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東京湾要塞跡国指定紀念シンポジュウ厶と衣笠弾薬本庫プレ

この日は午後から「東京湾要塞跡国指定紀念シンポジュウ厶」があるので横須賀に行く
朝、諸用を済ませ、area438様からの情報の確認に再度訪れた、しかし「私の足で1時間」と親切に書いてあったので
良し、2時間あれば往復できそうだなんて甘かった、撮影時間をまったく考えてなかった、しかも斜面を上り下りしたり
余計な事をしまくっていて、結果として防五三~七五までしか行けなかった。
すいません、出直してきます!
期せずして、祐実総軍メンバーとOKN氏と合流しての調査となったが、自分のみタイムオーバーでのリタイアとなった
彼らはその後も探索続行し、防九四まで確認し、防火用水の遺構も確認している。
それに比べて自分は2回目の探索も中途半端になってしまった、情けなや~
9区から山科台までのコースが本来の旧陸軍の警備道を遊歩道にしたもので、陸軍柱と境界柵、東京湾要塞地帯標を確認する事が出来たが、今回はプレのみにし、踏破後記事にしたい。
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旧軍弾薬庫から上にあがる
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まず見つかったのが防五三
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警備道に並ぶ、近代コンクリート柵と旧軍境界柵
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見事なまでに連番で残っている、実際に珍しい事だ
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違うのも混じっている
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今回の最終ポイント、防七五
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東京湾要塞地帯標(ちょっと風化が進み読みづらい)
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リタイアする自分は、更なる探索に旅立つ勇者達を見送った
ここからが大変だった、現在12:45、開始時間13:30まで45分しかない、1時間以上かけて歩いた山を15分以内に走って下山、30分で汐入まで飛ばし、なんとか開始時間丁度に間に合った。


帰り道、下山しながら撮った動画

基本シンポジュウ厶は、撮影録音禁止である、本編意外と展示のみのつまらない記事だろう
まず、猿島砲台跡と千代ヶ崎砲台跡が国指定を受けたと言われているが、実際にはまだである
平成26年11月答申(内定)と言う状態だ。
更に細かく言えば、猿島は島全体ではなく砲台關係のみ、千代ヶ崎は新砲台部分が民地の為、自衛隊施設跡部分のみの、限定指定である、要するにその他の部分は地主の気分で壊すも売るも自由である。

国指定史跡の種類別指定件数を見ると、原始期667件、古代期386件、中世期301件、近世期(江戸等)343件、近代なんと4件のみ、1724件中4件のみなのだ、しかも近代戦争遺跡としては日本初の指定となる。
厳密に言えば西南戦争時の物が1件だけ過去にあるが、近代戦争とは微妙に違うだろう
県や市で認めるものや土木遺産として認定は受けている物は多数あるが、国が認めている物は無い
原爆ドームは戦跡ではあるが、被害建築物であり、ちょっと違う

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ヨコスカ・ベイサイド・ポケットに到着
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13:30ジャスト
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既に誰もいない
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歴史と言う部分にはあまり触れなかった、東京湾要塞と言う観点での説明が始まる
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約200名ほどの参加者がいたそうだ
前半は東京湾要塞としての歴史と移り変わりの説明、休憩にパネルを見に行く
先に説明しておくと、猿島砲台は最初は第一砲台から第三砲台まで計画されていたが、途中第一砲台(山頂部)を司令部に変更、以下繰り上げ(第二砲台が第一砲台に)となっている
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猿島遺構図、ただ貼って行く
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このパネルはかなり新旧が入り混じっている、10年以上の差があるようだ
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千代ヶ崎砲台の遺構図(フラッシュを焚いた訳ではないが、天井のライトが映る)
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休み時間は書籍販売などもやっていた
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後半は砲台自体の説明を行う
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こんな感じで進行して行く
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引き続き千代ヶ崎砲台
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普通の人には千代ヶ崎砲台は公開されていない、この様な時は画像とは言え見れる機会だろう
既に自衛隊施設はアンテナなども含み、おおむね撤去済みである
埋まっていた第二砲座も掘り起こされ、整備されている、一見の価値は十分にある。
この様な集まりは無料もしくは数百円程度の物なので、積極的に参加してみてはどうだろう
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シンポジュウ厶が終わり、帰途に着く
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会場となったヨコスカ・ベイサイド・ポケット
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海軍下士官兵集会所跡地、EMクラブのあった所である

巷で話題の遺構?
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うらがの左上
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船越にある監視哨・・・かな?
kanさん、もう1つある奴、こんな物でどうでしょう?

kanレポートの記事

光心寺比叡鎮魂碑、衣笠山(衣笠神社)

地元にあっても、結構気が付かない戦跡も多いと痛感するこの頃だ・・・
今回も出処不詳の情報からの捜索だ、まさか衣笠駅付近にこんなのがあるとは知らなかった
まぁ、派手な地下壕や砲台が多いこの界隈、直接の遺構ではないこれらに目が行かなかったのだ
しかし、知ったからには行かねばならない、西浦砲台に行く途中に立ち寄って行く事にした
まずは衣笠駅から歩いて5分程度の光心寺には、第三次ソロモン海戦で戦没した戦艦「比叡」乗員の為に建立された軍艦比叡鎮魂碑と軍艦戦没者供養搭がある、他に小室千代太郎招魂之碑(明治期の比叡乗員)もある、地下壕もちょっとある
なぜここに比叡の鎮魂碑かといえば、金剛型2番艦の比叡は、金剛をベースに横須賀海軍工廠で造られたからだ

艦内神社はここではなく(寺だし)、滋賀県大津市の日吉大社である
昭和五年の軍縮会議の結果、練習戦艦となり大元帥の御召艦として観艦式などに使われるが、昭和十五年初めに近代化改装により最新鋭の高速戦艦として、第一線に復帰した。
第一航空艦隊の支援部隊として「ハワイ」「印度洋」「ミッドウェー」等の海戦に参加したが、第三次ソロモン海戦において、
敵弾が舵取機に命中し航行不能に陥った、翌早朝から敵機の反復攻撃を受けよく奮戦したが、日没におよび阿部司令官の命により乗員を駆逐艦に移乗し、自ら「キングストンバルブ」を開いたが尚沈まず、最後に駆逐艦・雪風の雷撃で止どめの一撃を加え、やっと沈没に至った。
第二次世界大戦の日本海軍における戦艦喪失の第一号である。
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光心寺、手前に参拝者専用駐車場がある
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お地蔵様
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ぬこ様
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奥の忠魂祠堂に向かう
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向かって左側に軍艦比叡鎮魂碑と軍艦戦没者供養搭、五輪塔が並んでいる
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戦没者名だがほぼ読めない
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一応貼るが、読めないだろう比叡略歴
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五輪塔側面
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五輪塔裏面
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お供え、わかってる奴が居る
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碑とお堂の間に、なにか見える
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穴発見!
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入ってすぐに右に折れている
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左は狭い空間で終わり
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瓦礫で埋め尽くされた通路の先に、空間が見えるが、行けない
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小室千代太郎招魂之碑、の奥
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先の地下壕のもう一つの入口、何故こっちだけコンクリート封鎖?入口も綺麗な四角だし、実は結構な地下壕がこの裏側に広がっていたりして、なんて想像をしたくなる
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割と新しめのお堂に見えるので、戦中は何か軍施設がここにあったのかも知れない、単なる貯蔵壕かも?
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裏側には見るからに、古そうな建物が残っていた、取り敢えず見る物は見たので撤収するが
疑問がこの時あった!
明治17年7月24日に廣島港殉職した軍艦比叡の乗組員小室千代太郎氏(茨城県出身)の招魂碑で乗組員有志が建立したとあるが、比叡の竣工・引渡は1914年(大正3年)8月4日である。
なんて思いながら、後で考えたらなんの事はない、初代「比叡」装甲コルベット(金剛型)だった
初代「金剛」は1878年(明治11年)1月に英ハル・アール社で竣工、「比叡」も同年2月に英ミルフォード・ヘブン社で竣工し、2艦とも5月に日本に到着している、1911年(明治44年)除籍。
現在ここには三世代の金剛型が揃っている(ペットボトル含み)ってことだ

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すれ違いの出来ない細っこい道を登って行くと衣笠神社がある
衣笠神社は「軽巡衣笠」の艦内神社と言われているが、諸説ある(巡洋艦は山川の名を冠する)
横須賀の衣笠神社と走水神社、果ては京都の平野神社(近くに衣笠山がある)などの候補があるようだ
アジ歴などで見ても複雑でわからん、結局の所複数の神社を合祀したようだ、走水神社と平野神社を基本に
衣笠城ゆかりの三浦大介義明公の像が載せられていたらしい。
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一応10台ぐらい停められる駐車場がある
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由緒
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本殿
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本殿右側の、明治二十七、八年日清戦役戦勝紀念砲弾、以下不明
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砲弾の跡だけはあるのだが、金属供出だろうか?
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明治三五年建立
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左側にもあるのだが、傷みが激しく上部の砲弾跡だけしか判別できない
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結局、軽巡衣笠関連は、何も見つからなかった
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林の向こうに何か見える
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かなり高い、10mぐらい有りそうだ
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西田明則君之碑
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要するに、陸軍西田工兵大尉の東京湾海堡建設に貢献した偉業を称えるもの
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何故東京湾海堡が土木遺産にならないか、不思議だ
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ペンギン
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トンボ
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ウマ、カエル・・・なんだこのオブジェは?そこらじゅうにある
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開けた所に出た
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やたらに石碑が多い
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忠犬ハチ公は1934年(昭和9年)に生存中に銅像を作られている、忠犬ブーム?
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慰霊碑の様だが・・・
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百選
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石柱の生えてる階段を登ると日露戦争の戦没者慰霊のための砲身型の大きな記念塔(忠魂碑)が建っていた
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撤去され、残った台座の傍らに何かの牌がある
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三浦郡奨兵義會として會長ほか二十名の氏名が刻まれているらしい。
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登ると観音堂がある
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「三浦半島出身戰歿者諸英霊位」と記された位牌銘にあるようだ
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景色を眺めつつ、山を登る
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上の方に無骨なものが、見えて来た
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いつの間にか、133mまで登ってきたようだ
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鉄骨とコンクリートの展望台
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早速登る
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遠方に富士山が見えた
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木に繋がれている、猪のオブジェ
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謎は溶けた
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斜面に埋もれかけの碑がある
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満期紀念
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横鎮の文字がある、横須賀鎮守府で兵役満期を迎えたものか?
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最後に1本石柱を見つけたが、何も書いてなかった

池上 海軍貯水槽

神奈川県横須賀市池上4丁目にある海軍の貯水槽を見に行った
池上十字路方面からトンネルを抜け、最初の交差点を左に折れて住宅地の上の方にある
住宅街の上の方にある、個人邸と合体しているので場所は伏す
付近には不入斗公園の旧陸軍の重砲兵連隊の練兵場(遺構は無い)、横須賀重砲兵連隊営門、陸軍病院などの陸軍関連が多いのだが、水道関係は基本的に海軍管轄となる様だ。
同期の櫻様から紹介して頂き、現地調査となった。
YokosukaSuidouMap.png場所的には逸見浄水場の下側になるので、有馬系統に属する物と思われる
DSC02104_R_20131119221440ccb.jpgこの急坂を登った所に見えてくる
DSC02105_R_20131119221441d21.jpg何の飾り気も無い無骨なコンクリート
DSC02106_R.jpgアンテナか何かを付けていた跡、蝶ネジは近代物
DSC02107_R_20131119221444b64.jpgこの様に庭先に合体している
DSC02108_R_2013111922144584e.jpg恐らく未だに国営地もしくは市の管理地扱いで、壊せないのだろう
DSC02109_R_20131119222254d90.jpgパイプの結合部が2つ
DSC02110_R.jpg多少錆びてはいるが、まだ使えそうだ
DSC02111_R_201311192222589ea.jpg覗き込むと、中は明るかった、天井は無いようだ

このブロックには他に見る物が見つからなかった、止水栓とか標柱を探してみたが徒労に終わった。

長井倉庫壕、海軍砲術学校長井分校

少し、この辺の土地柄に触れておこう、三浦半島南から相模湾方面は、記事で紹介した様に砲台、機銃陣地などが多く、有名ではないが(とゆうか、殆んど知られてない)長井と黒埼には飛行場が終戦直前に完成した物がある。
グーグルマップの航空写真などで見ると、京急三崎口駅から黒埼の鼻方面に妙に長い長方形の畑が見えるだろう
三戸北狙撃陣地の冒頭で触れた滑走路が、これである。
なお、黒埼飛行場は完成したが、海風が悪く、適さないと判断され、殆んど使用されていない。
今回紹介する長井倉庫壕は、長井飛行場の関連施設では無いかと思われる。
長井飛行場は航空自衛隊レーダー基地から、ソレイユの丘辺りの直線がそれだ、昔を知る人ならば米軍の長井ハウスの名前を思い出すだろう、1985年に返還されたが、しばらくは米軍廃墟、及び滑走路を使ったラジコンコースでも一部で有名になった。
正式名は横須賀第二飛行場とゆうそうだ。
自分もハウスの中をバイクで走り回っていた思い出がある。
DSC06193_R_20130903201019378.jpg滑走路から一段低い斜面に作られている、まずは南側の壕を捜索する
DSC06194_R.jpg畑脇にある不明なコンクリート遺構
DSC06195_R.jpg半分ほどは土嚢で埋められているが、開口している物もある
DSC06198_R_20130903201024da0.jpg主出入り口は、結構大きい
DSC06199_R.jpg壕口は、置かれたままになっている竹材が積み重なる
DSC06200_R_20130903203213bec.jpg壁には何かを差し込む様な、穴が多数あいている
DSC06202_R_201309032032153bd.jpgちょっと窪んだ、T字路になる
DSC06203_R.jpg神棚と思われる掘り込み、ご真影と思われがちだが、司令部などにしか置く事は無い
DSC06205_R_20130903203218219.jpg右側に進むと左右に部屋が見える、綺麗なものだ
DSC06206_R_201309032032195c8.jpg中も広く十分に稼動施設として使える
DSC06208_R_20130903204423e8b.jpg壁にはいたる所に支保工と思われる溝があるが
DSC06209_R_2013090320442568c.jpg不思議な事に、丸いのだ
DSC06210_R_20130903204426f58.jpg部屋には多少の大きさの違いはあるが、いい出来だ
DSC06211_R.jpg小さな階段がある、サービスか?
DSC06212_R.jpg右を見るとゴミだらけの開口部が見える
DSC06213_R.jpg奥の方はまた、T字になるが、左はすぐ行き止まり
DSC06214_R.jpg右は少し進むが、崩落多し
DSC06215_R_20130903205506e51.jpg終息
DSC06216_R_20130903205508c99.jpgでは戻ろう
DSC06218_R.jpg今度は左側に行く
DSC06219_R_20130903210131961.jpgやはり、左右に部屋が幾つもある
DSC06220_R_20130903210134b15.jpg部屋の奥の方は石の質が違う様だ
DSC06221_R_20130903210135224.jpg小振りな部屋
DSC06222_R_201309032117373d5.jpg通路が複雑になってくる
DSC06224_R.jpg珍しく左にカーブを描いている通路
DSC06225_R_20130903211739f24.jpg左側の小部屋、馬蹄型は倉庫としては面積の損だ
DSC06226_R.jpg開口部が近いと、ゴミが増える
DSC06227_R_20130903211743ecb.jpg外から見た、土嚢の壕口
DSC06228_R_2013090321240041b.jpgでは、戻るとしよう
DSC06230_R.jpgこの壕は思ったより、地質が悪い様だ、かなりこの辺の天井は崩れている
DSC06234_R_20130903212703663.jpgでは、南側の倉庫壕に移動する
DSC06235_R_201309032127072fa.jpg畑の奥にその壕はある
DSC06236_R.jpg現在は残念ながら封鎖されている
DSC06238_R.jpg内部はそのままの様である
DSC09358_R_2013090321450821e.jpg長井小、中学校の辺りに海軍砲術学校長井分校はあったそうだ、1943年4月15日 予備学生教育のため「横須賀砲術学校長井分校」を設置、この前年に館山砲術学校も開校している
DSC09364_R_201309032145141f1.jpg長井アパートの崖には、当時の司令設備のある壕があった
DSC09362_R_20130903214510328.jpg今も確認出来る壕口は2つ
DSC09363_R_201309032145128b6.jpg残念ながらコンクリートで塞がれている
DSC09361_R_20130903215324ca6.jpg長井中学校の前の畑には、開口している穴がある
DSC09359_R_20130903215323d9f.jpg学校から丸見えと畑を突っ切らねばならない為、外観のみ確認、確かに開いている

秋谷狙撃陣地

横須賀市秋谷1丁目の秋谷漁港の外れた所に、その銃眼は開いている
秋谷狙撃陣地は、かなりマイナーで殆んどの人は、存在すら知らないだろう
ネタとして聞いたのは秋谷に狙撃陣地があり銃眼はコンクリート製程度の物で、場所不明
今回は山狩りでなく、海岸狩りとなった、一人では大変なので榴弾砲氏を誘う
立石から秋谷漁港までは砂浜、漁港はコンクリート桟橋、必然的にそこから先の捜索に絞られる
漁港の端っこから海岸に降りてすぐに、海軍柱を見つける岩礁にも境界石が見える、楽勝に思えたが
全く見当たらない、ついに芦名海水浴場まで来てしまった、確実に来すぎだ
戻りながら再調査をするが判らない、既に軽く1時間以上同じ所をうろうろしている
諦めて戻ろうとした時、外観はただの崖の藪にしか見えないが、引っ掛かる物を感じ崖を這い上がり
藪を掻き分け、やっと銃眼を見つけた、外部からは生い茂った藪で完全に見えなくなっていたのだ
そんな苦労はあったが、遺構のみを紹介する
DSC06625_R.jpg漁港から海岸に降りた先に2本立っている
DSC06626_R.jpg海の文字がある
DSC06627_R_20130624213304.jpg大楠漁協の手前にある境界柱
DSC06628_R_20130624213305.jpgこれは係留用か、何も書いてない
DSC06660_R_20130624213307.jpgこの崖を上り藪に突入した
DSC06632_R_20130624214045.jpg掻き分けると、何か見えてきた
DSC06629_R_20130624214043.jpg見付けた!苦労した分感動的だ
DSC06633_R.jpg鉄筋コンクリートの立派な銃眼だ
P1320411_R.jpg手前が邪魔くさいが気にせず突入する(写真提供榴弾砲氏)
DSC06636_R_20130624214048.jpg中から見た銃眼部、コンクリートはここだけ
DSC06656_R_20130624214727.jpg狙撃口特有の段々が切ってある
DSC06635_R.jpg中央には機銃座の穴が開いている
DSC06637_R_20130624214726.jpg少しどけて見たら、動物の糞が出て来たので、掘るのをやめた
DSC06638_R_20130624215232.jpgでは、早速内部へ
DSC06639_R.jpg高さは2mほど有るので歩くのは楽だ
DSC06640_R_20130624215235.jpg典型的な洞窟陣地の通路、何か落ちている
DSC06641_R_20130624215236.jpg糞の落とし主だろうか
DSC06642_R_20130624215237.jpg右に分岐がある
DSC06643_R_20130624222830.jpg床の材木の所に何か落ちている
DSC06644_R_20130624222831.jpgインク壷かランプビンにも見える
DSC06645_R_20130624222833.jpgすれ違い場
DSC06646_R_20130624222834.jpg分岐を進んでみる
DSC06647_R_20130624222836.jpg民家の裏に開口している様だ、外から塞いでいる
DSC06648_R.jpg分岐に引き返す、目の前にさっきのすれ違い場がある
DSC06649_R_20130624223559.jpg本道に戻る
DSC06650_R_20130624223600.jpg壁は白みを帯び、高さが無くなって来る
DSC06651_R_20130624223602.jpgなんと水没、先はまだ有りそうだが、しかたがない
DSC06654_R_20130624224118.jpg狙撃室まで帰ってきた
DSC06657_R_20130624224121.jpg榴弾砲氏も生きて帰ってきた
DSC06655_R_20130624224120.jpgではまたこれを乗り越えて脱出しよう

兎に角長い通路を有する地下壕であったが、分岐も少なく変化も無いので写真は少なめ、機会が有ったら
ウエイダー装備で再訪してみたい、あれだけ長い通路で先には何も無しって事は無いだろう
しかし、もう一つ銃眼が有ったとしても、水中と化している公算は大なり