第一海軍技術廠支廠

貝山地下壕 その13 (海軍航空技術廠)が第一海軍技術廠であり、その支廠が今回紹介する第一海軍技術廠支廠となる、大戦末期に海軍航空技術廠は金沢区の釜利谷に兵器部と爆弾部を主体とした支廠を設けることとなった。
今までの海軍航空技術廠は電波、音響部門を独立させた「第二海軍技術廠」も分離したので大きく3つに分かれた事になる。

支廠は、開設当時は、総務部、会計部、医務部のほかに、兵器部、爆弾部の2作業部であったが、その後の新設改変により、最終的には、射撃部、爆撃部、製鋼部、雷撃部、火工部、光学部、計器部、電気部の8作業部となった。
一般的には六浦地下軍需工場その2(本坑)の方が有名であるが、これだけでは無いのだ、現在見れる遺構としては①六浦海軍貯水池、②防空機銃砲台、弾薬庫壕、が見る事が出来る
俗にゆう六浦地下軍需工場以上に馬鹿でかい壕があるのだが、現在は入る事が出来ない。
この他にも山の先端部にある③手子神社には現在は入れなくなったが、多くの壕口が見て取れる
また、近くの④釜利谷第二公園には、第一海軍技術廠支廠跡記念碑が立っている。
P1020138.jpg ①六浦海軍貯水池 ②防空機銃砲台 ③手子神社 ④釜利谷第二公園
P1020135.jpg①六浦海軍貯水池は上空からでも見る事が出来る(真ん中)、通称4つ池と地元では言われる
P1020137.jpg地図にもはっきり記されている
DSC03850_R_20131124192030a7d.jpg目的の上り口はここ、グラースの森と言われる所だ
DSCF6193_R.jpgひたすら鬼のような階段を登る、画像は極一部
DSC03851_R.jpgこれが遺構のある山だ、後にこの画像はまた使う
DSC07665_R_201311241928167a9.jpg崖の下に貯水池が見えて来た
DSC07666_R_20131124192818236.jpg横から見ると実にキレイな造りをしている様に見えるが、ここだけである
DSC07667_R.jpgこのように4つに区切られているが、未完成の貯水池だ
DSC07669_R.jpg石垣とコンクリート壁が交互に並ぶ
DSC06256_R_201311241936200c1.jpg取りあえず下に降りて行く
DSC06257_R_20131124193621bf4.jpg基本的には全周金網で囲まれているが、一箇所だけ開いている
DSC06260_R_2013112419362379e.jpgしかしそこには落ちて来た落石が鎮座し、乗り越えなければ先に進めない
DSC06265_R_20131124193625e02.jpg乗り越えた方向を振り返りと、降りて来た崖が見える、割りと高かったようだ
DSC06270_R_2013112419455912e.jpg幅は50cmほどあり、余裕で歩ける
DSC06268_R_2013112419455365f.jpg鉄製の梯子があるので下に降りる事が出来る
DSC06269_R_2013112419455735b.jpg時折魚が跳ねている
DSC06264_R_20131124194551d05.jpg水鳥もいる
DSC06275_R.jpgこのアーチを見る為に、降りてみるのも悪くない
DSC06276_R_20131124195128127.jpg上から見るとこんな感じ
DSC06279_R_20131124195130f98.jpg貯水池自体はほぼ完成しているが、ここからの水路が出来ていない様だ
DSC06280_R_20131124195132ce9.jpgさてそれではまた、枝に掴まりながら崖を登る
DSC06281_R.jpg貯水池の反対側に行く、全面コンクリートでは無い様だ
DSC06282_R.jpg割りと深い通路が掘られている
DSC06283_R_20131124195820390.jpg建物が有ったのか、コンクリート基礎も見受けられる
DSC06284_R.jpg通路のクランク部分
DSC06285_R_20131124195823d1b.jpg曲がった後は、埋っているのか登って平地に戻る
DSC06286_R_20131124200550daf.jpg通りすがりの斜面にあった壕跡
DSC06287_R_201311242005521d4.jpgもう一つあった
DSC06288_R_20131124200554145.jpg下まで降りて来た
DSC03851_R.jpg先に使った写真のあたりに下りて来る、この崖の前の空間が射場になる
getimage1.jpg右下の丸い部分が2枚目の写真のアンテナの所になると思う、図の上面はニューライフ金沢文庫の造成で削り取られ、道も変わってしまっている
DSC06289_R_20131124202720ec5.jpg塞がれてはいるが、大型の壕口が確かに地下工場の存在を語っている
DSC07679_R.jpg手前の方にも壕口を見る事が出来る
DSC07678_R.jpgわりと大きい壕口だが埋め戻されている
DSC07681_R_20131124203040aec.jpgもっとも手前の壕口は完全封鎖
DSC07682_R.jpgヌコが見ている
DSC03852_R_201311242035441c3.jpgまた山に登り、②機銃砲台と言われる遺構にやって来た、「坂井久能著「名誉の戦死」に、「東急車輌製造(株)西側山頂の防空砲台跡」という遺構が掲載されています」とHAL様から情報を頂き、機銃砲台であるとの裏付けが取れた
DSC03854_R_20131124203546691.jpgこれは砲座下側の弾薬庫と言われる部分
DSC03856_R_201311242035483df.jpg通り抜けると砲座に出る
DSC03857_R_201311242035496cb.jpg全体図、弾薬庫直通とは機能的である、他に類を見ない構造だ
DSC07662_R_2013112420485927f.jpg恐らく13mmか25mmの単装機銃砲座と思われる
DSC07664_R_20131124204901cc5.jpg弾薬庫は小さく、部屋とは言えない窪みがある程度だ(人物比 東雲みょん氏)
DSC07675_R_20131124213939c8f.jpg途中の山肌には、弾薬庫がある
DSC07676_R.jpg入り口には金網や枝などが捨てられている
DSC03867_R_20131124213943f92.jpgL字に曲がって終息
DSC03868_R_20131124213944125.jpg壕口の半分は土嚢で塞がれている
DSC03869_R_201311242139479b6.jpg壕の下にはここへの軍道らしき道がある
CIMG1175_R.jpg山を降りて、③手子神社に向かう
CIMG1178_R.jpg神社自体は戦跡に関係無い
CIMG1172_R.jpg手子神社手前の交差点から壕口が見える、1mほど前の道が高くなっている様だ
CIMG1173_R.jpg地下工場の反対側になる
CIMG1174_R.jpg物置の裏にもある
CIMG1183_R.jpg④釜利谷第二公園に向かう
CIMG1179_R.jpg場所
CIMG1180_R.jpg第一海軍技術廠支廠跡記念碑
CIMG1181_R.jpg裏面
CIMG1182_R.jpg錨と桜が何ともいい

今回の記事はまったくUPするのを忘れていた部分を適当につなげ合わせてみた、HAL様に言われるまで
本当に自分では上げているつもりでいたのだ、恐らく機銃砲台の裏付けが無かったので、先送りにしていたのだろう、②の機銃砲台の位置は適当であって、ピンポイントではない、山道なので特定不能なのだが、基本一本道なので迷う事は無いだろう。
貯水池は危険が伴うので外から見るだけが良いだろう、機銃砲台は現在子供の遊び場として後世を過ごしていた。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

No title

貯水池に降りていったのは面目躍如ですね。
鉄製のはしごがあるというのは新発見だと思います。

No title

>HAL様
この記事の写真は、3~5年前ですので、フェンスなどは修理されているかもしれませんね

トラックバック

手子神社近く謎のトンネル その2

こちらの続きです。2011年夏に県立金沢文庫で「大横須賀と金沢」という企画展があ