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曲矢遠隔観測所、矢の津弾薬庫残存遺構

曲矢遠隔観測所は、昭和50年代ぐらいまでは残っていたようだが、現在は解体され住宅地となった
自分もガキの頃1度だけ行った事があるが、写真は当然撮っていない
以前同期の櫻様から頂いた写真を数枚参考にさせてもらい、紹介して行く
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頂いた当時の写真、全体像は無いが花立観測所とは、形状が異なる
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以前紹介した陸軍柱は、曲矢遠隔観測所の物の様だ
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4本見つけた
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第4踏切を渡り、観測所に給電していた電柱を見に行く
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一本目はここから入る
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ここには壕があるが、流石に入れない
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傾いた電柱発見
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旧軍の物であり、傾いていても東電では勝手に処分できないそうだ(住民の苦情より)
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ここにも機銃陣地があったとの情報に基ずき、山狩りをするが収穫なし、平坦地が僅かしかないのだ
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古いコンクリート柱を発見するが(いっぱいある)道界と掘ってある、道など無いのに
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山を縦断し、桜ヶ丘まで出てしまった、地元の利で裏道から大津に戻る
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縦断コースと(1から2へは住宅があって直に行けない)番号が電柱位置
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2本目、奥の山に傾いた1本目が写っている
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浦と彫られたコンクリート柱、裏には何も書いてなかったが?
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古い井戸はそこら中にある
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3本目、線路際にある
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矢の津弾薬庫に行く、写真は同期の櫻様より、⑫⑬は当時の残存遺構今は無い、馬堀町2丁目一帯が弾薬庫
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A地点に境界柱があり、B地点の駐車場に御影石の柱が大量に置いてある
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馬堀海岸駅から裏道を歩いて来るとこれは見える
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金属が抜かれたのか、閂があったのか不明
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住宅の狭間の境界柱
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鎖でも付いていたのだろうか?
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位置関係
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上から見ると庭にも生えていた
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駐車場から覗くと、斜面にもう一本残っている
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B地点の駐車場へ
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やたらにいっぱいある
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くぼみは有るのだが、穴や文字の類は何も無い
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関連性の真偽は不明である
同期の櫻様から、矢の津弾薬庫の物で間違い無いとコメントをいただきました
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最早宅地化され、当時の遺構はこれ以上判別出切る物は見つからなかった
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コメント

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ガセネタで申し訳ありません

調査お疲れさまでした。

軍用電柱ですが、調べると電柱には種類があるようですね。
電力柱・電信柱・共用柱等に分類されるようです。
この電柱は電信柱ではないでしょうか?通信用???
昔の電柱ですから昇り降りするための足場となるボルトが付いてませんから長い梯子を使い昇り降りをしたのでしょうね。
3本目の電柱発見したようですが、私は既に無いと思ってました。そうすると合計4本残っていることになります。3本目の先に○○さんの庭に1本残ってます。

浦と書かれた境界石ですが、現在は馬堀町ですが当時は浦賀町大津と呼ばれていたので浦賀町の境界石だと思われます。

御影石の境界石は矢の津火薬庫で使われていたもので桜ケ丘の造成中に抜いたものを駐車場の地主さんが業者から頂いたそうです。しかし、使い道が無いのであのように置いてあるようです。

ご苦労様でした。

同期の櫻


ガセとは限りません

下側にはキチンと軍隊堀りの壕がありましたから、一概には言えないでしょう
13mm単装機銃1丁でも、立派な機銃陣地と言えるでしょうから・・・
25mmと違い、簡易な装着ができるので、平坦地もそんなに必要は無いですし。

昔は普通に電信柱と言っていましたが、電信?とゆう所に違和感を感じていた所でした
やっぱり種類が有ったのですね!おかげですっきりしました。

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