愛する恐ろしい京都 (地理編)

関西圏と関東圏では、当然の事ながら言葉(関西弁、関東弁)も違う、風習も違う
東男yakumoが、京都において困った事、感じた事、感心した事などを、横浜人目線で書いてみる
始めに断って置くが、京都を卑下する、下に見るなどと戯けた意味合いではない、ただ感じた違いを
京女sanaの監修の元に、ちょっと綴ってみたくなったのだ。
なお、京都市全体では無く、概ね洛中(京都中心地)の限られた地域においての比較である
なんせ洛中以外の外へ、あまり出た事が無いので、紹介しようも無いのである・・・(中途半端ですいません)


方向感覚の違い


まずは地理的な事になるが、京都は四角い碁盤目の中に街がある(ほぼ坂道すらない)
対して横浜は山間の狭い隙間にびっしりと建物が並ぶ関係で、100メートル直線があったら珍しい
(この直線とは坂道やゆるいカーブは除外、あくまで100メートル先まで見通せると言う定義です)
3Dダンジョンを想像して貰いたい、yakumoにとって京都の街は、リアル3Dダンジョンだった

完全な碁盤目ではなく、不規則な大きさのブロックに泣かされた、角を2回曲がると位置を見失う
横浜だと目印の高層ビル(ランドマーク等)などで、位置確認出切るが、京都市は条例で高層建築物が無い
京都駅付近だったらロウソク(京都タワー)が目印になるが、そこから上がって(北上して)しまうと何も無い
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京都タワーより高い建築物は多分無い
京女のsanaは、ダンジョンの如くの街中を「なんでこんな簡単な道が解らんのや?」ってスタスタ行ってしまう
撮影中にはぐれる事度々・・・
どうやらsanaは頭の中で現在地のマッピングが出来ていて、迷う事が無いらしい
逆に神戸や横浜の港町に行くと、道が曲がっていて解らなくなると言っていた
生活環境において、地理感覚が違うようだ


東西南北の違い


横浜では普通に東西南北で方向をあまり表さない、横浜を起点にしたら国道何号線を川崎方面に~とか
横須賀方面に~って感じで説明する、後は〇〇交差点を右折って感じに補足する
これは道が曲がりくねっている為、東西南北に真っ直ぐ進めないからだ
しかし京都の城の内(中心地)は違う、1200年前の平安京の時代から碁盤の目状に道路が出来ているのだ

京都では関東の常識ではかなり困る住所の書き方をしてある、ここに東西南北の違いがある
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注目は【下る(さがる)】の部分、南って意味だ、番地が無いのが普通だ(ある所もある)
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【上がる(あがる)】だとこんな感じ、多分最新型の表示板だろう
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【室町通二条下る】の部分は、「縦の通り[室町通]」+「横の通り[二条(通)]」+「方角[下る]」という構成になっている。
大体は、「当該建物と直接面している通り」か「縦の通り」を先に記し、その後に「縦の通りと交差し、当該建物に近い方の横の通り」を記すというのが基本的な法則となっているようだ。
そしてその下に、縦の通りと横の通りが交差している地点から見て、当該建物が北側にあれば「上る(あがる)」、南側にあれば「下る(さがる)」、東側なら「東入る(ひがしいる)」、西側なら「西入る(にしいる)」と続くわけである
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これはレアな町の境界にある表示板、上がる(あがる)下がる(さがる)の表示が面白い
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東入ル(ひがしいる)
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西入ル(にしいる)いろんなプレートがあって面白い
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下る(さがる)、昭和風のブリキの仁丹看板が、マニアに喜ばれそうだ
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割りとレアな表記板を見かけた、仏光寺通を烏丸通りから東に入って路地を南下するって意味だ
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烏丸通りに面していて一条通りに北上して路地を西に入った所って意味だ、位置関係によって太い道、近い道の優先順位が変わって来る、これを一目で見分けられたら京都に住めるで

横浜では何町何番何号まで電柱などにも表記してある、京都ではこの住所に宛名を書けば郵便物は届くらしい
京都では非常に住民の移動が少なく、長く定住している人が殆んどで結果的に新しい人も、新たに入居する隙が無いから入って来れない
そんな状況だから成立する、京都においてのみ流通している住所表記の特徴である

ここで関東の東西南北との違いを書いて見ると
北=上る(あがる)・・・のぼるではない(例、上り線)
南=下る(さがる)・・・くだると読んだら「さがるや!」てsanaに怒られた
東=東入る(ひがしいる)
西=西入る(にしいる)・・・るを書かない場合もあり、また、カタカナ(ル)での表記も多い

京都は碁盤の目になっているので、こんな言い方がされている、御所(天皇)に向かって南北の通りを北に向かう「上る(あがる)」、御所から南北の通りを南に遠ざかる事を「下る(さがる)」といった所からきています。
「東入る(ひがしいる)」は東へ行く、「西入る(にしいる)」は西に行くそのまんまの意味
これは全て御所を中心に考えられた意味であるが、最近では御所と関係なく、市内では北=「上る」、南=「下る」といった意味で使われているようだ。
また、当時と違い現在は御所より北まで街が広がっていて御所より北側にある街でも、北へ行く事を「上る」、南は「下る」と言う。

上がる下がるについては諸説あり、一つの有力説は地理的事情によるものだ、「北に山、南に湖沼」といった風水に基づく立地条件を満たす場所として、平安京造営に選ばれたと言われている京都盆地であるが、愛宕山、岩倉山など北部に山が連なり、南には当時巨椋池があった(埋められた)この土地は、南側が低地で北に向かって緩やかな傾斜で高くなっている、この高低差から北側は上る、南側は下ると表現されたという。
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街中の掲示板にも、住所が表記されている、町名が少しわかりやすい(町内掲示板やし)

余談ではあるが、カーナビの場合は「上がる、下がる、西入る、東入る」では、ほとんど認識されない
観光客向けのレンタカーには予め観光候補地がカーナビに登録されているから迷う事はないだろう
安心して京都に来て欲しい


京都は主要な通りに全て名前がある


横浜では国道、県道、市道以外は殆んど名前が周知される事は無い、しかし京都は違う
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こんな風に、覚えやすくする為の歌もある (sanaの部屋で以前紹介した歌
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正に碁盤の目のような・・・
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このパネルは観光客向けに横になっているので、本来の地理的には御所が上、京都駅が下な感じになる
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これを普通に全部覚えているらしい、ちなみにこれは縦方向の通りのみ、当然横方向の名前も存在する


以外に慣れると解りやすい交差点名


横浜だと〇〇町交差点とか、駅などの公共物名を使った交差点名が多く見られる
京都では上記で説明した縦の通り(南北)の名前と、横の通り(東西)の名前を合わせた名前となっている
表記法方は縦(南北)の道が先に来る方が多いが、四条通だけはメインストーリートのせいか、横(東西)の道の四条が前に表記される
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堀川通りが"縦(南北)"で、御池通りが"横(東西)"の通りである、交差点名は「堀川御池」交差点となる
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七本松通りが"縦(南北)"方向、御池通りが"横(東西)"方向で「七本松御池」交差点となる、こんな感じになるのは碁盤の目ならではだろう
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もう一つ例を挙げると烏丸通りが"縦(南北)"方向、丸太町通りが"横(東西)"方向、
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この場合は「烏丸丸太町」交差点となる
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例外的な交差点、「四条烏丸」交差点
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本当にこの四条だけが先に来る
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ちなみに交差点そばのバス停も同じ様な書き方になる、ちゃんと四条烏丸の場合は四条が先に書いてある
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確認の為に四条烏丸バス停も新たに撮ってきた

ある程度通りの名前を覚えて来ると、結構有効なポイント表示だと思えてくるのだが
最初の内は縦の道と横の道が解らないので、交差点名を見てもかなり難しかったと言うか、解らないのが現実だった

しかしすべてがそうなのではなく、四条通と東大路通の交差点は「祇園」、西大路通と丸太町通の交差点は「円町」、今出川通と東大路通の交差点は「百万遍」と呼称している、これは都市計画による新たな街路が敷設された場合に、交差点名として伝統的な地名を採用したものが多いのだそうだ


右京区、左京区が逆配置?


京都市の地図を見てみると、左京区が右側、右京区が左側という逆の位置関係になっている。
中国の古典に「天子、南面す」という言葉がある、君主は北を背に南に向かって君臨し、政務を司るしきたりがあったのだ。
長安など古代中国の王城都市はこれに従い、都の北部中央に王が鎮座する宮城が位置し、そこから南に向かって区画が広がる造りとなっていた。

中国の都に倣って築かれた平安京ももちろん同様であり、北端中央の宮城から南に向かって都を見渡した天皇の視点を基準に、中央の朱雀大路より左手は左京、右手は右京と呼ばれるようになった。
なお、現在は朱雀大路は完全に失われて都市整備されている、僅かに地名や学校名等に痕跡が見られるだけである
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (中央の道が朱雀大路)

歴史雑談録様の記事内に平安京と現代地図との見やすい比較図があるので、参考にさせて頂きます

歴史マニアともなればですね、例えば、京都での待ち合わせなんかは、以下のような感じの日常会話になることでしょう。

「明日の合コン、大内裏は南、美福門で待ち合わせな。」
「二条城の中やんけ、アホか。店、押小路沿いやろ? 皇嘉門あたりがええて。」
「刑部省らへん? うち、二条四坊やから近いわぁ」

という風に、「京都は平安京におます」という前提で見るのが、歴士・歴女の雅なマナーでございますねぇ。
(以上、歴史雑談録様の記事内より)


上図を見ると、一般の観光客が喜んで「京都らしい」と思っている清水寺、祇園、知恩院、南禅寺、平安神宮、銀閣寺方面は
京都の外側に位置している
古来から京都に住んでいる人からすると「そこは京都ではない」と認識されている場所である
次の機会に説明するが、京都では平安京の枠内(城の内)が、本来の京都であると認識されている所があるのだ
古来より、一般の観光客が喜んで「京都らしい」と思っているその地域は、刑場や死体捨て場、風俗関連の地域であり、あまり好ましい場所では無かったようだ
以前にも紹介した「蹴上」などは、南禅寺、インクラインなどの観光のメッカとなっているが、元々の由来は
泣き叫ぶ罪人を、蹴り上げながら刑場に歩かせる道から来ているのだ。おーこわっ。


膨大な数の町名がある京都


横浜では普通、例として横浜市中区桜木町〇丁目の次に〇番地〇号と続くのだが、京都には〇丁目に当たる物が無い
桜木町は1~7丁目から成り、1~3丁目は中区、4~7丁目は西区に属するややこしい所だが7つに町が分かれている
京都の場合はこの7つに個別の名前(町名)が付いている、だから町名が膨大な数になってしまっているのだ

また、同一の町名が同一区内のあちこちにあるので困ってしまう
たとえば中京区内に「亀屋町」は5ヶ所あり、さらには下京区にも2ヶ所、上京区にも4ヶ所ある。
このような同一町名は中京区内だけでも32ヶ所もある、他には中京区に八百屋町が2ヶ所、油屋町が3ヶ所、そして先に上げた亀屋町が5ヶ所もある。
また、上京区には亀屋町が4ヶ所、東町が3ヶ所といった具合である、これらは一つの町の飛び地ではなく、関係のないまったく別の町である。
ただし、同じ町名でもそれぞれ郵便番号が異なるため、7桁の郵便番号を記載すれば、街路名がなくとも郵便物は配達される。

余談だが近年、街路名を用いた住所表記では、インターネットの地図サイトやカーナビゲーションで検索できないという理由で、街路名を含まない町名と番地だけで住所表記する事例も増えている
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