八丈島 第16震洋隊巨大格納壕 その1

震洋に関しては、油壺震洋特攻基地震洋隊守谷特攻基地所属 鵜原火薬庫でも触れているので、軽く済ます
震洋は海軍で開発した特攻用ボートで、通称「マル4金物」と言われ、陸軍の四式肉薄攻撃艇、通称「マルレ」とは別物であるが、後にこれらを統合して「マルハ」と呼んだ。
設計主務部員班長を務めた牧野茂は、「戦艦大和型」に携わった人として有名だが震洋の設計者としては知られていない。
終戦後の1945年8月16日、高知県で第128震洋隊に出撃命令が下され、準備中に爆発事故が起こり111名が死亡した事件はあまりにも有名で説明の必要も無いだろう、堕落した上官一人のせいで起こった悲劇だ。
(第128震洋隊爆発事故について追加説明)
第23突撃隊司令本部にもたらされた「土佐沖に敵艦群見ゆ」の報告により、発進準備を行う。
最初の爆発が起こる30分ほど前、ある少年兵が一隻の震洋艇のテスト用タンクからガソリンが漏れていることを整備員に報告したが「何を生意気なことを言うか!」と一蹴された。

まず最初の爆発は、先の艇の漏れた燃料に引火して炎上、数人の隊員等が消火作業にあたったが間に合わず、燃料タンクが爆発した。
その後消火のかいあり、一度は鎮火したものの、被害艇を海に押し出そうとしたその10数分後、今度はその艇の艇首炸薬(250kg)が爆発、次々と他の艇も誘爆し、22艇が次々と爆発し搭乗員全員と整備員等111名が爆死、30数名が怪我をした。
160名の搭乗員の内、後方に残っていた搭乗員約50名は難を逃れたそうだ。
死者111名は確定だが、内訳は疑問がある、これだと搭乗員110名整備員1名になってしまう?
なお、その時点で隊員たちは敗戦(玉音放送)を知らなかったそうだ。
高知県香美郡夜須町の手結基地付近、手結港に「震洋隊殉國慰霊塔」があり、爆発事故で飛散した震洋搬送台車の車輪や銅像等が展示されている。

第16震洋隊がここに展開しているのだが、洞輪沢に第1~3艇隊(1艇隊予備含め10隻)、石積に第4艇隊が初期に配属された4月に上陸した震洋隊はまず、石積に壕を掘り始めるが、5月になると305設営隊が到着、660人の人員とブルト-ザーなどの設営機械を多数使用し、石積数本と洞輪沢に巨大な壕を作り上げ、今度は回天隊の大賀郷の火の潟基地や中之江基地の設営に取り掛かった。
なお、国内配備の(沖縄のぞく)震洋隊の死亡者は128震洋隊の他は、第27震洋隊(三浦市小網代)の石井少尉のみのようだ。
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この地名ってこう読むのか?
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トイレの前の案内板
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震洋壕の前の港はキレイに整備されていた
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さぁ、探しに行こうヒントも何も無いけどこの辺だろう
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今日も冴えてる、壕口センサー
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さっそく進入するが、いきなり湿度が高い
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入り口のジャングルを見る
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入り口入ってすぐ左の、この壕唯一のコンクリート補強
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通信室か、弾薬庫の様な重要区画だろう
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先へ進むがカメラが写らん
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この通路は養壁工事の為か、埋まっている
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戻って十字路に出る
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乾電池の炭素棒
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湿気は依然衰えない
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黒い碍子?
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この通路には部屋が多い
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それぞれ碍子も付いている
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何かのハンドルが落ちている
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次の部屋
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スパナ状の治具
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落ちていた碍子、何かが変だ
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奥の滑らかなカーブ
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牽引用のワッカのようだ
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入り口を振り返る、部屋は左右に3つあった
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裏の直線通路、妙にキレイだ
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そのまま進むと、段差のある通路がまたがっている
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正面と右は突き当たり
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生息室の様な空間
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釘バットの様な、痛そうな板が落ちていた、踏んだら刺さりそうだ
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ビン2本
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更に奥に進む
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角を曲がるとトロ箱出現、若干低くなる
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両脇にある倉庫壕
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こっちは浅く丸い
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振り向くと碍子が不規則に並んでいる
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最深部は外からの土砂の流入と思われる、終息であった
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でわ、出るとしよう
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帰りは一直線に出口に向う道がある

一気にやりたかったが、中途半端に長くなったので、2分割にする
今回は、格納壕手前の兵員及び、倉庫壕のみの紹介となった、基本的に特攻隊員は地上民家に分宿で、壕内生活はしない
次回はこんな所に行く
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お楽しみに
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コメント

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No title

お疲れ様です!

この壕はいいですね!自分が探索した時には発見できませんでした|д゚)
やっぱり八丈は奥が深そうですな

No title

震洋壕といえど規模がすごいですね。
やはり八丈島は一味違います。
末吉地区まで行かれたということはもしや病院まで行かれた・・・?

No title

次回の探索には是非参加したい(*´Д`)

No title

>東雲みょん 様

千葉や油壺で、震洋壕はいくらでも見てますが、いずれも大体単独の物で、こんな大規模な物は初めて見ました。
行く時は、ご案内します。

No title

> yuuki 様

行くにはいったのですが、時間的に回天壕も見に行けなかったので、探せませんでした。
概ねの場所のみしか判らないので、次回捜索したいと思います。
しかし、病院壕は資料無いですね!

No title

> tonotama様

さすが50艇収容する規模の壕だなと思いました。
陣地壕が多い八丈島の中で、最大規模の壕の内径の広さでした。
まだまだ奥が広い島です