横須賀海軍工廠造兵部 その1

横須賀は海軍の町として有名だが、大きく3ブロックに分かれる
一つ目は造船、横須賀鎮守府、海軍砲学校などを要する現横須賀米軍基地周辺。
二つ目は軍需部、比与字地下壕、F号倉庫などのJR田浦駅周辺。
三つ目が造兵部、機銃、大砲、水雷、機雷などを扱った船越の東芝ライテック周辺である。
前回の船越地下軍需工場もその中に含まれる。
横須賀市でも【よこすか観光ガイドツアー】田浦の近代化遺産をめぐり第2術科学校資料室の見学
などを抽選80名程度で、募集している、機会があれば参加してみるといい。
まず今回は、横須賀海軍工廠造幣部付近の当時の遺構(若干戦跡では無い物もある)を紹介する。
DSC07956_R.jpg横須賀共済病院分院の入り口脇にある、門柱
DSC08300_R.jpg表札をかけるフック
DSC07953_R.jpg左側の階段を登ると
DSC07954_R.jpg海軍用地の石柱がある
DSC07749_R.jpg海軍止水栓
DSC07748_R_20130105205450.jpg海軍制水弁
DSC08290_R.jpg海軍消火栓(前)
DSC08292_R.jpg海軍消火栓(後)
DSC08295_R.jpg病院隣の船越神社
DSC08296_R.jpg忠魂碑は12インチの海軍砲を形どった砲身型の鉄筋コンクリート製だったが、大正12年の関東大震災によって破壊されてしまった。満州事変から太平洋戦争までの船越・田浦・長浦出身の戦死者を祀り、4回ほどの破壊、移築の後、船越神社横の境内地に移築され土台などが改修された。
DSC08297_R.jpgコンクリート製の砲弾、後記の正観寺境内の砲弾のコピーと思われる
21b0aee6.jpg梅田遂道(セントル巻きだが素掘り)
DSC03142_R.jpg梅田遂道碑
DSC03143_R.jpg梅田遂道説明板
DSC03147_R.jpgDSC03150_R.jpgそこら中防空壕だらけで、車庫転用が多いDSC07814_R.jpgここが入り口(登り口)
DSC07805_R.jpg大正15年築の旧田浦町役場
DSC07807_R.jpg昭和60年まで使用され、以後、平成19年まで学童保育施設として使われていた。
DSC07808_R.jpg屋上に出口がある、上りたい
DSC07812_R.jpg庭をタヌキが歩いていた、病気の様で毛が半分無かった。
DSC07815_R.jpgかつての皆ヶ作の遊郭のひとつ
DSC07817_R.jpg海軍の町に、冗談抜きに最重要施設だろう
DSC07820_R.jpg現在は(?)バーとして営業中、18歳未満お断りと書いてあったDSC07932_R_20130105215623.jpg旧船越遂道(中央)
DSC07933_R_20130105215624.jpg馬頭観音、一時期旧船越遂道内に祀られていた。
DSC07934_R.jpg入れないので、上から覗いてみた
DSC08028_R.jpg前記の正観寺、このお寺には、とんでもないお宝が奉納されている
DSC08029_R.jpg左の砲弾、道側に傾いている
DSC08030_R.jpg台座には奉納と彫ってある
DSC08031_R.jpg大正15年10月建之(左右とも)
076_R.jpg横空殉職病没者過去帳
046_R.jpg九一式航空魚雷用縦舵機改一
053_R.jpg箱は30cmぐらいだろうか?
052_R.jpg蓋は壊れているものの、ほぼ完品である
052_R.jpg情報提供榴弾砲さん、ありがとう(普段は見れない)
DSC05740_R.jpg陸上自衛隊土浦駐屯地資料館所蔵
DSC08041_R.jpg東京湾要塞地帯標場所
DSC08036_R.jpgIZ東京湾要塞第・・・(下部分は埋没し、判別不能)
DSC08039_R.jpg記号がIZしかない
DSC08040_R.jpg第何区だろう?
DSC07845_R.jpg機銃試射場(50m)
DSC07847_R.jpgラブラドール
DSC07848_R.jpg上の方は開いている



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コメント

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No title

境界石や止水栓など、旧軍小物廃ジャンルは大好きです!それだけ集めて記事をひとつ書きたいくらいですよ。

梅田遂道の写真を見ていると、施設科の陣地構築には欠かせないライナープレートを連想します。めちゃくちゃ疲れるのです・・・。

お久しぶり

縁の下の力持ち部所、頑張ってますね!
体力き章目指して、逝きましょう。
今年こそは勝◯にいきますよ。
メアド消失!メール下さい。

でわ、事後の行動各個に、別れ!