大倉山海軍気象部第5分室

昭和7年(1932)に「大倉精神文化研究所」の本館として創建された大倉山記念館に海軍気象部分室が移転してきた。
この地は高台で、電波状態が良いとされたのが理由らしい。
大東亜戦争末期の昭和19年に、当時の大日本帝国海軍気象部が記念館を借り上げ、100人を超える部隊が移ってきた。
4月10日付けで「予想セラルル敵空襲ニ対スル応急対策トシテ」研究所借用の照会をしている。
昭和19年8月31日に海軍気象部員百余名が下検分に来所し、9月1日より移転してきました。気象情報は重要な軍事機密であり、気象部が何をしていたのか、外部にはまったく教えられていなかったようである。

 『気象百年史』によると、海軍気象部の本部は、東京駿河台のYWCAのビルに置かれ、その他にも神田周辺に多数の分室が作られた(分室は全部で7ヶ所)。
昭和19年6月、海軍気象部は大倉精神文化研究所を最後の拠点とすることに決め、大倉山に第5分室を設置する。
大倉山には気象部員によりH字形水平壕が掘られた記述がある。
 気象部隊は千島や北海道の海岸に発生する海霧の研究をし、海軍の作戦行動の妨げにならないよう、発生のメカニズムや予報の研究を行った。
海軍気象部特務班は外国の気象通信(暗号電文)の暗号解読が任務だった。
アメリカの暗号を解読するA一班・A二班、ソ連の暗号を解読するS班の3班に分かれて作業を行った。
暗号の解読室は、現在のギャラリー入り口辺りの研究室らしい。
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大倉山駅からすぐの、大倉山公園内にある
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現在の横浜市大倉山記念館である
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基本的には3階建ての西洋建築
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ギリシャ風
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横から見ると、窓の多さに驚く
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研究所入り口
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扉はヒンジを見る限り、近代の付け替えのようだ
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ポーチ周りは当時からのデザインだろう
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「村山用水」の防火用水桶が裏返しになっていた
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裏から見ると、かなり複雑な建物だ
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取り合えず中に入ろう
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入ると内部も複雑な造りになっている
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白黒の部分は大谷石で出来ている
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上を見上げる
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外から見た塔状の所まで、完全に吹き抜けだ
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様々な鳥獣が挟まっている
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とりあえず地下に降りて見る
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階段の裏側に「留魂礎碑」がある
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通路はあるんだが、なんか入っちゃいけない様な雰囲気があるので引き返す
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1階に戻った、重厚な扉がかっこいい
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何が隠してあるか、気になる扉、左上の覗き扉に萌える
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2階、3階と上がってみる
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特に何がある訳でもなく、普通の部屋が沢山ある、もちろん入れない
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付属図書館に入る
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もともとここに篭って資料あさりするのが目的だった
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中では現本をデジタル化する、アナログな作業をしていた
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こうゆう所には、こんな本がある
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資料はコピーも出来るが、部分的に購入も出来る
この資料の中に、気になる部分が有った

 海軍気象部は、大倉山を最後の拠点として戦争を戦い抜こうと考えており、大倉山の中腹には、気象部員の手によって、H字形水平壕と呼ばれる防空壕が掘削されました。
壕は昭和20年7月末までに、予定の3/2、約115mまで掘り進んだが終戦で使用されずとある
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大倉山は公園化されており、発見は困難だろうとゆうか、当然埋めたと思われる
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梅園などを眺めながら軽く捜索すると
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なんか開いている
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カメラを突っ込むと、地下壕だ!しかし今日は普通の格好だどうする?
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結局入ってしまった
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そこそこ綺麗に掘ってあるが10mも無い防空壕だった
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コの字形の先は埋没
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早々に脱出する

しかしこれでH形水平壕も残っている可能性が、僅かだが有りそうな気がする。
いずれまたチャレンジしてみようと思うが、住宅と公園化で捜索もかなり困難だろう
この後も付近を捜索するも、空振りだった。
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