記念艦 三笠

この項目は、船舶にしようかその他にしようか迷ったが、時間が無いから戦跡にした
三笠(みかさ)は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。奈良県にある三笠山にちなんで命名された。船籍港は京都府舞鶴市の舞鶴港。同型艦に敷島、初瀬、朝日。
1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。現在は、神奈川県横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されている、当初は東京芝浦に廻航する予定だったが、関東大震災により岸壁に衝突、応急修理のままであったウラジオストク沖での破損部位から大浸水を起こし、そのまま着底してしまった為に急遽横須賀に変更し、舳先を皇居に向けて固定しコンクリートで固めた。
なお、下甲板以下は、ワシントン軍縮条約に基づきコンクリートや土砂で埋められている。

これ以前にも三笠は、佐世保港内で後部弾薬庫の爆発事故のため沈没した事がある。
この事故では339名の死者を出した。弾薬庫前で、当時水兵間で流行していた「信号用アルコールに火をつけた後、吹き消して臭いを飛ばして飲む」悪戯の最中に、誤って火のついた洗面器を引っくり返したのが原因とする説や下瀬火薬の変質が原因という説もある。

三笠の不運は2回の沈没だけに留まらず、戦後のアメリカ軍人のための娯楽施設が設置され、「キャバレー・トーゴー」が艦上に開かれるという状態にあった。
さらに戦後の物資不足より、主砲を含む兵装や上部構造物はおろか、取り外せそうな金属類は機関部に至るまで、ガス切断によって全て盗まれ、チーク材の甲板までも薪や建材にするために剥がされているという荒廃ぶりとなった。
また、横須賀市から三笠及び周辺地の使用を委託された民間企業は、上甲板構造物を撤去した跡に、水族館、ダンスホールなどを設け、「三笠」を遊興施設に変えただけでなく、三笠の近くに保管されていた大砲、マストなどを売却してしまった。

しかし復元にあたり、アメリカ軍が撤去した記録が残っているものは、ほぼすべてが完全な形で返還されるとゆう幸運もあり、さらにチリ海軍の戦艦「アルミランテ・ラトーレ」が除籍され、翌年日本において解体される事となったとき、チリ政府より部品の寄贈を受けるというラッキーもあった。
lucnch_R.jpgイギリスのヴィッカースに発注されバロー・イン・ファーネス造船所での進水式、船首の衝角が見える貴重な1枚
maxresdefault_R.jpg明治35年7月に舞鶴に到着
浦潮埠頭ニ於ケル軍艦三笠_R浦潮埠頭にての一枚
p02L_R.jpg日本海々戦の前年三笠は黄海々戦で、後部二連装主砲の一門を破壊された、余談だがこの破壊された砲身から日本刀が作られ、三笠刀と言われ海軍士官の間で大人気の刀剣となった。
t15-mikasa_R.jpg降ろされた前部主砲、艦首方向に現米軍基地の埋立地はまだ無い
三笠」復元50周年_R三笠50周年時
img_577856_31053723_1_R.jpg戦後もっとも悲惨な時期
1_20130629210910.jpgもはや船だとも思えない
5adfcffcaa7b57b6a7607eeed969d4a0_R.jpg現在のほぼ同アングル、良く治した物だ
DSC02345_R_20130629211636.jpgでは、外回りから見ていこう
DSC02346_R_20130629211638.jpg左舷船尾付近に展示物がある
DSC02347_R.jpg東郷〇と彫ってある様だが、判別不能
DSC07017_R.jpg一際目を引く白塗りの弾
DSC02348_R_20130629211641.jpg46cm砲弾、東郷平八郎は晩年、「日本海軍の100発100中の大砲は1門、アメリカ海軍の100発1中の大砲100門と同じ価値がある」と訓示したそうだ。
DSC02349_R.jpg日清戦争の戦利品
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DSC07016_R_20130629213408.jpg軍艦行進曲歌碑
DSC00758_R_20130629213409.jpg左舷側の砲列
DSC00760_R_20130629213410.jpg艦橋付近
055.jpgガキの頃はここから潜り込んでいた、もう時効だろう
DSC07520_R.jpg海上より右舷を見る
DSC07019_R.jpg主砲は中々いい感じ、ハリボテコンクリート砲身には見えない
DSC00693_R.jpgでは、上甲板に上る
DSC00701_R.jpg目の前に後部主砲がある
DSC00700_R_20130629214650.jpg昔はこの辺に被弾箇所のマーキングがあり判りやすかった(他所のも消された)
DSC00696_R.jpg船内への出入り口(基本帰りに登ってくる)
DSC00697_R.jpg係留ロープを巻く施設
DSC00702_R.jpg本艦暦
DSC00703_R_20130629215608.jpg三笠主砲弾
mks14_R.jpg足元に落ちている
DSC00704_R.jpg案内図
DSC00705_R_20130629215611.jpg無線室
DSC00706_R.jpg案内板
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201203101741501cd_R.jpg少し変った
DSC00708_R.jpg被弾鉄板雪見燈篭
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DSC00710_R_20130629222045.jpg
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DSC00716_R_20130629222220.jpg御トイレ
DSC00717_R_20130629222222.jpg上に登る(マストではない)
DSC00718_R_20130629222224.jpg短艇(水雷艇も積んでいた)
ded3fde7-s_R.jpg旅順で機雷敷設より戻らなかった水雷艇
c7163237_R.jpgちなみにこの当時は、戦艦も魚雷発射管を備えている(三笠の左舷魚雷室)
DSC00719_R_20130629222227.jpg司令塔
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DSC00721_R_20130629224348.jpg内部
DSC00722_R_20130629224350.jpg米軍基地を狙う主砲
DSC00725_R_20130629224812.jpg艦橋
DSC00724_R_20130629224809.jpg操舵室
DSC00726_R_20130629224814.jpg60cm信号探照灯
DSC00727_R_20130629224815.jpg測距儀
DSC00731_R_20130629224816.jpg伝声管付き
DSC00728_R_20130629225749.jpg戦闘艦橋
9309bd00adfad0a7f960d8698fe07656.jpg立ち位置、東郷長官の足は一歩も揺るがず、事後靴の形に全く濡れていなかったと言われる
togo.jpg有名な絵
DSC00732_R_20130629225756.jpg艦橋を降りる
DSC00733_R_20130629225757.jpg前甲板へ
DSC00736_R_20130629230341.jpg艦首先端より
DSC00738_R_20130629230344.jpg30.5cm主砲
DSC00737_R_20130629230343.jpg副錨(予備)
DSC00739_R.jpgマントレット
DSC00741_R_20130629230722.jpg副砲室
DSC00742_R.jpgハンモック
DSC00743_R_20130629230725.jpg砲員の働き
DSC00744_R_20130629230726.jpg副砲 40口径15.2cm単装砲14門
DSC00745_R_20130629231358.jpg居住区
DSC00746_R_20130629231359.jpg航海長室
DSC00747_R_20130629231401.jpg参謀長公室
DSC00750_R_20130629231402.jpgベット兼たんす
DSC00751_R_20130629231403.jpg長官バスタブ
DSC00752_R_20130629231920.jpg長官室
DSC00753_R_20130629231922.jpgゲストルーム(対水雷艇砲付き)
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DSC00756_R_20130629231926.jpg
DSC00757_R_20130629231928.jpg主砲構造
DSC00758_R_20130629232921.jpg三笠を後にする

中甲板に資料室があるので、興味のある人はどうぞ!
また、上甲板にもビデオルームがある
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