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海軍省艦政本部地下壕探索 その1

海軍省艦政本部とは、海軍の艦船、機関、航空機を除く兵器の技術行政を主に行う部門
慶応日吉キャンパスに連合艦隊司令部の地下壕がある事は有名だが、東急東横線を挟んだ
箕輪の夕日山、現在の日吉の丘公園の下に海軍省艦政本部がある事は、あまり知られていない
今回はややこしい繋がりをたぐり、地権者に交渉、許可を頂いての入壕が叶った
通常は保存会ですら入れないので、ラッキーだった。

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まずは日吉キャンパスの簡単に見える遺構を周る
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この男が、楽しみ過ぎて風雨の中も気にせず、前夜からやって来たので御案内となった
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チャペル、1944年より軍が外国ラジオ放送の傍受、翻訳に使用していた
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耐弾式竪穴坑、30m下にある地下司令部への入り口の一つ
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明らかに怪しい人と距離を置きつつ誘導しながら着いて行く
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日吉台地下壕見学会の入り口を観て、本題の艦政本部に向かった
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突入を開始するが、壕内は入り口から深く水没している
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事前情報を受けている自分等は、ウエイダー装備で問題無いが、膝上まで水深があるので長靴では無理
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中心辺りに木の板橋が有るが、腐っており下手に踏むと折れてコケル
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数十メートル歩いても、一向に水が引かない、枝坑を左に折れる
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コンクリートの壁面に、急造丸出しのあて木の跡が当時の状態を表している、連合艦隊司令部地下壕は1944年11月から機能し始めるが、艦政本部は1945年8月14日完製で未使用であった
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E坑道への接続部
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この壕はA~Jまでの10本の坑道を横の枝坑で接続している(E坑道の2つ目の接続部って記号)
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E坑道の壕口方向を見ている、入り口方向は絞られて、坑口が崩れないように空間を少さくしている
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逆側に進む
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床の真ん中には、排水溝が切ってあって踏み外したら危ない
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A~Dまでの坑道は埋め戻しによって、入る事ができなくなっている
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やっと水が引けた所に上陸
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蓋が腐ってか盗まれてか分からないが無くなっているので、足元注意だ
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反対側の終端部、坑道によって長さは違うが50m~70mぐらいだろう
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横の枝坑には、トロッコ軌条が残っている
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天井の電気配線を付けるための木材、未完成の為、釘を打った様な形跡が殆ど無かった
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E坑道終端部、コンクリではなく、粘土質の土を圧接して壁にしている
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終戦直前に、ここまでコンクリートを使用している地下壕は珍しい
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珍しく床にコンクリートがある
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その下には盗れなかったのだろう、トロッコの枕木が一本
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黒ずんだ碍子が一つ、これが唯一の残留物だった
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F坑道は短い
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終端部は何故か右に曲がって上部への抜き穴になっていたようだ
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ここからJ坑道にかけては、素掘りの部分が増えていく
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接続部でコンクリートは切れるが高さ3m幅5mほどの大きな横坑だ
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途中からコンクリートが復活する分岐路のためだろう
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当時の木枠が天井に残っている
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ここは唯一横の枝坑同士を繋ぐ更なる枝坑がある、そして枝坑の一本が何故か埋め戻しされている
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G坑道への接続部にある謎の遺構
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奇妙な形をした「悦子」
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天井の穴からここに水が滴っている
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集水桶の一種のようだが、不恰好過ぎて何とも言えない
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トタンの波板で型枠を当てたのだろう、一部には金属も使用されている
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G坑道終端部、窄まり具合はいっしょのようだ
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その横のH坑道への横坑、しゃしんで良く見る風景だ
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セメントが足りなくなった為、空襲で焼けた田園調布から、大谷石を運んで来て間に合わせにした部分
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戦後の混乱時、石材として更に盗み出され、崩れて来ないように間隔を開けて残されている
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このせいで壕内の強度が確保出来ず、公開がされないのだろう
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H坑道に入ると、完全に素掘りのままの状態だ
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坑道も真っ直ぐとは言いがたい
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窪んだ部分にコンクリートの台座が引かれている場所がいくつかある、何だろう?
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排水溝も真ん中ではなく、両側になる
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何故か未完成の素掘り部分に変わった遺構が残っている、集水桶だ
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砂や玉砂利でろ過して飲み水にしていたようだ、床が水の流れで削れている
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壁から抜き出して来ただろう、大谷石が何故か積まれている
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投機性の土管を建てたおの
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ろ過に使っていたのだろうか?金属製の漏斗状の物が落ちている
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この管でろ過された水を集めて採取していた様だ
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