若獅子神社(陸軍少年戦車兵学校)

陸軍少年戦車兵学校 は、静岡県富士宮市にあった陸軍の教育機関の一つである。
千葉陸軍戦車兵学校内に「少年戦車兵学校」として発足、後に分離、この地に移転する。
昭和18年当時、戦車は約80両、自動車類も数十両が配備されていた。
一期生は150名募集のところに8229名が応募があり、実に55倍の競争率であったそうだ。
機甲部隊の拡充強化のため、14歳から19歳の少年が2年間かけて育成が行われたが戦局の悪化に伴い
1年半、1年、最短では11ヶ月で繰り上げ卒業となり、沖縄戦などに投入された。
教職員は1550名、延べ4000余名の少年が学んだが、戦死者は教員含み600名を越える
五期生のうち270名はヒ八一船団にて輸送中、五島列島沖・済州島沖で雷撃を受けて空母神鷹、あきつ丸、摩耶山丸などが撃沈され、多くの少年兵が、船と運命を共にしている、途中で台湾の部隊に赴任した約20名を除けば、生還者は9名のみである。
フィリピンのバギオでの戦闘において、「戦車特攻」が行われ、2両のうち九五式軽戦車1両には少年戦車兵3名が乗車、米軍M4中戦車に突撃・自爆している。
この他にも、激化した訓練により、2名の死亡者が出ている。
陸軍少年戦車兵の教官、生徒六百有余を祭神として祀るのが、この若獅子神社である。
サイパンの戦いにて使用された九七式中戦車(チハ車)が置かれているが、戦車第九連隊第三中隊所属の物で
同じく戦車第九連隊所属で、同時期に帰還したもう1輌は現在、靖国神社の遊就館に修復され展示されている
DSC00090_R_20131214214219a1d.jpg道路に立っている案内板
DSC00149_R_2013121422073863c.jpg銘の無い門柱
DSC00091_R_2013121421422164c.jpg神社入り口の前面コンクリートは車廠のあった辺りだ
DSC00092_R_20131214214223299.jpg若獅子神社入り口、基本社務所には誰もいない
DSC00093_R_20131214214224ee1.jpg神社の由来(下が黒くなってしまった)
DSC00094_R_20131214214225bd1.jpg慰霊碑(若獅子の塔)
DSC00095_R_20131214215451618.jpg白い獅子はちょっと・・・・
DSC00096_R_201312142154523be.jpg塔の説明
DSC00123_R_2013121421545484d.jpg左側の碑
DSC00124_R_20131214215456146.jpgDSC00125_R_20131214215457574.jpgこの内700名は、訓練途上につき卒業していない(8月に休暇と称し解散している)
DSC00127_R_20131214220602789.jpg構内図
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DSC00148_R_20131214220736427.jpg拡大しておく
DSC00126_R_2013121422060151f.jpg移設された正門
DSC00128_R_20131214220604292.jpg銘が残る
DSC00130_R_2013121422060592b.jpg左側の門柱、銘は無い
DSC00131_R_20131214220607500.jpg本来はこっちから入るようだ
DSC00701_R_20131214222315d6f.jpg神社入り口右側に
DSC00700_R_20131214222314bee.jpg移設された陸軍柱が立っている
DSC00702_R_2013121422231785e.jpg富士の絵が掘ってあるが何かのマークだろうか?
DSC00097_R_20131214223300156.jpg奥の方に九七式中戦車(チハ車)がある
DSC00105_R_20131214223308023.jpgこの屋根が着いたのは近年で、それまでは雨ざらしでボロボロになってしまった
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CIMG0422_R.jpg遊就館の同時期に帰って来たチハ車、扱いの差は歴然
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DSC00098_R_20131214223301096.jpg発掘時、内部から軍刀二振りと遺骨が回収されている
DSC00100_R_201312142250370f6.jpgかなりの部品が盗難されているらしい
DSC00102_R_20131214225039d11.jpg被弾箇所が白丸でマーキングされている
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DSC00716_R_20131214225927d11.jpg保存方法に激しく問題を感じるが、結局は公共の資金問題となるのだろう
DSC00719_R_2013121423051831b.jpg燃料油脂庫と言われる遺構
DSC00721_R_201312142305203c2.jpgモルタルが剥がれ、煉瓦がよく見える
DSC00725_R_20131214230521ff0.jpgお決まりのゴミ置き場
DSC00726_R_20131214231042c4a.jpgお墓の中にトーチカと呼ばれる物がある
DSC00727_R_20131214231044c88.jpg訓練用、もしくは退避壕と思われる
DSC00728_R_20131214231045439.jpg場所的には若桜神社があった所だ
DSC00731_R_20131214231048df9.jpg中は狭い
DSC00734_R_20131214231539576.jpg必中橋、オリジナルではなく架け替えられている
DSC00735_R_20131214231540526.jpgこの川沿いには他に案内板にもあるが、「忠節橋」「武勇橋」「信義橋」「礼儀橋」などがあったようだ
P1020201.jpg
冒頭の撃沈されたヒ八一船団に付いては講談社「機雷」光岡明著にも、触れられているので参考に

詳しくはkanレポートを参考に!
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コメント

非公開コメント

No title

奇遇ですね、実は私も先月行きまして\(^^) / しかし、車輪が回ることに興奮して明治の刻印見逃しました。 油脂庫、退避壕も。。。 これは再訪です!

No title

>
空母欲奈さま
自分も回して遊びました、明治ゴムの下の写真が回ってるところです。
あれだけボロ錆状態なのに、スムーズに回るところが奇跡ですね!

No title

ここの戦車は、そのままの状態で展示して、戦争の悲惨さを後世に伝えるための物だったような気がします(間違ってたらごめんなさい。)
太刀洗の97戦や、加世田の零偵も同じ考えで、そのままだったと思います。
まぁ、靖国のチハだって、今の就遊館が出来たから屋内ですが、以前は野晒しでしたからね。

そうだったんですか

>kan様
表面には光沢があるので、最低限のコーティングはしている様ですが、キャタピラ周りの剥がれ落ちた錆の塊を見ると、しのび難い物があります。
靖国は就遊館が出来てからしか、行った事が無いのですが、野ざらしだったんですか、知りませんでした。
ここにあると言う、50t戦車のキャタピラを見たいです。