東金(豊成)飛行場

本土防衛の為、1943年9月構築予定地域の旧豊成村に急遽飛行場建設が、言い渡される
1944年3月より本格的工事が始まり、9月には一応の完成を見ている
12月には、飛行第28戦隊双発100式三型機約20機が配備された。
百式司偵は元々は高速偵察及び連絡用に造られた物だが、その高速性能に目を付け、機首に20mm2門を付けた迎撃戦闘機として派生機が作られた。
重い機銃などの増加装備による速力低下、P-51の直掩などにより大きな戦果は少ないものの、それなりの撃墜数を上げている。
1945年6月になると、キー102乙型戦闘機が配備される。
本機は四式襲撃機、五式双発襲撃機などと呼ばれ、正式な愛称(一式戦⇒隼)はない
武装はかなり強力で、機首に57mm機関砲(ホ401)を装備した他、20mm機関砲(ホ5・二式二十粍固定機関砲)2門と12.7mm機関砲(ホ103・一式十二・七粍固定機関砲)1門を装備し、爆弾は500kgまで搭載できた。
後に排気タービン付きの甲型も生産されるが、排気タービンの不良により、15機程度のみ納品されるに過ぎない。
この飛行場にも甲型が5~6機配備されたが、短期間で他に移動している。
1945年5月頃には特攻機(隼)の訓練地ともなっていたようだ。

現在の124号をソニーを過ぎた辺りで右折すると、格納庫基礎が残っているが、わかり難い場所にある
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襲撃事件があり警察だらけのコンビニで遅めの朝食を取る
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こっちの地名は読み難い
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電柱より高い、郵便局の看板(求名、ぐみょうが読めなかった)
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この辺りから狭い道に入って行く
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ポンプ所隣の小さな名も無い公園
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東金飛行場の存在を示す碑がひっそりとある
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平和を呼ぶ ふるさとの碑
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本土防衛の跡を偲び 平和を祈る ふるさとの碑(全文)
 豊成飛行場は史上 東金飛行場といわれて昭和十九年三月大東亜戦争末期本土決戦の戦略によって急造された。青麦を刈り捨て、住家を移転し、墓地を掘り返して昼夜兼行、近隣住民を総動員して工を急いだが、未完成のまま十九年末には飛行第二十八戦隊が駐留してきた。総面積百七十ヘクタール、その八十四パーセントは肥沃な農地であった。以来戦況は日に増し悪化し、空襲は連日連夜に亘り、村役場の移転、小学校は取り毀して寺院神社に分散授業、戦火は鳴浜小学校や民家を焼き、遂に住民や兵員の犠牲者を出すに至った。かくて一回の戦果朗報を聞くことなく齢一歳にも満たずして二十年八月十五日終戦解体することとなった。今わが豊成飛行場の歴史も半世紀の歳月の底に沈んで語る人もなくなったが、この跡地に残された本土防衛の志想と平和を希望する愛郷の真情は魂魄となって強く生き続けていると思うわれら思いをここに致して、地域一体となって後世のために「平和を呼ぶふるさとの碑」を建設して遺すことに相成った。永遠に平和と繁盛の花咲き栄え給えと祈ってやまない 平成六年三月吉日 鈴木勝題字選文 豊成飛行場記念碑建設委員会
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ふと見ると、とのさんが逆上がりで遊んでいた、若い若い!
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公園に名前が無いので、この建物か地図で青い調整池を探そう
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格納庫基礎は道からは見えない、この農道の先にある
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二回目なので、スグに発見出来たが最初の時は結構迷った
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奥の方にも基礎が見えている、かなり大きな格納庫だ
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いろんなホムペやブログで、掩体壕基礎と紹介されているが全く違う、格納庫である
監視哨をトーチカと間違えるほどに用途が違う
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基礎構造が良く判る
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よそ様の所有地なので、荒さない様に気をつけよう
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人物比とのさん、結構基礎は大きい
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基礎がここまで見やすいのは、あまり無い(明野教導飛行団 天竜分教所は見やすい)
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何とか保存できれば良いのだが、苔生す屍となっている
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地主さんの厚意により現状維持されているが、先は判らない
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ぶっといのが刺さっているが、何て言う名称なんだか判らない、止め具で良いのか?
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多分向こうが飛行場側開口部(単純に壁が無いだけ)
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殆んどの物は鉄材を抜かれているか、一本だけ残っている
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藪の中にも基礎が見える
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これにはボルトが2本とも残っている
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奥の方には、一部分壁が残っている
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この脇には小部屋の様な物が残っている
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倒壊していて、原型は判らない
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この奥は作物があるので、立ち入らない
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地味に雨が結構降って来た
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そろそろ撤収する
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以前来た時の写真をフォルダごと消失してしまったので、今回無理に雨の中寄ってもらった
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最後に最も状態の良い物があった
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さぁ、次に向うとしよう、探索は始まったばかりだ。
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