風船爆弾放流大津基地、平潟「震洋」訓練基地

風船爆弾放流大津基地は、茨城県北茨城市大津町の6号線そば県道354沿いにある
風船爆弾とは戦後に付けられた呼び名で、本来は気球爆弾と呼ばれていた
これは極秘の「ふ」号作戦といわれ 放流地はほかに福島県勿来関麓と千葉県一の宮海岸の合わせて3ヶ所あったが 大本営直属の部隊本部はこの地にあり 作戦の中心であった

風船爆弾については、ググってもらえば出て来るのであえてここでは書かない
ここには直径16メートルに及ぶコンクリート製放球台が18基あったが、現在は1つだけが残っている
また、水素ガス製造の為のケイ素鉄粉砕工場の基礎も近くの小道奥に現存しているようだ
「風船爆弾放流地跡 わすれじ 平和の碑」は、海岸沿いにあるので簡単に見つかるだろう
放球台は道路からは視認不可能と言えるし、ケイ素鉄粉砕工場も冬季でなければ
藪で視認困難だし、私有地のようだ。
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横浜から茨城への出張3ヶ月目(いつ帰れるんだろう)なので、県内の戦跡を訪ねてみた
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画像補正されているが、めっちゃ霧が深い高速移動だった
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国道6号線から県道354に向かって走る
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この辺だろうとのんびり走っていたら、案内板も何もなく山際に隠れる様な鎮魂碑を見つけた
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明治節にちなんで1944年11月3日に最初の放球が行われるはずだったが、誤爆事故が起こり3人の兵士の犠牲者が出た、放球は7日に延期されている、この事故で亡くなった兵士をまつっている碑である
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説明は何も無い
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念の為、吉辰とは、良い日、めでたい日、吉日の事
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海岸沿いに出てみると
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「風船爆弾放流地跡 わすれじ 平和の碑」がある
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新しい誓い
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残念ながら日の加減と汚れで、読みずらかった
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ここには結構な案内板が出ていた
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風船爆弾略図
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わすれじ平和の碑から延びる6号線への道の途中にケイ素粉砕工場がある
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風船爆弾放球所への道を歩いて行く
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スズメバチの巣の一部が落ちている、去年刺された記憶が蘇る
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整備されてるとは言いがたい道を歩いて行くと、開けた所に出た
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直径16mのコンクリート製放球台が現れた
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これは窒素ガスのタンクを置いていたと言われる窪み
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この窪みは2ヵ所ある、これは4時の方向
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8時方向にも同じ2mほどの穴が開いている
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片側にでも復元模型を着けてほしいものだ、どんな形か気になる
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放球台全景と言いたいが入りきらない、以前は土に隠れていたのを近年掘り出したようだ
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6号線に向かう軽トラ道を歩く、普通車では腹が当たって通れない
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ケイ素粉砕工場を探すもこの辺だろうでは、見つからない藪の状態であった

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直接の記事ではないが、登戸研究所(陸軍第九技術研究所)で風船爆弾は考えられた





茨城県北茨城市、平潟港内にある岩山に震洋の壕が残っている。
昭和20年(1945年)6月10日、第138震洋隊開設。
海軍第138、141の2部隊が、小名浜(福島県いわき市)に震洋の部隊基地を、平潟に錬成(訓練)基地を配置した(終戦直前に141部隊は平潟に部隊基地を移動)。
ここ平潟港はその練成(訓練)基地であり、拠点基地ではない。
隊員は土浦予科練第14期修了者48名。
「震洋」は全長6.5メートルのベニヤ製2人乗りのボートで、艇首に250キロ爆弾を装備し、敵艦に体当たりするもの。
しかし、この部隊は結局出撃せずに終戦を迎え、昭和20年9月20日に解隊された。
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雄翔館(予科練記念館)に模型が展示してある
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1型~5型があるが、試作を入れればもっと種類がある(陸軍も別タイプあり)
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震洋のスクリュー
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トンネルを抜け、平潟魚港に向かう
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あんこうのモニュメント
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一見のどかな漁港である
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特徴的な岩山に向かう
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途中小さなコンクリート製の壕を見たが物置程度だ
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かの震災は、こんな所にも影響を及ぼしていた
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壕自体はネットで保護され、外からしか見れない
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幾つかあるようだが、貫通している物もある
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秘匿性の問題はあるが、訓練基地だからと言う事だろうか、丸見えである
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対岸の方にもそれらしい穴が見えるようだが、見に行ってないIMG_1482_R.jpg
岩山の所々に壕は散見する
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こんな状態なので、近寄っていない
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こんな穏やかな海で、訓練が行われていた
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終戦の翌日、自暴自棄になった一人の隊員が艇に乗り転覆事故を起こしたそうだ、これが唯一の喪失だった
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こんな事がもう起きないようにと祈りつつ、撤収する
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コメント

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終戦の日に当たり

いつも素晴らしい新しいことが知ることが出来ます。!私の愚痴を聞いていただきたくここに飼ってですが着させていただきます。
肉弾特攻隊は空にも海にも合ったのですねー。渇)

おばんです!
姉やその夫も徴用されました。卒業証書は戦後もらいました。兄はこの写真に写っていますが早稲田大学の後ろでした。仲間がほとんど亡くなりました。特攻兵ではないですがガソリン不足で帰還不可能ですから飛行兵は皆
おばんです!特攻隊だ思います。特攻隊ばかり美化することは危険です。
。特攻兵も整備員の話ではほとんどがうろたえて担いで飛行機に乗せた」と語っています。陛下が言うように」二度と惨禍を繰り返してはいけませんですね~~映画で特攻隊といわれ続け実際は整備兵だった俳優の鶴田浩二さんが悩んでいたのです。本当のことをなかなかいえなかったそうです。現代政治は安保法制が成立して憲法改正したら昔に戻る恐れがあります。
安倍一族は疎外されるべきですね~!
側近や大奥の連中が諫言しなければ無理な状態ですね~^^失礼いたしました。)

荒野鷹虎 様

コメントありがとうございます
自分も各地で特攻隊基地を見て回りましたが、美化するつもりも
称賛するつもりもありません、ただ、そこにあったという事実だけを
この目で見たいだけです

特攻隊員も整備兵も同じ人間です、行く方も行かせる方も複雑な
気持ちだったでしょう、当時は何も口に出せる時代では無かったでしょうし
こんな事が二度と無い事を祈りつつ、これからも探索を続けていきます。

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カギコメ様

わざわざありがとうございます。
霞ヶ浦の某施設に赴任中にそちらの周辺を回らせて頂きました。
現在は横浜に居りますが、2時間程度で行ける場所ですので、是非行かせて頂きたいと思います。
今月は無理ですが、来月以降で都合が付きましたら御連絡させて頂きます。
その際はよろしくお願いいたします。