海軍通信学校(久里浜駐屯地)

海軍通信学校とは、大日本帝国海軍における術科学校の一つで、無線通信に関わる各級要員の教育、訓練、及び無線通信に関わる技術研究を行ったもの。
1903年(明治36年)2月に海軍水雷学校(横須賀田浦)に於いて無線電信術練習生として開始され、1918年(大正7年)に水雷学校電信部が成立する。その後、人員及び設備の規模が順次拡大するに従い、専門の術科学校が必要とされ、1930年(昭和5年)6月に海軍通信学校として独立するに至る。
以降、無線技術の発展及びその軍事利用の重要性の増大により、施設の拡大が必要となり、1939年(昭和14年)11月神奈川県久里浜に移転する。
1943年に海軍横須賀通信学校と改称されたが、終戦に伴い廃校となる。
歴代校長の中には、レイテ沖海戦での志摩艦隊で有名な志摩清英 中将もいる。

現在は陸上自衛隊久里浜駐屯地となっている、昭和25年警察予備隊発足とともに駐屯地(普通科)となる。
昭和 27年保安隊と改称、「保安隊通信学校」が創設される。
ちなみに警察予備隊発足時の2駐屯地の一つであり、自衛隊としては最も古い駐屯地である。
DSC09381_R_20130729212904.jpgみいつ橋、当時からかかっているらしいがウソだろう、過去の航空写真には橋げたが写っている
DSC09383_R_20130729212906.jpgこの隊門も古そうだ
DSC09388_R_20130729212908.jpg海軍通信学校跡碑
DSC09389_R_20130729212910.jpg裏側には志摩清英書と書いてある
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DSC09470_R_20130729215409.jpg当時の地下壕入り口
DSC09471_R.jpgあちこちにある
DSC09475_R_20130729215414.jpg古い井戸
DSC09477_R_20130729215416.jpg歴史館
DSC09478_R.jpgその前には海軍止水栓がある
DSC09479_R_20130729221655.jpg精神注入棒
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DSC09545_R_20130729225119.jpg戦時中の地下壕図、入りたいが入れない
DSC09556_R_20130729225902.jpg昭和41年の航空写真
DSC09557_R_20130729225903.jpg最初の方で紹介したコンクリートの壕口辺り
DSC09558_R_20130729225905.jpgこっちの山にも壕口が見える
DSC09559_R_20130729225906.jpgこの写真には橋げたが写っている、その上の艇庫は車庫として現存
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DSC09611_R_20130729231454.jpg本庁舎内
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DSC09610_R_20130729231633.jpg退避壕跡
DSC09612_R_20130729231634.jpg元艇庫
みいつ橋_R以前はも少しおしゃれだった
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img021.jpg
同期の櫻様から写真を提供して頂いたので、追加する。
1枚目の正門は「写真ではよく見えないのですが看板が警察予備隊となってます」との事
2枚目は「入口にある無線塔は終戦後少し低くしたそうです」
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父の履歴について

私こと、父親の竹下秋彦(明43年生まれ・終戦時海軍中尉)の履歴書に、昭和11年8月、第四十六期高等科電気術練習生トシテ海軍工機学校ニ入校ヲ命スの記述があり、その件について調べたいのですが、そのような記録は残っているのでしょうか。
 神奈川県南足柄市に住まいしていますが、貴所をたずねることで何かわかりますか。申し訳ありませんが教えてください。竹下勉

竹下様

始めまして、竹下様
お父様の履歴ですと、通信学校(久里浜)ではなく、工機学校(現米軍基地及び神奈川歯科大学周辺)だと思われます。
敗戦により、大分資料は焼却等の遺棄をなされましたが、現存部分は防衛省に保管され、一般人でも閲覧可能になっておりますので、そちらに閲覧に出向いてみては、いかかでしょうか?
おそらくは、電話での問い合わせには対応してくれないと思うので、直接訪問する事になると思いますが、当日閲覧は可能と思われます。
電話で趣旨を事前に説明できれば、資料を探してくれるかも知れません