八丈島 護神山指令部、 「軍艦」防波堤、八丈島飛行場

八丈島には現在ジェット旅客機が降りれる、拡張された飛行場がある(一日3便)
旧軍は八丈島に4つの飛行場を計画し、その内2つが完成した。
風向きによりどちらからでも離着陸出来るように、島の中央に飛行場が建設され、これが現在の飛行場の原型となる。
実際にはこれは2つ目の飛行場で、黎明期にはその北東部に四角形に近い小さな飛行場があった(1)、初期の訓練飛行場として、機能していたが、飛行機の発達と軍事的背景により、誘導路で繋がった新飛行場(2)が作られた。
(3)に関しては測量程度、(4)に関しては計画倒れとなっている。
なお、飛行場に関する遺構は掩体壕などもあったと資料には有るも、何も残っていないようだ。

一方、八丈島飛行場も特攻機の中継基地として機能した時がある、防衛庁戦史室の「本土方面海軍作戦」の中で述べている物を、抜粋する。
硫黄島救援の為千葉県香取基地の第六〇一航空隊杉山司令官より、彗星12機、天山8機零戦12機を「神風特別攻撃隊第二御盾隊」の出撃が決定する。
杉山指令の訓示
「一機一機主義で行け、断じてぶつかれ。細心沈着に行動して果敢に命中せよ。雷撃隊は魚雷発射後、体当たりせよ。護衛隊戦闘機は、戦果確認後、父島帰着、報告後、再度爆装し突入せよ」
S20年2月20日に全機出撃するも、天候不良の為到着した者は彗星1、零戦3のみであった、その他の機体は全て香取基地に無事引き返しているがこの当時、出撃した特攻機が攻撃せずに戻るとゆうことは、物凄い決断力が必要だったろう、非難、中傷よりも搭乗員のメンタル的な物の方が大きいだろう、二度死にに行くのだから・・・
翌日、天候回復し、八丈島で合流したが天山1機が足を折り、零戦1機が故障出撃不可となる。
この日の生還機は零戦3機と故障父島着陸天山1、被弾父島着陸彗星2機、及び零戦3機となり21機が散華した。
なお、28日に修理完了した足を折った天山を始め、残存機(被弾機)にて再出撃、駆逐艦1、輸送艦1に被害を与えたとされる。
零戦に関しても、生還は認められずに全滅するまで、父島より硫黄島に向けて出撃が命じられている。
大本営発表21日の戦果
空母(艦型不詳なるも特空母の算大)1隻撃沈、大型空母1隻大破炎上、撃沈ほぼ確実、戦艦(艦型不詳)2隻撃沈、巡洋艦2隻炎上、2隻爆破、輸送船4隻以上爆沈、船種不詳爆沈。他に硫黄島より火柱19本を認む」
米軍資料による戦果
護衛空母ビスマルク・シー沈没、正規空母サラトガ大破、護衛空母ルンガ・ポイント、防潜網輸送艦1、LST(上陸用舟艇)2に被害を受けたとある。
特攻作戦全体を見ても、非常に稀な大戦果となっている。
28日の被害は駆逐艦ゲーンブルト、高速輸送艦グレスマン大破となっている。
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計画された4つの飛行場
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八丈島米軍資料(砲台、回天、震洋、陣地、指令部等)
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飛行場、右上が(1)の旧飛行場、この資料は武装解除の集積所6箇所を示したもの
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別紙の内容(日本軍側)
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現在の八丈島飛行場
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まさに、島の真ん中にある
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ここから青島などにヘリで行ける
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実はこの空港、全体を写すのは難しい、ターミナルも2階建てで低いのだ
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帰る瞬間のギリギリショット
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神湊漁港に来た、実は現在のフェリー乗り場より、こっちの方がメインの港だったのだ、本来フェリーの着く底土(そこど)港も神湊港となっていたが、観光メインとなって混同を避ける為、底土港と呼ぶようになる、当時は風向きにより東の神湊港と、西の八重根港を使い分けていた
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奥の四角いコンクリートが「軍艦」である、他所でもあるが、廃艦となった船体を防波堤として埋め込んだ物である
ここに眠るのは、駆逐艦「矢竹」(未成)、昭和20年に横須賀工廠にて建造中、中止命令のため建造中止となった。
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観光案内マップはあったが、「軍艦」防波堤に付いての説明は無い、何で?
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わずかに名称のみが記載されている、戦歴も戦死者も未成艦の為無かったから保存会も無い
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神湊漁港位置、車だと通り過ぎてしまいそうな感じ
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ちょうど防波堤工事の為、掘ってみる事が出来なかった、折りたたみスコップ持って来たのだが・・・
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一番外海側だそうだが、掘れなかったので判らない
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神止山連隊司令部(作戦時)から見下ろす神湊漁港
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夕闇迫る中、護神山指令部の遺構を見に、護神山公園に行く
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公園入り口にはいろんな碑が建っていた
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特に目立つのが「島酒の碑」(右)
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説明板
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鎮魂碑
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暮れ始めた山道を歩いて行くと、軍道沿いにトーチカがある
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ストロボを焚いてみる
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予備知識が無ければ、通り過ぎてしまいそうだ、これが唯一確認出来る護神山指令部の遺構である。
平地の市街地にある護神山指令部は、平時に置ける指令部であり、作戦時には神止山指令部壕鉄壁山(浦)兵団司令部壕に移動する為、平地に急造建築の地上施設だったようだ
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恐らくこれがそうではないだろうか?(撮影場所不明の写真)
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辺りは暗くなってきた
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銃眼の中も真っ暗だった、それもそのはず
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上に回ると、みごとに陥没していた、周りには塹壕状の通路が掘られていた
暗くなった山での探索は、これ以上無理だった、トーチカ自体は入り口からそんなに離れていないので、見つけるのは簡単に出来るだろう
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