日立航空機立川工場及び立川飛行場

都立東大和南公園の中に日立航空機立川工場の変電所が残っている、2001年までは給水塔も
残っていたが解体された、一部のみ変電所の前にモニュメントとして保存されている。
実際はただの軍需工場の変電所なのだが、機銃痕の残る建物として、結構有名だ。
東京瓦斯電気工業を合併した富士自動車(後の小松ゼノア)立川工場の変電所として平成5年まで
稼動していた(もちろん内部設備はそれなりに更新されている)。
DSC01016_R.jpg都立東大和南公園のグランド前にある
DSC01018_R.jpgこれ全部機銃掃射痕、どんだけ撃たれているのか数えたくなる
DSC01017_R.jpgまずは足元を見る
DSC01019_R.jpgこれは変電所で実際に使用していた部品類を埋め込んだ物だ(戦時中の物かは不明)
DSC01020_R.jpg建物内部には立ち入ることはできないが毎年2月には変電所1階にて多摩史跡写真展が開催される際には、一般に開放され内部を見ることができる。
DSC01021_R.jpg1995年に東大和市の史跡に指定[2]され東大和市が保存・管理をおこなっている。
DSC01022_R.jpg登って見たかった
DSC01023_R.jpgこの工場は3回空襲を受けているそうだ、その時の傷跡
DSC01024_R.jpg柵の内側で近寄れない
DSC01025_R.jpg被爆アオギリ二世
DSC01026_R.jpg3回の爆撃で、111人が死亡したそうだ(旧の文字は後彫りか?)
DSC01027_R.jpg右側から全景
DSC01028_R.jpg階段
DSC01029_R.jpg鉄格子でも、有ったのだろうか
DSC01030_R.jpg排気筒か?雨どいは隣にある
DSC01031_R.jpg衝動を駆られる物発見
DSC01032_R.jpg屋上に登れる梯子がある、流石に通報されるだろうな
DSC01033_R.jpg裏面には機銃痕は少ない
DSC01034_R.jpg説明の無い謎の壁、外壁だった一部だろうか?
DSC01035_R.jpg位置関係(手前が壁)
DSC01036_R.jpg給水塔内側
DSC01037_R.jpgこうして見ると、正面はほんとに穴だらけ
DSC01038_R.jpg変電所時代のモニュメント
DSC01039_R.jpg不明のエンジン(説明なし)
DSC01040_R.jpgプロペラ径より、かなり小型機と思われ
DSC01041_R.jpg中央がプロペラ
DSC01042_R.jpg以下モニュメント
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DSC01049_R.jpg以下F6F、P51による機銃痕
DSC01050_R.jpgB29、101機による爆撃痕もあるだろう
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DSC01054_R.jpg日立航空機立川工場の変電所を後にする

続いて、立川飛行場関連遺構を見に行く。
立川飛行場自体は、概ね現在の立川駐屯地になるが、周辺に陸軍施設が密集していた、国営昭和記念公園などは、陸軍航空技術研究所だったが、その周辺は陸軍航空工廠だった。
しかし、現在確認できる遺構は、殆んど無い。
DSC01055_R.jpg立川飛行機周辺に到着
DSC01056_R.jpg東中神駅東の踏み切り前に向かう
DSC01058_R.jpgフェンスに囲まれた広い土地がある
DSC01059_R.jpgかつての立川飛行場の門らしい
DSC01060_R.jpgコンクリート壁は線路に沿ってつづく
DSC01063_R.jpgフェンスの内側を覗く
DSC01064_R.jpg何とか門の兆番が見える
DSC01066_R.jpg引込み線の遺構を探しに住宅街に、一方通行で狭い道
DSC01067_R.jpgあったが、車を停める所が無い、辺りを見計らって車を乗り捨て、ダッシュで撮る
DSC01068_R.jpg立川基地引込線跡説明板
DSC01069_R.jpg文字だけUP
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DSC01072_R.jpg当時もここで分岐していたそうだ
この右の道を進むとフェンス沿いの道に出るがその中にコンクリート基礎の遺構が見受けられたが、今度こそ
車が停められないので、あきらめた。
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