこに格納庫基礎が一つ見えた
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恐らく塀の一部となり、地権者が関わるので壊されずに済んだのだろう
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こちら側と対の第四格納庫となる
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誘導路と思っていたこの道路は、格納庫の真ん中を通っている
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ここでとのさんがドローンを飛ばす
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空撮出来るのは強みだ
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とのさんの写真を拝借すると、右が第五格納庫、左が第四格納庫で黄色の〇が一つだけの基礎だ
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少し移動すると、空地にコンクリート基礎が有った
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畑の向こう側にも見える
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これは第三格納庫の跡だ
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第四第五とは違う形式の格納庫だったようだ
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木造倉庫もあるが、戦後払い下げの跡の建物だろう
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コンクリート舗装は当時の物

グーグルマップで見ると、こんな感じだ。近くに第二格納庫跡もあるが、墓地になっているので撮影していない
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へたくそに加工してみると格納庫はこんな感じに並んでいた、長さについては適当だ
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上図Aの部分にある原町飛行場正門
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こちら側の門柱は、側溝の上にあり、移動されている可能性あり
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ヒンジも微妙な位置にある
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こちら側は袖も付いているのでオリジナルだろう、道路拡幅の為に片方移動したのだろう
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まぁ破壊されるよりはマシだろう
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後に複製された正門の表札
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てっぺんはこんな感じ
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門の前に小川が有ったようだが今は水が無い、橋は後のコンクリートだが、石垣部分は当時の物だろう
この川沿いに進みカーブの辺りに境界石が有ったようだが(Bの部分)見当たらなかった
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この交差点にはロータリーがあり、右手には本部庁舎があった
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雲雀ヶ原神社、飛行場内の航空神社だ
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昭和15年(1940)11月3日
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この石碑の傷は空襲時の機銃掃射痕だそうだ
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C地点の航空神社、雲雀ヶ原神社。

東日本大震災福島被災地訪問記 その2

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東日本大震災・原子力災害伝承館DSC02349_R_202401052225184da.jpg
入るとステージに説明のプロジェクターが流れ、視聴する
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昔、町の入り口にあった原発の看板
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建物裏手に反対向いてレプリカがある
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1.2.3.4号炉のジオラマ
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屋上に出る
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周辺は津波で流されて殆どが荒野となっている
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取り残された様に二軒残っているので後で行って見る
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屋外展示はこれだけだった
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道路からの道が見当たらず、遠景で見るも1階部分は無くなっている
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住宅の方も1階はヒドイようだ
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道路からカメラを突っ込んでみる
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その先の橋は傷み、隣に付け替え工事がされていたが、使う人はいるのだろうか
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街中に戻り、復興アートを見て行く
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七転び八起きの達磨が多く使われている
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昭和7年に造られたこの橋も大分破損しているが、普通に使われている
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駅前商店街を、昨夜と反対方向に進んでいる
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寺の境内を撮影していたら、職質された。オドオドしなければ、特に問題は無い
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極たまに新築現場も見かける、戻る人もいるようだ
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傾いた家かと思ったら
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1階のみペシャンコだ
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被災した消防団
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近くに綺麗な新築が建っていた
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この辺りでも0.133シーベルト
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当時のままだろう車、被災した車は稼働できる状態でも汚染されているので移動してはいけなかったのだ
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人も住んでいなくても公民館等公共機関は早々に新築される
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そんな所には放射線レベル計が設置されている
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酒造工場
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裏手に回って見ても稼働はしていないようだ
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ふと見ると、12年経ったいまでも電柱が傾いたままだ
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夕方に街道に戻ったが廃店舗が多い
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再生しても、集客が望めないからそのままなのだろう
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いろいろカルチャーショックだったが家路を急ぐ、翌日は仕事だ。
関東に住んでいると、東北大震災も終わった事だと思っていた、神戸のごとくにより綺麗に再生していると思っていた
実際に行って見ると放射能汚染のせいもあるが、全くと言っていいほど町が復興していない
能登地震もこの記事を書いている時点で死者200人を超えてしまっている
地震が止まればそれで終わりではなく、始まりでしかないのだ復興という苦行の
東北、神戸淡路、能登と関東を囲む様に大型地震災害が起こっている。
次こそ関東かも知れない。
復旧、人命救助に奔走している自衛隊、警察、消防、ボランティアの方々にエールを送りたい

東日本大震災福島被災地訪問記 その1

東日本大震災の被災地を、震災から12年となる2023年に訪問してみた、純粋に興味で行って見たが、廻ってみると聞くとでは全く違っていた。
記事にせずボツにしようと思っていたが、2024年1月1日の能登半島地震が発生し、地震と津波のダブルパンチを受けた。
福島は原発が絡んでいるとはいえ、復興の難しさと自然の驚異を感じたこの訪問を記事にしようと思った。
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仕事帰りにとのさんと待ち合わせ、横浜を出発
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福島に入った辺りのコンビニで、ガイガーカウンターを起動(横浜だと0.02ぐらい)僅かに上がり始める(この時点で4倍)
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復興されやたら綺麗な夜ノ森駅に到着
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ロータリー付近は綺麗になっているが、それ以外は廃墟が目立つ
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除染はされているものの、立ち入り出来ず廃墟化
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一見綺麗に見えても、良く見るとボロボロだ
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ポストも色あせ、使用されていない
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自販機の値段やマイルドセブン等の今は無い銘柄に時間を感じる
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駅前のブロックを少し走ると、風景が一変する
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ただただ広がる空地だけが並んでいる、駅前住宅地だった場所が、見渡す限りの無人の平野と化している
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この辺りで放射線量は1.71、くどい様だが横浜は0.02。医療で受けるレントゲン撮影も放射線だ
胸部のレントゲン撮影は0.06ミリシーベルト、胃のレントゲン撮影は3.0ミリシーベルト程度。
短時間なら3.0ぐらいまでは平気だろうと思われる。
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駅前商店街の方に行って見る
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もはやシェル自体が無くなっているのだが、遂に解体が始まるようだ
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双葉町消防団第二分団の被災時間で止まる時計、14:46分
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内部は基本的に当時のまま
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ふと付近を見ると廃墟に絵が描いてある所が何軒かある
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復興ペイントアート、そのままだと寂しいからと始まった物で、あちこちにペイントアートが散見する
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既に日付けが変わっているので道の駅で車中泊する
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翌日、海岸方面に行く途中、パトロールカーとよくすれ違う。というか一般車両が殆どいない
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震災遺構請戸小学校に向かう
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津波で唯一残った学校を一般公開している
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右上がこの学校だ
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津波にとって、300mなどどうってことは無い距離って事だ
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校舎のあちこちにパネルで説明が付いている
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ちなみに学校に残っていた児童は全員無事であった
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壁にフジツボの様に着いているものは、石膏ボードの壁の剥がれた接着面
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1階部分はほぼ完全に水没した
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コースに沿って屋外に出る
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子供達が避難した大平山
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一時大平山に退避し、後に山を越えて国道6後に避難した
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津波の時間で止まる時計
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校舎に戻り、二階に上がる
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浸水はちょうど二階との境で止まったようだ
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ほぼ無傷の二階
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学校以外の家屋は、全て流された
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走水低砲台(掩蔽部コンプリート)

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旗山崎公園にやって来た、後ろの小山が走水低砲台だ
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平日はガイド遂行の見学だが、土日祝日は自由見学となっていた
[夏季:3月〜10月の期間]9時~17時
[冬季:11月〜2月の期間]9時〜16時
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入口の案内板
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さて、一年ぶりぐらいの走水低砲台だ
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右側の階段が元々の砲台の物で、左側は後付けだ
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まずは左翼弾薬庫、第三第四砲台の共用だ、楊弾井から上に上げた砲弾を左右に運んでいた
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内部は左右に弾薬庫と楊弾井が一組づつあるが、施錠されていた
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意外と解りやすい平面図
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左翼の第四砲座に登る
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これだけアンカーボルトがしっかり残っている砲台も珍しい
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第四砲座の左側には観測所がある
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こちらは昭和期の増設観測所と思われる
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第四砲座を上から眺める
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弾薬庫上の高塁道、ここで弾薬庫から上がって来た弾薬を各砲座に運搬する
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その上にもう一段ある
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小隊長位置、左右の二座の指揮を一人で行う
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階段を降りると、隣の第三砲座だ
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第三砲座
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これが2009年の砲座、良く整備したもんだ
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ここだけ砲の旋回部の鉄の輪が残っている
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深い藪に埋もれていたおかげだろうか
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第二砲座と第三砲座の間にある兵舎
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当時はこのように封鎖され、公開後も施錠されていたので、今回初めて入れる
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この為だけに来たと言っても過言では無いのだが、予想通り何にもない
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入って見たかった、ただそれだけだ
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天井のフック
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スロープを上り第二砲座へ
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第二砲座
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鉄の輪は無いが、状態は良い
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第一砲座と第二砲座の間の高塁道
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鶴首揚弾機が残っている
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楊弾井を覗き見る
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右翼側の小隊長位置
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煉瓦をよく見ると、小菅の桜等幾つかの種類が観れる
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砲座下の弾薬庫、こちら側は開いていた、形状は同じだ
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右側が第一砲台用の弾薬庫、左が第二砲台用の弾薬庫
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第二砲台用の弾薬庫を見る
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白い漆喰がかなり剥がれてしまっている
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伝声菅
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入口方向
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弾薬庫の点検窓
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通路右側が弾薬庫の点検窓、その奥が第二砲台への楊弾井
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灯器台、ここに灯火があり通路を照らしていた
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説明板のこの部分だ
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楊弾井
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さっき上から覗いた場所だ
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外に出る
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第一砲座
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重砲兵学校の練習砲台として終戦まで稼働状態だった27cmカノン砲台
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第一砲座の上には砲台基準標石がある
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上の遊歩道沿いには南門砲台から移設された9㎝速射カノン4門の砲座が残っている
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説明も無く、知らないと見落としてしまう遺構だ
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明治期は奥湾、昭和期は湾口に砲台を造ろうとしているのが解る、射程距離の問題だろう
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岩礁にある棒状の物は、潮位を計測して照準を計算する為の潮位標だ
この走水低砲台を第一として、走水第二砲台(新砲台)が観音崎京急ホテルの場所にあったが遺構は残っていない
また、走水高砲台は防衛大学の覆道射場建設により破壊された

YOKOSUKAカウントダウン2023~2024

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深夜11時ごろに横須賀駅に到着
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コロナ渦には中止もあったが、今年は開催を確認して来たカウントダウン
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横須賀駅側から入ると、まず気になるのが「陸奥」の主砲
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逸見波止場衛門
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何処でもドアがあった
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今年はヴェルニー公園もイルミネーションしていた
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思いの外人が少ないと思ったら、21時頃に強風と波浪の為花火は中止だと公式発表があったらしい
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潜水艦の表示は、年が変わると2024に毎年変わるが、気が付かない人が多い
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いずも桟橋には「きりしま」が鎮座していた
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護衛艦群は艦番号は見えないので省略
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イルミネーション越しに見る
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奥の方では掃海艇だろう電燈艦飾も見える
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軍港巡りの船も、花火が無いせいか空いているように見える
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23:45頃から小雨が降って来たが、誰も帰らない
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23:55に、電燈艦飾が一旦消える
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沈黙の5分間
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0時と共に横須賀港に汽笛が鳴り響く
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日付けが変わったので撤収する

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翌朝赤レンガに行って見た
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7時頃、横浜大桟橋越しに初日の出が登り始める
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大桟橋から見ると既に登っているので、帰り始めている
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今年は晴天の初日の出が拝めた
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明けましておめでとうございます
今年も良い探索が出来ますように!