京都 祇園祭(2016年) その1(長刀鉾)
この記事は【長刀鉾】のみです
次回記事は【 月 鉾 】です!
日本三大祭の一つ祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼。
古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、これを「牛頭天王の祟り」と当時の人は考え、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことに始まる。
応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中断したが、明応9年(1500)には復活、その時より山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われる事になった。

以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、近世には度々の火災で多数の山鉾が消失してしまったが、その都度、町衆の心意気によって再興し、今日に至っている。
祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられる。

自分も祇園際の知識が少なく、2~3日のお祭りだと思っていたら、
丸々1ヶ月かけて行うと、sanaに教えてもらって、その規模に驚いた。
TVで注目される、山鉾巡行だけがやたらに有名なのだが、実は7月の1ヶ月間は京都は祇園祭に染まるのだ!
驚いたのは、会社、企業、商店すらも祇園祭の一定期間は仕事を休んでしまう所もあるとの事。
しかも、山鉾が立っている道路も期間内は道路封鎖してしまうのだ、関東では無理だろう熱の入れ方がすばらしい!
それを毎年やって、文句の一つもない、都中が一体になっている連帯感が何とも言えない。

メインは、 7月14日宵宵宵山、7月15日宵宵山、7月16日宵山、7月17日山鉾巡行の4日間
宵山(よいやま)とは、祇園祭の山鉾(やまぼこ)巡行の前夜に行われる前夜祭の事を指し、その更にその前夜は宵宵山って感じに宵の文字が増えていくのだ。

世間様で言われる祇園祭は、前祭(さきまつり)と言われる7月14日~16日の宵山行事、17日の山鉾巡行の部分
後祭(あとまつり)と言われるものもあり、7月21日~23日の宵山行事、24日の山鉾巡行、花傘巡行がある
ことわざで良く言われる、(後の祭り)は、ここから来ているのだ、今更来ても本編は終わっているよって事だ。
近年までは後祭では、山鉾巡行は行われない様になっていたが、最近復活したようだ。

メインの辻回しの日などには行けないので、少し外れた時期の記事となる

山鉾の写真を撮るのは、朝一から9時ぐらいまでが限度だろう、宵山の10時などは人だらけで、まともに撮れなくなる

一番人気の「長刀鉾」をまずは見にいく(でないと大変な事になるぐらい混む)

山鉾とは巨大であり、本体だけでビルの2~3階に相当し、鉾の長い物はその倍ぐらいとなる

山鉾の前後面は、大きな提灯で覆われていて、直接見るのは横からとなる

長刀鉾保存会会場、ここで粽等を購入すると、鉾の二階部分に昇る事が出来るようになる、並ぶ気合が必要になる
内部では保存会で保管している、いわゆるお宝を限定公開しているので、内部も混み合う事になる

鉾の装飾の説明書き

ビルの二階から、右の特設渡り廊下を渡って鉾に乗り込む事が出来るのだが、長刀鉾は女人禁制で、男のみ乗れる

鉾の下のコーナーでは、グッズ販売の準備が佳境に入って来ている

大型の山鉾その他祭具が建ち並ぶので、必然的に道路を占拠する事になるが、地元の理解と協力は深い

各山鉾のスポンサーの提灯が路上に並ぶ、本体にはメインスポンサーのみ許されるようだ、各地域にある山鉾を、地域の有力者や店舗がバックアップして、祇園祭を地元密着で盛り上げているのだ

縦方向から見た「長刀鉾」、鉾の高さが際立つ

天を突く、一番鉾

ビルの谷間に聳える、災厄と戦う鉾

鉾に昇って見たいが、もの凄い時間を要するので、諦める

一時間以上炎天下で並び、空いてる内に他の鉾を見れなくても良いなら、並ぶ価値はある

正面から見た 「長刀鉾」、正直な所、実際に見ないと伝わらない迫力って、あるんだなぁ~って感じる

これだけ立派だと、保存の出資者も引く手数多である

晴天に恵まれ、鉾が美しい

鶴亀の御神酒も、山鉾の前では目立たなくなる

この巨大な車輪で街中を動きまくるのだ!

前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。
見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了した。

屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779~1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。

大事な懸を汚さない為に、平時はビニールで排気ガスや雨などから保護している

鉾だけでなく、随所にある装飾も見て行くと、なお楽しいと思う

祇園祭のお稚児さんには、鉾に仕える鉾稚児(ほこちご)と、祇園祭の神事である神幸祭・還幸祭で神輿の先導役をする久世稚児(くぜちご)があるのだが、長刀鉾に乗る唯一の生稚児は鉾稚児の方である。
当時の祇園祭では、船鉾以外はすべての鉾に生身の子ども、生稚児が乗っていたが、昭和4年に放下鉾の稚児が人形に代わって以来、生稚児を乗せるのは長刀鉾だけとなっていった。

(sanaの部屋予告で使用されているsana撮影写真を拝借)
長刀鉾は他の32基の先頭に立って率いて進むため、神の領域の境界線に張られたしめ縄を切り、結界を解く必要がある、この大役を担うのが、長刀鉾に乗っているお稚児さんの役割、人形では勤まらないのだろう。

長刀鉾は、鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる、長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている。
この鉾は古来「苦路取らず」といい、毎年必ず巡行の先頭に立ち、京の街を守り続けている。
なお、長刀の刃は、天皇の住まう御所や本神である八坂神社に向かないよう、南向きにつけられているそうだ。
![1468897158352_R[1]](http://blog-imgs-96.fc2.com/y/a/k/yakumo1100/201607212224406ba.jpg)
(sana撮影写真の一部を切り取り使わせてもらった)
生稚児さんがここに乗る、全てが終わった後、生稚児さんは地面に降りる事はなく、昔は人に担がれながら地に足を着けずに自宅に帰っていたそうだが、現在はタクシーで帰るらしい・・・・

長刀鉾の粽、sanaが手に入れておいてくれた、販売時間前には売り切れるという、激レアもの!
購入後、自分で巻いて仕上げるのだ

粽とは笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守り、毎年祇園祭のときにだけ各山鉾のお会所や八坂神社で販売され、京都では多くの人がこれを買い求め一年間玄関先に飾る
山鉾は、街中を練り歩きながら、疫病、災厄を集めて回る、戦う鉾なのだ、その為本来は女人禁制なのだが、現在は長刀鉾の他は大部分が女性でも乗れるらしい。
千年以上昔から、京の街を守り続けた疫病、災厄と戦う男の山鉾達、
これらを見ると、歴史の重さを感じずにはいられない
我々は、昔から守り続けられて来た物の、今の部分に居るに過ぎない、
これからの(未来の)人達に残し、伝えて行かなければならない
昔の人が守って来たこれらを、後世の人に残す為、京都の人や、
保存会の活動がある事も忘れてはいけない
楽しみながらも、マナーや節度を持った態度で、気持ちよく祇園祭を体感してほしい
千年、二千年と伝えて行く為に・・・・・
感謝を忘れない様にしよう、今の自分達は、過去の人達の努力で楽しむ事が出来るのだから
次回記事は【 月 鉾 】です!
日本三大祭の一つ祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼。
古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、これを「牛頭天王の祟り」と当時の人は考え、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことに始まる。
応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中断したが、明応9年(1500)には復活、その時より山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われる事になった。

以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、近世には度々の火災で多数の山鉾が消失してしまったが、その都度、町衆の心意気によって再興し、今日に至っている。
祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられる。

自分も祇園際の知識が少なく、2~3日のお祭りだと思っていたら、
丸々1ヶ月かけて行うと、sanaに教えてもらって、その規模に驚いた。
TVで注目される、山鉾巡行だけがやたらに有名なのだが、実は7月の1ヶ月間は京都は祇園祭に染まるのだ!
驚いたのは、会社、企業、商店すらも祇園祭の一定期間は仕事を休んでしまう所もあるとの事。
しかも、山鉾が立っている道路も期間内は道路封鎖してしまうのだ、関東では無理だろう熱の入れ方がすばらしい!
それを毎年やって、文句の一つもない、都中が一体になっている連帯感が何とも言えない。

メインは、 7月14日宵宵宵山、7月15日宵宵山、7月16日宵山、7月17日山鉾巡行の4日間
宵山(よいやま)とは、祇園祭の山鉾(やまぼこ)巡行の前夜に行われる前夜祭の事を指し、その更にその前夜は宵宵山って感じに宵の文字が増えていくのだ。

世間様で言われる祇園祭は、前祭(さきまつり)と言われる7月14日~16日の宵山行事、17日の山鉾巡行の部分
後祭(あとまつり)と言われるものもあり、7月21日~23日の宵山行事、24日の山鉾巡行、花傘巡行がある
ことわざで良く言われる、(後の祭り)は、ここから来ているのだ、今更来ても本編は終わっているよって事だ。
近年までは後祭では、山鉾巡行は行われない様になっていたが、最近復活したようだ。

メインの辻回しの日などには行けないので、少し外れた時期の記事となる

山鉾の写真を撮るのは、朝一から9時ぐらいまでが限度だろう、宵山の10時などは人だらけで、まともに撮れなくなる

一番人気の「長刀鉾」をまずは見にいく(でないと大変な事になるぐらい混む)

山鉾とは巨大であり、本体だけでビルの2~3階に相当し、鉾の長い物はその倍ぐらいとなる

山鉾の前後面は、大きな提灯で覆われていて、直接見るのは横からとなる

長刀鉾保存会会場、ここで粽等を購入すると、鉾の二階部分に昇る事が出来るようになる、並ぶ気合が必要になる
内部では保存会で保管している、いわゆるお宝を限定公開しているので、内部も混み合う事になる

鉾の装飾の説明書き

ビルの二階から、右の特設渡り廊下を渡って鉾に乗り込む事が出来るのだが、長刀鉾は女人禁制で、男のみ乗れる

鉾の下のコーナーでは、グッズ販売の準備が佳境に入って来ている

大型の山鉾その他祭具が建ち並ぶので、必然的に道路を占拠する事になるが、地元の理解と協力は深い

各山鉾のスポンサーの提灯が路上に並ぶ、本体にはメインスポンサーのみ許されるようだ、各地域にある山鉾を、地域の有力者や店舗がバックアップして、祇園祭を地元密着で盛り上げているのだ

縦方向から見た「長刀鉾」、鉾の高さが際立つ

天を突く、一番鉾

ビルの谷間に聳える、災厄と戦う鉾

鉾に昇って見たいが、もの凄い時間を要するので、諦める

一時間以上炎天下で並び、空いてる内に他の鉾を見れなくても良いなら、並ぶ価値はある

正面から見た 「長刀鉾」、正直な所、実際に見ないと伝わらない迫力って、あるんだなぁ~って感じる

これだけ立派だと、保存の出資者も引く手数多である

晴天に恵まれ、鉾が美しい

鶴亀の御神酒も、山鉾の前では目立たなくなる

この巨大な車輪で街中を動きまくるのだ!

前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。
見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了した。

屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779~1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。

大事な懸を汚さない為に、平時はビニールで排気ガスや雨などから保護している

鉾だけでなく、随所にある装飾も見て行くと、なお楽しいと思う

祇園祭のお稚児さんには、鉾に仕える鉾稚児(ほこちご)と、祇園祭の神事である神幸祭・還幸祭で神輿の先導役をする久世稚児(くぜちご)があるのだが、長刀鉾に乗る唯一の生稚児は鉾稚児の方である。
当時の祇園祭では、船鉾以外はすべての鉾に生身の子ども、生稚児が乗っていたが、昭和4年に放下鉾の稚児が人形に代わって以来、生稚児を乗せるのは長刀鉾だけとなっていった。

(sanaの部屋予告で使用されているsana撮影写真を拝借)
長刀鉾は他の32基の先頭に立って率いて進むため、神の領域の境界線に張られたしめ縄を切り、結界を解く必要がある、この大役を担うのが、長刀鉾に乗っているお稚児さんの役割、人形では勤まらないのだろう。

長刀鉾は、鉾先きに大長刀をつけているのでこの名で呼ばれる、長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、現在は大永二年(1522)三条長吉作の長刀を保存し、複製品を鉾頭としている。
この鉾は古来「苦路取らず」といい、毎年必ず巡行の先頭に立ち、京の街を守り続けている。
なお、長刀の刃は、天皇の住まう御所や本神である八坂神社に向かないよう、南向きにつけられているそうだ。
![1468897158352_R[1]](http://blog-imgs-96.fc2.com/y/a/k/yakumo1100/201607212224406ba.jpg)
(sana撮影写真の一部を切り取り使わせてもらった)
生稚児さんがここに乗る、全てが終わった後、生稚児さんは地面に降りる事はなく、昔は人に担がれながら地に足を着けずに自宅に帰っていたそうだが、現在はタクシーで帰るらしい・・・・

長刀鉾の粽、sanaが手に入れておいてくれた、販売時間前には売り切れるという、激レアもの!
購入後、自分で巻いて仕上げるのだ

粽とは笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守り、毎年祇園祭のときにだけ各山鉾のお会所や八坂神社で販売され、京都では多くの人がこれを買い求め一年間玄関先に飾る
山鉾は、街中を練り歩きながら、疫病、災厄を集めて回る、戦う鉾なのだ、その為本来は女人禁制なのだが、現在は長刀鉾の他は大部分が女性でも乗れるらしい。
千年以上昔から、京の街を守り続けた疫病、災厄と戦う男の山鉾達、
これらを見ると、歴史の重さを感じずにはいられない
我々は、昔から守り続けられて来た物の、今の部分に居るに過ぎない、
これからの(未来の)人達に残し、伝えて行かなければならない
昔の人が守って来たこれらを、後世の人に残す為、京都の人や、
保存会の活動がある事も忘れてはいけない
楽しみながらも、マナーや節度を持った態度で、気持ちよく祇園祭を体感してほしい
千年、二千年と伝えて行く為に・・・・・
感謝を忘れない様にしよう、今の自分達は、過去の人達の努力で楽しむ事が出来るのだから
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