光心寺比叡鎮魂碑、衣笠山(衣笠神社)

地元にあっても、結構気が付かない戦跡も多いと痛感するこの頃だ・・・
今回も出処不詳の情報からの捜索だ、まさか衣笠駅付近にこんなのがあるとは知らなかった
まぁ、派手な地下壕や砲台が多いこの界隈、直接の遺構ではないこれらに目が行かなかったのだ
しかし、知ったからには行かねばならない、西浦砲台に行く途中に立ち寄って行く事にした
まずは衣笠駅から歩いて5分程度の光心寺には、第三次ソロモン海戦で戦没した戦艦「比叡」乗員の為に建立された軍艦比叡鎮魂碑と軍艦戦没者供養搭がある、他に小室千代太郎招魂之碑(明治期の比叡乗員)もある、地下壕もちょっとある
なぜここに比叡の鎮魂碑かといえば、金剛型2番艦の比叡は、金剛をベースに横須賀海軍工廠で造られたからだ

艦内神社はここではなく(寺だし)、滋賀県大津市の日吉大社である
昭和五年の軍縮会議の結果、練習戦艦となり大元帥の御召艦として観艦式などに使われるが、昭和十五年初めに近代化改装により最新鋭の高速戦艦として、第一線に復帰した。
第一航空艦隊の支援部隊として「ハワイ」「印度洋」「ミッドウェー」等の海戦に参加したが、第三次ソロモン海戦において、
敵弾が舵取機に命中し航行不能に陥った、翌早朝から敵機の反復攻撃を受けよく奮戦したが、日没におよび阿部司令官の命により乗員を駆逐艦に移乗し、自ら「キングストンバルブ」を開いたが尚沈まず、最後に駆逐艦・雪風の雷撃で止どめの一撃を加え、やっと沈没に至った。
第二次世界大戦の日本海軍における戦艦喪失の第一号である。
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光心寺、手前に参拝者専用駐車場がある
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お地蔵様
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ぬこ様
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奥の忠魂祠堂に向かう
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向かって左側に軍艦比叡鎮魂碑と軍艦戦没者供養搭、五輪塔が並んでいる
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戦没者名だがほぼ読めない
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一応貼るが、読めないだろう比叡略歴
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五輪塔側面
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五輪塔裏面
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お供え、わかってる奴が居る
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碑とお堂の間に、なにか見える
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穴発見!
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入ってすぐに右に折れている
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左は狭い空間で終わり
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瓦礫で埋め尽くされた通路の先に、空間が見えるが、行けない
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小室千代太郎招魂之碑、の奥
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先の地下壕のもう一つの入口、何故こっちだけコンクリート封鎖?入口も綺麗な四角だし、実は結構な地下壕がこの裏側に広がっていたりして、なんて想像をしたくなる
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割と新しめのお堂に見えるので、戦中は何か軍施設がここにあったのかも知れない、単なる貯蔵壕かも?
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裏側には見るからに、古そうな建物が残っていた、取り敢えず見る物は見たので撤収するが
疑問がこの時あった!
明治17年7月24日に廣島港殉職した軍艦比叡の乗組員小室千代太郎氏(茨城県出身)の招魂碑で乗組員有志が建立したとあるが、比叡の竣工・引渡は1914年(大正3年)8月4日である。
なんて思いながら、後で考えたらなんの事はない、初代「比叡」装甲コルベット(金剛型)だった
初代「金剛」は1878年(明治11年)1月に英ハル・アール社で竣工、「比叡」も同年2月に英ミルフォード・ヘブン社で竣工し、2艦とも5月に日本に到着している、1911年(明治44年)除籍。
現在ここには三世代の金剛型が揃っている(ペットボトル含み)ってことだ

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すれ違いの出来ない細っこい道を登って行くと衣笠神社がある
衣笠神社は「軽巡衣笠」の艦内神社と言われているが、諸説ある(巡洋艦は山川の名を冠する)
横須賀の衣笠神社と走水神社、果ては京都の平野神社(近くに衣笠山がある)などの候補があるようだ
アジ歴などで見ても複雑でわからん、結局の所複数の神社を合祀したようだ、走水神社と平野神社を基本に
衣笠城ゆかりの三浦大介義明公の像が載せられていたらしい。
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一応10台ぐらい停められる駐車場がある
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由緒
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本殿
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本殿右側の、明治二十七、八年日清戦役戦勝紀念砲弾、以下不明
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砲弾の跡だけはあるのだが、金属供出だろうか?
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明治三五年建立
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左側にもあるのだが、傷みが激しく上部の砲弾跡だけしか判別できない
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結局、軽巡衣笠関連は、何も見つからなかった
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林の向こうに何か見える
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かなり高い、10mぐらい有りそうだ
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西田明則君之碑
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要するに、陸軍西田工兵大尉の東京湾海堡建設に貢献した偉業を称えるもの
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何故東京湾海堡が土木遺産にならないか、不思議だ
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ペンギン
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トンボ
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ウマ、カエル・・・なんだこのオブジェは?そこらじゅうにある
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開けた所に出た
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やたらに石碑が多い
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忠犬ハチ公は1934年(昭和9年)に生存中に銅像を作られている、忠犬ブーム?
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慰霊碑の様だが・・・
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百選
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石柱の生えてる階段を登ると日露戦争の戦没者慰霊のための砲身型の大きな記念塔(忠魂碑)が建っていた
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撤去され、残った台座の傍らに何かの牌がある
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三浦郡奨兵義會として會長ほか二十名の氏名が刻まれているらしい。
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登ると観音堂がある
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「三浦半島出身戰歿者諸英霊位」と記された位牌銘にあるようだ
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景色を眺めつつ、山を登る
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上の方に無骨なものが、見えて来た
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いつの間にか、133mまで登ってきたようだ
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鉄骨とコンクリートの展望台
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早速登る
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遠方に富士山が見えた
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木に繋がれている、猪のオブジェ
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謎は溶けた
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斜面に埋もれかけの碑がある
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満期紀念
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横鎮の文字がある、横須賀鎮守府で兵役満期を迎えたものか?
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最後に1本石柱を見つけたが、何も書いてなかった
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