東京湾第一海堡

第一海堡は、富津岬の先端の水深5mほどの海中に築かれた、基礎のための石を投入し、その上に野面石で囲った堤防を築き、内部に砂を充填して砲台を建設したもの。
1881年(明治14年)8月起工、1890年(明治23年)12月完成、面積は約23,000m²。
東京湾要塞の海堡として最初に運用が開始された。
第二海堡と第三海堡は1923年9月1日の関東大震災により被災し、その年の内に廃止・除籍されたものの、第一海堡はその後も使用され、東京湾要塞の一部として第二次世界大戦の終了時まで高射砲を据えて運用された。
現在中央部が破壊されているが、これは第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた連合国軍により要塞無力化のために破壊されたためである。
土砂の堆積と関東大震災による隆起のため、富津洲と地続きになっていたことがあるが今は再び分離。
海底の水深は1.2mから4.6mであり、第一海堡を撤去しても航路として活用するには別途浚渫が必要である為、撤去はされないだろう。
富津岬突端の展望台からは横須賀市を背景に第一・第二海堡を一望することができるが風が強い。
現在は海上保安庁によって灯台が設置されている、なお財務省の所管であり、無断での立ち入りはできない。
実際、自分も上陸した事は無いので、外観のみの紹介となる
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まずは、24年度観艦式のおり、海上より見た第一海堡
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天候不良の為、霞んでしまった
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護岸の約半分が崩落している
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これを人の手で造ったのだかr大した物だ
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富津岬突端の展望台から反対側を見る
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地続きだった部分の残った中州
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第一海堡全体
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左翼観測所が見える
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繋船場は隆起して陸地となっている
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1974年の航空写真
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近年の航空写真、繋船場付近の隆起が進み、右側富津からの中州が失われているのが判る
断面図(横から)
アジ暦より、第二海堡より移設されたクルップ式15cmカノン砲連装砲塔
断面図(後から)
平面図(弾薬室)
平面図(砲室)
航空写真中央の破壊された部分にこれが収まっていた

いささか短いがこれ以上自前の写真を持っていないので、内部に関しては要塞探訪様を参考にして下さい
当サイトも一部リンクして頂いてます(金谷砲台
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