横須賀海軍工廠職工共済会医院 支壕


横須賀共済病院100年史に寄ると、横須賀海軍共済病院は横須賀海軍工廠の工員や家族のために、明治39年3月15日に創設された工場専用の職域病院であった。
共済病院には院長や医師が海軍から派出され、陸軍や東大の病理学・細菌学などの理論重視のドイツ医学と異なる臨床医学・予防医学・環境医学、栄養学などを重視する英国医学による治療が行われていた。
工廠の規模の拡大から田浦共済病院、追浜共済病院、衣笠共済病院、野比療養所などの分院が建設された。また、太平洋戦争が始まると職工の増加から旅館やホテルを接収し、医師や看護婦を派出する出張治療なども行っていたが、戦争が激化するとラバウル海軍病院へ医師や看護婦を派遣するなど、海軍とともに歩み敗戦とともに56年の海軍との関係は幕を閉じた。 
この病院の裏には1645mの地下壕があった事は以前にも触れた。
当時の外科のある看護婦さんは「戦時中、海軍関係者のケガ人がどんどん運び込まれ、地下壕の中に手術道具を運んだ記憶がある」と証言しているそうだ、この地下壕が地下病院だということになる。
 1988年発行の「横須賀共済病院略史」によると、「入院患者避難用に地下坑を掘削し、第2病棟地下室・薬品倉庫・トイレ・洗面所などを地下坑に収容・設置する」「避難坑の幅約5.5mでアーチ型とする」と1935年に計画されている。
さらに「この掘削には人夫が交代で掘り進み、看護婦や男子職員が土を運び出した」と記述されている。
しかし、この壕自体は現共済病院の裏山で、防護ネット越しに一部壕口が確認出切るが、入る事は出来ない。
先日、ゅんのすけ 様より壕口のネタを頂いたが、富士壕、桜壕の探索の時に見つけていたのだが、ぶっちゃけ忘れていた壕だった。
もしかして、本壕に繋がる抜き穴では無いかと期待して再調査に向ったのだが、接続は無かった。
もしもまともな状態だったら、それなりの壕なのだが、現状が酷すぎてメンバーも誘えなかった。
ゅんのすけ 様もこの壕に入った時に長靴を貫通する傷を負ったそうだが、自分も1回目の入壕はワリと入り口付近で手を切り、装備の必要性を感じ、撤退!今日のリトライとなった。
皮手袋、半長靴、膝あて、防衛庁お墨付きの丈夫な作業服にて突入した。
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地元では有名なのだろうか?
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擁壁に取り残されたようなヘンな穴
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当時の土階段を登って行く
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結構危険な斜度を持つ斜坑
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斜坑の前に切込みがある、門でも有ったのか?
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20mの持参したロープを頼りながら降下する
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斜坑なので、地上からゴミや土くれが容赦無く流入している
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しかし、その切れ目には立派な階段が見える
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湿っているので、ロープ無しではきつそうだ
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ロープを使いきった辺りで、直角に近い曲がり角
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やっと平らな壕床に着いたと思ったら、埋没&医療ゴミのオンパレード、高さ1mも無い
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所々剥離して積み重なっている
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行けども行けども医療ゴミ、野比病院の方がマシではないか?
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おお、統制食器では無いか!
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腰を折って歩ける様になって来た
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枝道も多いのだが、医療ゴミはそれ以上に多い
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天井に届かんと言う勢いだ
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ここまで来ると、捨てる方も根性だと思う
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小さな部屋もあるが、ゴミだらけ
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これさえ無ければ良い壕なんだがなぁ~
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地震の影響だろうか?砂状に医療ゴミの上が埋まっている
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本抗方面に進んだが、終息のようだ
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横の部屋を覗き込むと、なんと統制食器が多数転がっている
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さぁ、大分戻って来たが、もう一方は医療ゴミがハンパ無い
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碍子を着ける木材がある、奥の方には碍子が着いて赤い電線が残ってる物もあった、この辺は病院時代のゴミ捨て様に線を引いた物だろう、もう出る事にする、接続が無ければ仕方が無い
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降りる時は気が付かなかったが、コンクリートの柱が落ちている、壕口の溝に有った物か?
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さぁ、地上に戻ろう
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表面採取した統制食器を磨いて見た、間違い無く病院壕遺物である
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大型の飯碗
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統制番号が入っているので、S21以前の物なのは確かだ

この後、ピー砲台を堪能し、川間煉瓦ドックで一服、追浜の第三海堡展示場の開放日なので寄って見た
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何も変わらず、水を湛える川間煉瓦ドック
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このまま変わらないで欲しい
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第三海堡展示場、うみかぜ公園にも1基ある
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この気温の中、何やっているんだろう?
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コメント

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No title

感嘆しました。
あの壕にお一人で再チャレンジされるとは!私ももう一度と考えつつも躊躇もしていました。壕内にトラックかなにかのタイヤ跡があったのであのゴミはクルマで入れたのかもしれませんね。。文献ではそのあたりの壕の上に高射砲?を据え付けてぶっ放したら壕が埋まって死人がなんて記述も有りましたがそれは本壕の方なんでしょうね。
終息でしたか。。。ということは、、、調査、続行します。

とはいえ、今回の探索、私は敬意を持って拝見いたしました。ありがとうございました。

ゅんのすけ 様

船越や比与字なども轍があり、ゴミや残土を入れ込んだ跡がありますね
あの上には練習砲台はありましたが、高射砲はどうだろう?
でも、確かにすぐ近くでFH-70などをぶっ放すと空気ごと振動するので簡易な壕など崩れてしまうのも、判る気がします。

No title

失礼致しました。高射砲云々は別の穴の話でした。。

No title

了解しました
練習砲台の中に1門ぐらい高射砲を訓練用に保有していたのかと思いました

No title

この壕は見応えがありますね。
投棄された廃棄物の物量に圧倒です。
入壕は希望しませんがwこのように
事業者系廃棄物の不法投棄がある地下壕は
それはそれで戦争遺跡と一括りには出来ない、
近年まで継続していた、その存在価値があった
意味を考えさせられます。
もっともその分野の人間ではないので
散策するのに不便を感じる程度です。

横共の食器はいい物を採取しましたね、
過去に共済病院共通の食器は入手した事は
あるのですが、専用の食器は初めて見ました。

マンチカン帝國

産業廃棄物には、多くの壕で悩まされますが、一番嫌なのが医療ゴミですね
薬品が残っている物が割れて刺さったらとか思うとぞっとします。

自分も統制食器は多数見ましたが、専用マークが入っているのは始めてみました
マークの真ん中にKRと入ってました。

失礼

マンチカン帝國様を忘れてしまった・・・・・