京都 祇園祭(2016年) その4(霰天神山)(放下鉾)

霰天神山は錦小路通室町西入にあるので「錦天神山」または「火除天神山」ともいわれる。
永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が屋根に降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。
霊験あらたかで、多くの山鉾が焼けた天明や元治の大火の時もこの山だけは残り、町の誇りになっている。
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山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風(からはふ)春日造の檜皮葺きの神殿を安置する。
巡行時、塀内には12本の若松と紅梅が立っている。
前懸は16世紀にベルギーで製作された「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いているが(平成21年復元新調)、中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。
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左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は「紅地雲龍宝尽図」(平成21年新調)が用いられている。
山の縁起にちなみ宵山には「火防せ、雷除け」の御守が授与される。
宵山に子供たちが「雷(らい)よけ火よけのお守は、これより出ます…」と歌いながらお守授与の受け付けをするそうだ。
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錦小道通に山が立っている
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霰天神山のフォントがカッコいい駒形提灯
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目を引く煉瓦調の建物があった
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膳處漢ぽっちりの入り口、まだ開店前
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しみだれ豚まん、ちょっと食べてみたいけど、1っ個500円
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鉾と違い、ちょっと小ぶりである
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ちょっとビニール失敬
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舟形の柵に囲まれているので、全体が分りにくい
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山としては標準サイズなんだろう
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本体が良く見えないが、駒形提灯だけでもカッコいい
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通りをちょっと見てみると
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お祭りなど特別な時にだけ、玄関の外に飾る玄関幕
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夜はこの様に玄関幕や提灯は内にしまいます
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翌朝この様に新たに外に出します
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錦小路通から新町通に出ると、「放下鉾」が見えてきた
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道一杯に広がった鉾、人が隙間を往来している(TVで山鉾巡行だけ見てる人には想像も出来ないシーンだろう)
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ミ○キーを逆さにしたような提灯のマーク(日・月・星三光だろうか)
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天空を突き刺す銛の様な鉾頭
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前懸・胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。見送は文政11年(1828)京都西陣で作られたものである
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販売グッズ
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鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する、かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが昭和4年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている。この鉾は明治の中期に胴組、天井、柱、屋根などが大改装され、金具類も順次整備された。
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鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。
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「放下鉾」はくじ取らずと言われる山鉾の一基である、これは「長刀鉾」が有名であるが、実は9基もあるのだ、前祭では長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、後祭では北観音山、橋弁慶山、南観音山、大船鉾の計9基である
かつて祇園祭の巡行は、長刀鉾(なぎなたほこ)は別格として先陣争いが絶えなかった為、応仁の乱後に巡行が復活された1500年(明応9年)以降、巡行順をくじで決める事とされたそうだ。
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何気ない、こうゆうの見るの好き
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夕日に灯りだす提灯がまたいい

祇園祭は目立つ山鉾巡行だけではない、むしろ巡行はほんの一部でしかない
何らかの神事、行事は何かしらほぼ毎日行われている、7月の1ヶ月のすべてが祇園祭である
その中でやはり、目を引くのが鉾立てからの山鉾が展示される期間だろう
街の中がまるで違った世界の様に感じる時間が始まる
その僅かな期間を見て、感じて、楽しもう
巡行が終われば、山鉾達は集めた疫病災厄と共にその日の内に分解され、蔵に収められる
山鉾とは戦う男の乗り物だ、来年また戦う日まで眠りにつくのだ
京の町はそうやって、千年以上守られてきたのだ

そしてこれからも京の町衆によって、受け継がれ守られて行くだろう
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