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高射砲第123連隊東山371高地 高射砲 砲台 その2

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ここには88式野戦高射砲4門が据えられていた、砲座はほぼ横1列に隣り合わせに並んでいる
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砲座の全景を撮るのは難しい、即応弾薬置き場は基本的に3つづつあるが、位置はそれぞれ違う
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左側の二つ並んだ即応弾薬置き場
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右側は一つ
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第一砲座は例のコンクリートの壁の上にある
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即応弾薬置き場の間に、壊れた煉瓦遺構があるが、なんだろう
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即応弾薬置き場を横から見ると、上が一段高くなっている
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第一砲座の入り口方向
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第一砲座と第二砲座間の横墻
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一、二間、三、四間には小隊長位置が設けられている
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第二砲座入り口
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右側の石垣は、妙に角張って綺麗に残っている
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第二砲座の即応弾薬置き場は右側に二つ
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左側に一つだ
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第二第三間の横墻に登り、第二砲座を一周廻る
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第二砲座の入り口は、倒木が塞いでいる
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第二砲座、入り口方向を見る
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第二砲座越しに見る第三砲座、ここまで隣接していたら横墻の意味は無さそうだが、即応弾薬置き場を造りたかったのだろう
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第二砲座入り口から塁道に戻る
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第三砲座入り口
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右は第四砲座
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第三砲座の即応弾薬置き場は右に一つ
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中央に一つ
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左に一つだ
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即応弾薬置き場のモルタルが剥がれている、上の出っ張り部分は煉瓦を乗せて、土留めにしているようだ
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即応弾薬置き場を上から見る
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鳥居の土台のような物が乗っかっている
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第三砲座全景
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第三砲座の真下には、石垣を組んだ3X5m程のスペースがある
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第四砲座に向かう、塁道の右側に石垣があるのはここだけだ
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第三第四砲座の間にも、小隊長位置がある
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しかし第四砲座は大きく削り取られ、鉄塔が建っている
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唯一まともに残っている即応弾薬置き場
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鉄塔の足元から藪を回り込むと
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壊れた即応弾薬置き場があった
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鉄塔を立てる際、途中まで壊してしまったのだろう
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これはかなり見付け辛い
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そのまま進むと第三砲座下の石垣スペースに出る
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第二砲座は土留めが無く土砂が流れている
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おかげで塁道が斜面になっている
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第一砲座の土留コンクリート壁に戻り、砲座を一回りした

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高射砲第123連隊東山371高地 高射砲 砲台 その1

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新神戸駅に降り立つ
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駅に向かって右の住宅街方向に進み、金比羅山 雷聲寺(雷声寺)を目指す
摩耶山登山コースの途中にある遺構なので、登山道がいろんな方向からアクセス出来るようになっている
新神戸駅から一番近い金比羅山 雷聲寺(雷声寺)コース、春日野第一緑地から登る最短コース、青谷道登山口が一般的だ
後の二つはバスか車で行くようになるので、新神戸から歩いて10分程の金比羅山 雷聲寺からのコースをチョイスする。
駅から金比羅山 雷聲寺までの間に、コインパーキングが幾つかあるので、それを使ってもいいだろう。
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金比羅山 雷聲寺の入り口には、登山道云々の案内は一切ない、結局階段を全部登る
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山門をくぐった所にあるこれが最後のおトイレだ
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階段を上まで上がるとやっと登山道のポストがある
ここから砲台迄、写真を撮りながら25分弱で砲台に到着している
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この右側の踏み跡から、動物除けのフェンスを開けて登って行く事になる
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たまげたのがこの階段だ、余計な整備をしてくれたおかげで、非常に登り難い。
ここから標石が登山道に沿って見かけられる
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二本対になっているのが幾つかある
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山下の表示は、上に上がると山上に変わる
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この標石は軍ではなく山表示の境界石
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あるいは軍が再利用したのかも知れない
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中には枝番のある物もある
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歪で無記名の物もある
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分岐はほぼ無く、看板表記もされている、願わくば距離も書いて欲しい
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大分高く迄登って来た
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小さな切り通し
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滑ると危なそうな所もある
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突如コンクリートが現れ、もう着いたかと思ったが
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ただの砂防壁だった
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ここまで600mしか来てないのか・・・
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途中から境界石は見られなくなる
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イノシシのヌタ場
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ちょっと道の判り難い所、階段があるからそれに沿えば大丈夫
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広い分岐点に到着、ここまでは基本的に一本道
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ここまで来たら、砲台は目の前だ
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登って来たのは右下の道、ここはあちこちから道が繋がっているので、帰り道は覚えておこう
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一応三叉路だ
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最初に見えるのがこの石垣だ
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コンクリートで固められ、排水溝も造ってある
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やっと出て来た砲台跡の表示
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石垣の上は平坦地になっている
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瓦の破片、兵舎でもあったか衛所だろう
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石垣の縁は少し高くなっている
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妙なコンクリート片
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砲台跡まで、もう少しだけ登る
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ピークまで来ると
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東山371高地 高射砲砲台に到着だ
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幾つか煉瓦が転がっている、付近に便所でもあったのだろうか
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予想外に大きなコンクリートだ
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三段階で積み上げたのだろう境目がある、これは防壁というより上の砲座が崩れない為の土留めとなるようだ
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水抜きの排水溝も多数ある
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振り返るとさっきの分岐ポールが見える
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コンクリート遺構を右側に回ると平坦地があり、煉瓦が転がっている
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すぐ前に砲座の入り口の石垣があるが、一旦置いておく
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兵舎とも見えるが、規模的に便所かも知れない。多分こっちが入り口部分
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壁の一部と思われるが、モルタルの塗り方も煉瓦の不均一さも急造っぽい
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砲座に向かう

筑波海軍航空隊 その4(地下戦闘指揮所)

新たな目玉となる地下戦闘指揮所に向かう、ここには筑波海軍航空隊記念館から自力で行かなくてはならない
駐車場はあるので車での移動は可能である。
毎週土曜日・日曜日(祝日は公開なし)、料金は筑波海軍航空隊記念館+地下戦闘指揮所 共通入場券で大人800円となる
事前予約制で、予約無しで現地に行っても門前払いされる。
一日4回の公開時間が設定されているので予約時に申し込む必要がある、当日はまず筑波海軍航空隊記念館でチケットを購入してからの見学となるので、時間だからと現地に直接行っても入れない。
予約の方法はwebか電話が一般的、一応筑波海軍航空隊記念館のホームページを貼っておくので要確認。
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正門から出て左に曲がり、この看板を左に曲がる
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未舗装の民家前の道を奥まで進む
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突き当り迄行くと、ロケで使われた零戦レプリカの格納庫が見えて来る
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その手前が地下戦闘指揮所となる
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見取り図
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格納庫で受付を済ませ、簡単なガイダンスを受ける。必要なら懐中電灯を貸し出してくれる
見学は時間内フリーで、ガイドが付かないがかなり自由だ、内部には細かい説明板がある。
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この案内板を造った人はあわてんぼうなのか、今度は左下が地(下)要塞になっている
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地下戦闘指揮所への入り口
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入り口は下りスロープになっている
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電灯は点いているので、無理に懐中電灯は無くても何とかなる
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各所毎に案内板が付いている
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大部屋(1)に入る、部屋中にある縞模様は、コンクリートの壁に板を貼って部屋にしていた痕跡だろう
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各部屋にある通気口(異常なほどにある)
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一旦横に長く伸び、奥で上に上がる、珍しい形式
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反対側から入って来た方向
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大部屋(1)
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中央の部屋は、全て南側通路の寄った中通路で繋がっている、串団子状態だ
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大部屋の角は全てこのように加工されているが、1945年にしては余裕がある
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北側通路に戻る
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北側通路の反対側は開口しているが、民地になるので出られない
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大部屋(2)に入る
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地下応急治療室もいずれ公開して欲しいものだ
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大部屋(2)から隣の最奥の部屋小部屋(3)に行く
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小部屋は弾薬庫のような形状
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異様に多い通気口、他に何か目的があるのか?伝声菅にしては位置が高い
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六角形の通風口
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筒内も六角形
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隣の大部屋(3)からライトを照らしてみた、確かに貫通している
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小部屋は片側南側通路にしか開口していない(中通路除き)
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小部屋(3)
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南側通路に降りるには、二段の階段が有る
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南側通路奥の出入口も封鎖されている
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水面側通路、出口方向
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南側通路
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南側通路の外側に唯一ある部屋
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通信室
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電路と思われるパイプ
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中央の部分に発電機があったのだろう
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燃料タンクだろうか
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となると、こちらが通信機か?しかしコンクリートの壕内で、発電機のすぐ横で通信業務なんか出来たのだろうか?
物凄くうるさそうな気がする。
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配電盤が有っただろう壁の跡
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通信室の入り口方向
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通信室の真向かいにある部屋
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小部屋(2)
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ここはこの施設の中央の部屋になる
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一度通路に戻る
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大部屋(1)を挟む
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部屋の奥は穴だらけ
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南側通路に出る側には二段程度の階段が有る、最後だけは1段とスロープになっている
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外に出る


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格納庫の零戦21型を見て行く
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映画のロケセットで使われたレプリカ
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良く見なければ、十分な出来栄えだろう
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零戦の横に見慣れない物が置いてある
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昔は本当にこんな鳥人間コンテストに出そうな飛行機で戦争をしていたんだなと思ってしまう
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良く残っていたもんだ

筑波海軍航空隊 その3(外周後半遺構)

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本部庁舎横から周辺遺構を見るコースがある
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友部病院の廃墟感のあるコースだ
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本部庁舎裏庭を見る
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ここは発掘調査がされており、そのトレンチが残る
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立ち入る事は出来ないが遺構の外観を見る事は出来る、手前は地下通路の一部
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地下無線室の遺構が見える
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戸板で隠されている部分は、無線室前後にある出入口
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いずれ整備されたら見学コースになるかも知れない
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中央の緑枠の部分になる
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図面は見ると面白い
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中庭の池
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恐らく当時からの物だろう
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一番奥まで行って左を見ると、入り口のコンクリート塀が見える
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供養塔
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水素瓦斯格納庫
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この辺の地面から変な物が生えている
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図面から照らし合わせると、地下通路の通気口と思われる
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一番上の赤い部分だ
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汽缶場に向かう
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当時から在りそうな銀杏の大木
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基本的には何も無いように見える
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これが煙突跡かと思ったが、違うようだ
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曲がった金具
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壁の一部だったのか、大谷石が積んである
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あとはコンクリートの床があるだけだ
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明かな印刷ミスだろう、水素瓦斯格納庫跡になってるぞ
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一番北側まで来た
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旧正門跡は外から見る
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防空壕と50mプールは茨城県立こころの医療センターの建物で破壊された
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昭和13年に海軍道路と直結した隊門に、正門の座を委譲した
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外から見た旧正門
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右側の門柱
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左側の門柱
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面白い形の窪みがある
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ここに電球を灯していたようだ
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それぞれヒンジの跡が残っている
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駐車場に戻り、神社跡を見に行く
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まさに跡しか残っていない
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祭壇?
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鳥居の基礎二つ
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なんで神社を壊してしまうんだろうか?
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住宅街に移動する
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地図の左上にいる事になる
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碑文を撮りたいのだが、どうやっても自分が映る、文字も反射で見難いし
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これが誘導路
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こっちが滑走路となるが、道幅は狭くなっている

筑波海軍航空隊 その2(司令部庁舎)

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司令部庁舎を見て行く
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二階の張り出しは当時の物だが、車寄せは戦後の増築。見学入り口はここではない
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記念館との間の通用口からの見学となる
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戦後、病院として使われていた感じの残る廊下
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良くある構造の二階への階段、階段は三ヶ所ある
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右側の部屋は事務的な部屋で、右側の中央部にエンジン等の展示がある
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庁舎内部構造図
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この地で発掘された物かは分からない
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小さなパネル展示の部屋もある
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団体さんに道を塞がれた(なんでみんなこっちを見る?戦闘服が珍しいか?)
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二階に行く
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ゴジラー1.0の衣装などの展示もある
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一応のコラボレーション
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本来の展示品の影が薄い
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二階には当時の部屋の再現がある
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偉い人の部屋
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病室
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昭和の病院って感じの二階の廊下
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TVもPCも無い生活
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写真や戦意高揚ポスターの展示
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パーテーションの展示室
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二階最後の部屋
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艦これとアルペジオ
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お決まりの大和で〆となる
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思い出して、二階の窓から中庭を見る
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やはり見えた、今回発掘された地下無線室の入り口と右の通気口らしきもの

筑波海軍航空隊 その1(外周前半遺構及び筑波海軍航空隊記念館)

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現地に到着すると、まず見えるのがこの隊門だ。外の道路沿いにあるが、駐車場に停めてからでも近い
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自分は焦って路駐して写真を撮ってしまった
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茨城県立友部病院、1954年に筑波海軍航空隊基地の本部庁舎等を使用し精神科として開院
現在、茨城県立こころの医療センターとなり、旧飛行場遺構のある手前部分を筑波海軍航空隊記念館とした
ここの遺構は基本的に茨城県立こころの医療センターの敷地内となるが自由に見て回れる。
もちろん今回見つかった地下通路見学等は論外である。(入り口外観だけは見れる)
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電気で光る様な構造だが、友部病院時代の物かも知れない
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筑波海軍航空隊慰霊碑
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航空隊跡地マップがあり、説明板も付いている。番号の無いものは消失しているが池はある
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隊門すぐ横のコンクリート塀
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ここでやっと駐車場(無料)に入れる
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駐車場横の桜並木
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司令部庁舎
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隣の木造兵舎は筑波海軍航空隊記念館に建て替えられた
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玄関ポーチ部分は、写真と全く変わってしまっている
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筑波海軍航空隊記念館前の号令台
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なんで取っ手がこんなに高いのだろう?
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階段には手すりの跡がある
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反対側から見る
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天井部分には、柵があった跡がある
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内部
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地下通路伝説は、何処にでもあるもんだ
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筑波海軍航空隊記念館に入る
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入口右手はお土産屋さん
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この地下通路は敷地内に張り巡らされている
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写真だけ貼っておく
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いろいろイベントもやっているようだ
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中に入る、右はシアタールームだ
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ここにも若干の資料が展示してある
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左は休憩所兼展示室
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零戦21型の後部胴体が展示されている
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本当に指でつまんで曲がってしまいような感じの薄い外板だった
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手前には模型の展示
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半地下の展示室
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ゆっくり出来る人には良いだろう展示室
参考YouTube

倉梯山防空砲台(時間切れ途中まで探索)

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京都駅に戻るまで時間が少しあったので、欲をかいて倉梯山防空砲台の下見に行ったが
自分の探索の半分は雨に祟られる
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登り口でしばし雨宿りをする
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多少小降りになったので、雨具も無いが強行する、時間が無いのだ
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登り始めると暫くはアスファルトの車道だが、倒木が道を塞ぐ
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この辺から山道に入るが、車道は続く
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トライアルの二輪ならまだしばらくは登れる
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コンクリート製の海軍境界石が散見しだす
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木々に覆われた車道で、雨があまり気にならないので助かった
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海界の標石、さっきの海とは字体が違うようだ
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いきなり地下壕?
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な訳は無く、炭焼きの窯だった
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斜面にちょいちょい標石があるが、見に行っている余裕が無い
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ゆるいカーブに差し掛かった時
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手前に倒れた様なコンクリート
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奥にも同じ物だろう橋の欄干のような物が有る
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水路は無いので、路肩の補強、ガードレール的な役割だろう
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しかし拍子抜けするような車道レベルの平坦な道がずっと続く
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連続してある柵
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向け落ちた柵だろうか
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切り通し、山道らしくなってきた
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分岐もあるが、とりあえずそのまま進む
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ふと見ると、下に標石とコンクリート構造物が
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貯水槽だろうか、結構大きい
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唐突に現れた弾薬庫らしいもの、ここまで登って来るのに約20分程だ
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完全コンクリートの室内
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天井の通気口
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床には排水溝と何かの基礎がある
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内側から眺める
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貯水槽は弾薬庫の正面となる
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一応上に登って見た
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これは発電機壕の上になるが、なぜか内部写真を撮り忘れている
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軍道に戻る
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ここまで来ると、車道の幅は無くなる
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登り口から写真を撮りながら30分ほどで兵舎跡の階段に到着
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登ると平坦地になり
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兵舎基礎が現れる
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ひな壇式にまた階段が有る
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階段上から兵舎基礎を俯瞰する
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左奥側
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斜面を下り軍道に戻る
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すると小振りな掩蔽壕がある
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入口はかなりしっかりしている
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総コンクリートではあるが、先ほどの半分程度か
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ここでタイムアップ、京都に戻り、17時までにレンタカーを返さなければならない、京都駅まで2時間はかかる
遠方の探索はこれがネックだ、自分は日暮れまで粘りたくても残れない
横浜→舞鶴の日帰り探索は中々難しいものだ

峯山海軍航空基地(河辺(こうべ)飛行場)その2

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第四格納庫の見学を終え、この前の農道を向かって左側に進み、道を渡り隣のブロックに移動する
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すると民家とビニールハウスの間に遺構が見えて来る
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家の様な屋根だが燃料庫だ
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回り込んで行く、この中にドラム缶にして50本ほどの燃料が保管されていたそうだ
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現在は民家の倉庫となっているので、農道から見るだけにする
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モルタルの下から煉瓦が見えている、本体は煉瓦造りのようだ
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裏側には窓の一つも無い
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離れて全景を見る
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そのまま農道をホームセンターマイン方向に進む
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道路に出る頃には、弾薬庫が見えて来る
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元々弾薬庫は2棟あったらしい、もう一つ有った隣の弾薬庫は道路拡張工事の際に撤去された
7.7mm機銃用の弾薬が主に収納されていたそうで、機銃掃射された時は爆弾収納庫だったら吹き飛んでいただろう
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後ろ側のあぜ道から接近する
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意外と損傷は多い
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モルタルの下に煉瓦が覗く
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通気口の跡だろうか
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背面部に窓は無い
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電灯用の碍子が金具に残る
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この面は破損が少ない
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真横から
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正面には機銃掃射痕が多数残る
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正面は意外とボロボロだが、機銃掃射のせいだけでは無いだろう
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入り口前はコンクリートが敷かれている
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庇か何かの基礎だったのか、アンカーが並ぶ
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左角はボロボロだ
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入口を潜る
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天井は爆風を逃がす為に木造だったのだろう、何も残っていない
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弾薬庫内左側
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煉瓦に木材が埋め込まれている、棚でも付けていたのだろう
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右側も同様
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弾薬庫からこのあぜ道を通り、道路に復帰する
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道路を北上して行く、出っ張った家を越えると
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アパートの様な建物がある
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新町区公民館だ
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この入り口に何の説明も無いが海軍マンホールが展示してある
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その後ろにグランドがあるが、どう見ても不釣り合いな転圧機?が二つある、遺構かどうかは知らない

このコースで回れば最短で基本的な遺構は全て見れるだろう、歩いて回れる範囲だ
他にも国道312は滑走路の一部であり、舟山の山中に機銃砲台の塹壕があり、峰山町新町に通信所の壕が3か所中2か所現存するらしいが、場所は全く判らない。