第129 震洋特別攻撃隊 砂子ノ浦基地 尾名基地

第55震洋特別攻撃隊と同じ勝浦地区になるが、やや北寄りに展開している第129 震洋特別攻撃隊がある
大雑把な情報しかなく、見つけた物も小規模で、これが全部と言う訳では無いと思うが、現地調査で発見できた物を紹介して行く。
状況的には、やはり漁港と民家に飲み込まれており、これ以上の調査は不審者と思われるだろう。
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勝浦海中公園に車を停める(200円)
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地図上、右上の辺りが砂子ノ浦になる
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海の博物館などはスルー
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展望塔から海岸の穴を探そうと思ったが、車に財布を忘れて入れなかった・・・・
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何しに来たんだろう
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2kmほど歩いて砂子ノ浦にやって来た
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このフェンスの中に、怪しい所がある
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どう見ても穴がある、でも入れない
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角の空き地の奥にも穴が見える
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間違いなく震洋壕だろうが、民地なのでここまで
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砂子ノ浦観音堂に向かう
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端っこに壕が見えている、小さいので震洋壕では無いだろう
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入口付近にも、壕口がある
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けじめがなければ世の中みじめと書いてある
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奥まで来たのだが
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流石に卒(板)塔婆をどかして、入る訳には行かない、さっきの壕口と繋がっているのか?
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小さな入江で、部隊も小規模だったのだろうか
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海岸線には壕は構築されていなそうだった
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トンネル前の民家裏にもう一本見つかった
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車に戻って、尾名に行く
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早速壕口を見つける
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やっぱり震洋壕だ
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驚く程状態がいい
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入り江を見ると、気になる石垣が見えるが、行けそうも無い
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高い位置だが、壕口がある様に見えてしょうがない
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海は等浅でとても澄んでいる
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こっち岸は整備されてしまって伺えない
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眼鏡岩と言うらしい
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諦めずガサゴソしていると、写真中央部に怪しい影が
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やっぱりあった!
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入口は何だが、立派な震洋壕である
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尾名浦説明版、やはり震洋には触れる事は無いようだ
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道路対岸にも震洋壕が見える
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トンネル手前にも壕が見える
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私有地なので、立ち入らなかったが、トンネル方向に掘ってあるので、倉庫もしくは居住壕かも知れない
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このトンネルもコンクリート吹付けの元は素掘りだったろう
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入口辺りに初期のトンネル基礎がある
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見ると鉄筋が入っていない、恐らくは自戒したのだろう、コンクリートが割れている

手持ち資料に基地名が載っているのはここまでだが、もう少し探してみた、努力はたまに報われる、たまにね!

余談だが、件の生簀について調べてみた
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岩を四角に切り込んだこれは、明治から大正にかけてのイワシの生け簀の跡だそうだ。
これは堀り込み型の生け簀を作っておきイワシの群れが入ったところで入り口を閉める方法で、関東大震災で地盤が隆起し使えなくなったそうだ。
またマグロ漁の餌ともしていたが、マグロがいなくなった事にもより使われ無くなった。
他には、鮮魚の保存能力が無かった頃の生簀で、後に養殖用に転嫁されて行った等の回答が得られた。
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