海軍工機学校(機関学校)

海軍工機学校は、大日本帝国海軍における機関術・造船術の専門家を養成する教育機関のことである。
海軍機関学校を卒業した機関科将校の教育・研究・実験を推進する普通科・高等科・専攻科・特修科と、機関兵・機関下士官の訓練・実習を推進する普通科・高等科を設置し、技術者として必要な知識と技能の習得を図った。
1884年7月に、下士官相当の技官を横須賀造船所に派遣して実習を行ったのが機関教育の嚆矢である。

艦艇に乗船して機関を操作する機関工か、海軍工廠で造船に携わる船匠・鍛冶となるために教育を受けた。
海軍直属の技官を必要としない平時には、民間の技術者へ転出できることになっていた。
諸制度の変遷を経て、1897年9月に「機関術練習所」が開かれ、機関・船匠・鍛冶の3コースが設定された。

兵科の海軍砲術学校・海軍水雷学校と同時に「海軍工機学校」へ改編され、機関将校を学生、機関兵・機関下士官を練習生として教育を開始した。
しかし兵科よりも格下と見なされていた機関科に対する偏見が根強く、機関術・造船術に高等教育は不要とする意見や、練習生は訓練・実習さえ繰り返していれば事足りるとする意見が多かった。開校から僅か7年、1914年4月1日をもって、初代工機学校はあえなく廃止され、練習生の教育は機関学校に新設された普通科と高等科で継続することとなった。
石油専燃のボイラーやタービンが一般化し、航空機や潜水艦などの新兵器も急激に浸透した。これらの新技術や新兵器に対応すべく、機関学校での教育は重要性を増し、造船・造兵の現場では、質量ともに優れた技術者を多く求めるようになり、1928年6月工機学校が復活、復活前と同様、士官・准士官を「学生」、兵・下士官を「練習生」として教育した。
1941年4月に「海軍工作学校」が新設され、工作術の教育は工作学校へ移譲された。
1945年3月、機関学校の兵学校統合が完了したため、工機学校がその名を継承して新機関学校を名乗るとともに、大楠分校を本校に昇格することになった。横須賀校は学生に対する教育を行う一方、大楠校では練習生に対する教育を推進した。しかし7月15日、大楠校は各種術科学校と同様に繰上げ卒業が行われて閉校となり、施設は本土決戦部隊に接収された。

終戦とともに横須賀校も閉校となり、激動の変遷を繰り返してきた工機学校の歴史は終わった。
現在横須賀米軍基地、神奈川歯科大、横須賀学院などになっている。
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海軍工機学校正門、向こう側は横須賀米軍基地
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正門左側の壁
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左側の門柱(内側から見て)、凝った造りをしている
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右側の警告
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門柱の両脇だけ塀が無い
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内側の正門が無くなり、通用門が残っている部分のようだ
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右側の壁は基地沿いに続いている
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 230_R
実際にかなり基地内には旧軍時代の壁は残っている
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これなんかも、当時のままだ
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 194_R
第6ドックは多少改造されているが原型を留めている
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 222_R
なんでペンキはそこまで?
横須賀鎮守府・横須賀海軍工廠 273_R
横道にそれたが、色々残ってた、本題に戻る
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中庭に行く
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早咲きの梅と軍人勅諭(陸海軍軍人に賜はりたる勅諭)
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右の五ヶ條は軍人たらんもの暫も忽にすへからすさて之を行はんには一の誠心こそ大切なれ抑此五ヶ條は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ條の精神なり心誠ならされは如何なる嘉言も善行も皆うはへの裝飾にて何の用にかは立つへき心たに誠あれは何事も成るものそかし况してや此五ヶ條は天地の公道人倫の常經なり行ひ易く守り易し汝等軍人能く朕か訓に遵ひて此道を守り行ひ國に報ゆるの務を盡さは日本國の蒼生擧りて之を悦ひなん朕一人の懌のみならんや

明治十五年一月四日御名(明治天皇)ちなみに陸軍では御名を「おんな」と読む
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裏面
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本当は、めちゃくちゃ長い本文がそれぞれあるが、簡略化し冒頭の1文のみが一般に知られる
興味があったら見て下さい、軍人勅諭全文。
後のいわゆる戦陣訓とは、全く違うものである
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灯篭の一部、なんでこうなった?
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古い煉瓦なので撮って来たが、防火用水って事も無いだろうな~
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汐入に戻り、うろついていると古い煉瓦の建物発見!
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詳細不明(kan様より横須賀建築探偵団 発行の「建物で読む横須賀」には、海軍関係の倉庫と書かれていたとの情報をいただきました)
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腹が減ったのでパンを買う   ぱんプキン
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中に福神憑けが入っていて、なかなか食感がいい
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どぶ板あんぱん(こしあん&クリームチーズ入り)
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横須賀海軍工廠汐入壕を見に行った
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真新しいプレート
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また一つ、戦跡が消えた
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隣接する慰霊碑
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海軍工廠などで働いていた犠牲者を供養するもの
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大将12年の手水鉢
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読みにくいが、軍需部、女工一同と書いてある
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碑の裏側には埋め戻された壕口がある
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無事な方の壕口から入る
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立派な壕口、立派な階段、だがここまでだ
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すぐに素掘りの壕になる
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しっかりした壕なのだが、硝石が染み出しているせいで、汚く感じる
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通路の盛り土
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見上げると大穴、千代ヶ崎で見た穴に似ている
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慰霊碑裏の壕口に繋がる
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外から覗き込む、キレイになっている、調査が入ったのだろう
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米ヶ浜に富士壕、桜壕を見に行く
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完全に亡くなっている
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大津ヒギンズ邸(重砲兵学校校長邸)に来た
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あとはコンクリートを流すだけ
横須賀市の戦争遺跡は、急激に無くなっている、行けるうちに行かないとどんどん無くなる
無くなるのは止められない、せめて写真と記憶に残して生きたい・・・
体力のある内に出切る限りの探索を行って行きます!
未見の近隣情報を求めます!!

26年11月18日追記

kanレポートのkan様に情報を頂いて、やっと再訪の機会が訪れた、大学構内なのでちょっと入りにくい
実際は守衛に許可を取れば入れるし、図書館も一般に開放しているのだが敷居が高い気がする。
しかしやっと海軍工機学校(機関学校)のレンガ倉庫を見る事が出来たのだ。
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蔦が茂っているが、状態は悪く無いようだ
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こちらの窓はコンクリートと鉄格子で埋まっている、オリジナルだろうか?
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右の扉は、壁をぶち破って無理やり付けたようだ
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日陰側は蔦の勢力が強いようだ
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何とかこのまま残しておいて欲しいものだ
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ここからフェンス越しに米軍基地内の旧海軍病院が見える
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奉安殿も垣間見る事が出来た

kann様情報提供ありがとうございました!
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コメント

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渡辺道場

調査、ご苦労様です。

汐入のレンガ作りの建物が気になりますね。
渡辺道場の近所の知り合いに聞いたのですが残念ながら分らぬと事です。
古い話になりますが、渡辺道場から東京オリンピックで金メダルを取った柔道の猪熊功さん(故人)が子供のころ通っていた道場だそうです。
写真を見ると売り物件になってますが、既に壊してしまったとか聞きました。
つまらぬコメント御免なさい。

同期の櫻

汐入に行ったのは、つい数日前なので現存しております。
工機学校に煉瓦倉庫が残っている写真を見かけたので、探しに行ったのですが、見つかりませんでした。

渡辺道場

それは申し訳ありませんでした。
渡辺道場から50m以内の幹線道路で戦前から営業しているA商店の経営者さんに聞いたのですが、どうも勘違いしているようですね。工機学校ですが、戦艦三笠の近くにあるマンションの高いところからみれば残っていれば分りますね。良く考えると私自身数年前にその付近をマンションから撮影した写真が残ってますので見てみます。

そうですね

良い場所があったら、覗いてみます
http://www.kindaikenchiku.com/yokosuka/yokosuka_shikadai.htm
このページの煉瓦倉庫が現存かどうか気になります
横須賀学院の第二校舎が工機学校の校舎だとの記事もありましたが、調べたら
場所は同じですが、戦後に建て替えられた物でした。
校内には工機学校の碑が建っているそうですが、見てはいません

No title

軍人勅諭の碑は数年前まで、門柱近くの塀際、医療産廃置き場の横にひっそりと置かれていたのですが、日の目を見ましたか!
この碑は、倒されて放置されていたそうですが、感無量です。

No title

>kan様
そうだったんですか、kanレポートの記事で見てから気にはなっていたのですが、中々行けませんでした。
それが幸いしたのか、キレイな状態で見る事が出来ました。
ところで、kanレポート内の記事が見つかりません、参考に紹介させて貰おうかと思ったのですが、ブログ内検索でヒットしませんでした。
kanさんは上記の煉瓦倉庫は御存知ですか?見つかりませんでした。

失礼しました

岡山陸軍兵器補給廠の記事で教えて貰ったんですね、道理でヒットしないと思いました

No title

レンガ建ては大学構内の一番奥、米軍基地に面した旧海軍病院の対面にありましたが、現状は不明です。

ありがとうございます

>kan様
思い起こせば、門柱見てからそのまま中庭の軍人勅諭の碑を見に行ったので
そこだけ見ていませんでした。
また機会を作って行って見たいと思います。

ありがとうございました、また御指南下さい!

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重ね重ね、助かります

また、再訪して確認させていただきます。
ここの守衛さんは愛想が良く、見学しに挨拶したら「いってらっしゃい」と声をかけてくれました、良い印象です。

渡辺道場は、やはり海軍関連でしたか!
情報ありがとうございました。