fc2ブログ

三方原飛行場

先日、航空自衛隊 浜松広報館に行った時に付近の遺構も探索した。
現在の航空自衛隊浜松基地は、旧陸軍浜松飛行場の一部を使用している、現在の滑走路は当時の唯一舗装していた滑走路を、補修、延長して使っている。
基本的には浜松陸軍飛行学校として開校し、重爆飛行隊の戦技訓練、調査研究、教育普及、関係兵器の調査・研究・試験などでの目的で、建設された。
後に戦局の悪化から、浜松教導飛行師団と改名し、実戦部隊へと変わっていく
浜松飛行場の滑走路(未舗装)は広大で、360度風向きにより何処からでも離着陸出来る様になっていた
その滑走路の上から誘導路により繋がったもう一つの飛行場があった。
第7航空教育隊と三方原教導飛行団が置かれていた、三方原飛行場である
なんとこれは毒ガス戦用の独自部隊であり、実際に中国戦線で毒ガス弾を使用している
敗戦にともない毒ガスは浜名湖などへと投棄され、のち遠州灘に再投棄された。
この時投棄されたドラム缶などが、近年でも浮上し発見した漁師や埋っているドラム缶のふちに触ってしまった人が火傷の様なただれた状態になり、死亡した例もあるとか・・・・・
自衛隊による掃海、探索なども幾度と無く行われたが、投棄場所の特定資料が無く、未だに相当数が湖底か地底に埋没している。
この付近の古いドラム缶にはヘタに触らない事だ。
DSC00650_R_20131202205342838.jpg地図を頼りに現地に行くが、それらしい物が見当たらない
DSC00651_R_201312022053430b7.jpg探し回っていると、民家の庭に丸い物が見える
DSC00653_R.jpgちっさ!!、(第一印象)
DSC00655_R_201312022053468b6.jpgまる!!(第二印象)
DSC00659_R_2013120220534842b.jpgうす!!(第三印象)
DSC00660_R_20131202210351e82.jpg家人のいぬ間に庭先に侵入
DSC00661_R_201312022103525a3.jpgコンクリートが薄いので、かなり亀裂が走っていた
DSC00662_R_20131202210354341.jpg縁や庇が無いから薄く見えるが、本来こんな物なんだろうか
DSC00663_R_20131202210356c63.jpgこの壕はゴザも引かずに直接土にコンクリートを盛って、掘り抜いた様だ
DSC00665_R_201312022103570f1.jpg雑さ爆発の急造掩体壕
DSC00667_R.jpg中に入ると、零戦1機ぐらいなら楽に入る大きさだった
DSC00668_R_2013120221150017b.jpg表面は板張りで流れ止めしていた様だが、面取りも何も無い
(ちゃんと呼び鈴鳴らして、許可を頂いて立ち入っています)
DSC00678_R_2013120221214302f.jpg次は自衛隊官舎に立ち寄った
DSC00677_R.jpgヘタに入ると怒られます
DSC00669_R.jpgここには一対の隊門が残っている、奥には毒ガス製造・貯蔵施設の遺構が残っているそうだ
DSC00670_R_201312022121374cd.jpgこの官舎はつい最近リニューアルしたてで、遺構が残ってるかは不明
DSC00674_R.jpg隊門には、表札掛けが残っている
DSC00679_R_201312022131381db.jpg次は半田町に作られたトーチカの跡を見に来た
DSC00682_R_201312022131411c3.jpg道路から丸見えの、こんな所にって場所にある
DSC00680_R_20131202213139298.jpg表面は弾痕も無く、キレイな状態だ
DSC00685_R_20131202213142504.jpgコンクリートの分厚さが伺える銃眼だ
DSC00684_R_20131202214206395.jpg向かって左側のフック
DSC00686_R_20131202214208cc5.jpg右側、通常時は無人で、銃眼にはこれを使って蓋がされている
025.jpgトーチカ内から外を見てみる
DSC00688_R_201312022142116e3.jpg裏には戦跡には関係無い「法源堂」がある
DSC00690_R.jpgトーチカの事がちらりと書いてあった
三方原飛行場 半田トーチカ
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

No title

トーチカ内部からのアングルいいですね~ しかしあの狭い中に入ったのですね、流石です。

No title

>空母欲奈さま
狭いけど、がんばりました!なせばなる。

No title

この掩体壕は知りませんでした・・・
掩体壕マニアとしては行かねば!

No title

>kan様
「静岡県の戦争遺跡を歩く」という本に写真が掲載されており、極簡単な説明が書いてあります。
グーグルマップの航空写真で豊岡地区をしらみつぶしに探して、特定できました。
付近の幼稚園には監的跡が園庭の小山として残ってますが、幼稚園なので遠慮しました、第7航空教育隊の門柱や、長池なども有りますが、時間が無く寄っていません。
ご訪問のおりに、探して見ては?