fc2ブログ

峯山海軍航空基地(河辺(こうべ)飛行場)その2

DSC04378_R_202401021146238b8.jpg
第四格納庫の見学を終え、この前の農道を向かって左側に進み、道を渡り隣のブロックに移動する
DSC04379_R_20240102114627729.jpg
すると民家とビニールハウスの間に遺構が見えて来る
DSC04381_R_20240102114627fa9.jpg
家の様な屋根だが燃料庫だ
DSC04382_R_202401021146303a7.jpg
回り込んで行く、この中にドラム缶にして50本ほどの燃料が保管されていたそうだ
DSC04383_R_20240102114630eb3.jpg
現在は民家の倉庫となっているので、農道から見るだけにする
DSC04384_R_20240102114630fdf.jpg
モルタルの下から煉瓦が見えている、本体は煉瓦造りのようだ
DSC04385_R_20240102114634344.jpg
裏側には窓の一つも無い
DSC04389_R_20240102114634a6f.jpg
離れて全景を見る
DSC04386_R_20240102163850050.jpg
そのまま農道をホームセンターマイン方向に進む
DSC04387_R_202401021638538b1.jpg
道路に出る頃には、弾薬庫が見えて来る
DSC04388_R_20240102163853d57.jpg
元々弾薬庫は2棟あったらしい、もう一つ有った隣の弾薬庫は道路拡張工事の際に撤去された
7.7mm機銃用の弾薬が主に収納されていたそうで、機銃掃射された時は爆弾収納庫だったら吹き飛んでいただろう
DSC04390_R_20240102163857d73.jpg
後ろ側のあぜ道から接近する
DSC04391_R_20240102163857d9a.jpg
意外と損傷は多い
DSC04392_R_2024010216385749e.jpg
モルタルの下に煉瓦が覗く
DSC04393_R_20240102163901c19.jpg
通気口の跡だろうか
DSC04395_R_20240102171544fc0.jpg
背面部に窓は無い
DSC04394_R_20240102171541602.jpg
電灯用の碍子が金具に残る
DSC04396_R_20240102171544446.jpg
この面は破損が少ない
DSC04397_R_20240102171548066.jpg
真横から
DSC04399_R_20240102171548e31.jpg
正面には機銃掃射痕が多数残る
DSC04405_R_202401021721159bd.jpg
正面は意外とボロボロだが、機銃掃射のせいだけでは無いだろう
DSC04401_R_20240102172108575.jpg
入り口前はコンクリートが敷かれている
DSC04403_R_20240102172112980.jpg
庇か何かの基礎だったのか、アンカーが並ぶ
DSC04404_R_20240102172116ca7.jpg
左角はボロボロだ
DSC04402_R_2024010217211204a.jpg
入口を潜る
DSC04406_R_20240102172116e7f.jpg
天井は爆風を逃がす為に木造だったのだろう、何も残っていない
DSC04407_R_20240102173658091.jpg
弾薬庫内左側
DSC04411_R_20240102173702249.jpg
煉瓦に木材が埋め込まれている、棚でも付けていたのだろう
DSC04408_R_20240102173702b66.jpg
右側も同様
DSC04412_R_202401021737066a6.jpg
弾薬庫からこのあぜ道を通り、道路に復帰する
DSC04413_R_20240102173706e75.jpg
道路を北上して行く、出っ張った家を越えると
DSC04414_R_2024010217500184e.jpg
アパートの様な建物がある
DSC04415_R_20240102175004180.jpg
新町区公民館だ
DSC04417_R_20240102175004ff1.jpg
この入り口に何の説明も無いが海軍マンホールが展示してある
DSC04418_R_20240102175008390.jpg
その後ろにグランドがあるが、どう見ても不釣り合いな転圧機?が二つある、遺構かどうかは知らない

このコースで回れば最短で基本的な遺構は全て見れるだろう、歩いて回れる範囲だ
他にも国道312は滑走路の一部であり、舟山の山中に機銃砲台の塹壕があり、峰山町新町に通信所の壕が3か所中2か所現存するらしいが、場所は全く判らない。

峯山海軍航空基地(河辺(こうべ)飛行場)その1

DSC04323_R_20240101204933326.jpg
最初の遺構は三ツ橋の付近にある
DSC04324_R_20240101204937d16.jpg
橋の袂のこれは、グーグルマップには道路となっている
DSC04326_R_20240101204937575.jpg
ちょっと右に曲がると見えて来る橋
DSC04327_R_20240101204941da0.jpg
海軍橋
DSC04328_R_20240101204941df0.jpg
橋自体には銘板は着いていない
DSC04329_R_20240101204941bd8.jpg
橋の右側の方が長い
DSC04331_R_2024010120494513d.jpg
橋の欄干
DSC04332_R_20240101204945b99.jpg
ただの丸ではなく面白い形をしている
DSC04333_R_2024010120494800d.jpg
対岸側から見ると右が長い、川に対し斜めに橋を架けているのだろう、車の出入りの為か
DSC04334_R_20240101204948a50.jpg
桜の名所、峯空園(ミネクウエン)、飛行場の練習生入り口の一つだったらしい
DSC04335_R_20240101215854ea3.jpg
中心の小山にモニュメントがある
DSC04336_R_20240101215859c9f.jpg
非常に珍しい海軍マークのマンホールを使ったモニュメント
DSC04337_R_202401012159030f0.jpg
碑文ってのは万人に読める文字にするべきだと思うのは自分だけだろうか?子供にゃ読めん
「太平洋戦争中 峯山海軍航空隊 飛行場ここにあり 生命を課する飛行作業をはじめ隊生活のなかに 青春のありかを求めた 多くの若者達によって 幾たびも幾たびも 踏まれたマンホール 忘却の彼方に 時代は移りゆくとも 哀しき戦いの証人として いついつまでも桜の園に 平和の希いをこめて 久遠の足音を響かせん」
DSC04338_R_20240101215903836.jpg
止水栓とかは山ほど見たが、マンホールってのは海軍陸軍共に殆ど見ない
DSC04339_R_20240101215907c9e.jpg
引き手部分はちゃんと稼働する
DSC04340_R_202401012159070c8.jpg
戻りしな橋の下を見ると、この石垣も当時の護岸なんだろう
DSC04342_R_20240101221740317.jpg
残りの遺構はここを起点に考えると、廻りやすいだろう
DSC04343_R_20240101221744c60.jpg
スシロー駐車場横の路地を入って行く
DSC04344_R_2024010122174481e.jpg
アスファルトが切れると当時の暗渠の蓋となるコンクリートが敷かれている
DSC04345_R_202401012217480bc.jpg
規則的に穴が開けられている穴は、平坦な飛行場の水はけを良くするために開けられた排水溝
DSC04346_R_2024010122174851d.jpg
住宅の前辺りに海軍マンホールがある
DSC04349_R_202401012217525ac.jpg
思わず一つ貰いたくなる様なマンホール
DSC04350_R_202401012217521ad.jpg
当時のままのオリジナル位置だろうが、現代と違ってマンホールの間隔が長い
DSC04351_R_2024010122175586b.jpg
暗渠はまだ続くが、マンホールはこの1ヵ所のみ
DSC04352_R_20240101233639db4.jpg
スシロー前のメイン通りに戻る、この道路は嵩上げされているので、暗渠は消えるが道路を跨ぐと復活する
DSC04353_R_2024010123364399a.jpg
暗渠自体はあるが、マンホールは見当たらない
DSC04354_R_202401012336430c7.jpg
ワンブロック分一つも無かった、道路を渡り暗渠は続く、実は交差点にあって埋まっているのかも
DSC04355_R_202401012336467dd.jpg
更に歩いて行くと峯山海軍航空隊第4格納庫に近づく
DSC04356_R_202401012336469ed.jpg
ここでやっとマンホール登場
DSC04358_R_20240101233647bd9.jpg
メインの車道では無いので、すり減りとかの悪影響は無い様だ
DSC04359_R_2024010123364908b.jpg
約2ブロック分間隔が開いている、家一軒に一つのマンホール状態の現代からは信じられない間隔だ
DSC04360_R_20240102095230e13.jpg
格納庫の正面、外見は当時は板張りだが鉄板を貼られている。入り口の扉は改修され封鎖、吉村機業新町工場が使用している
第一第四は木造で、第二第三は軽量鉄骨構造製(13機格納)だったそうだが、木造格納庫の方が大型だ
ちなみに軽量鉄骨構造製の格納庫2棟は終戦の年の大雪で倒壊している。
DSC04364_R_20240102095234356.jpg
第四格納庫は最も北にあり、近くに軍民境界壁と言われる壁がある
DSC04361_R_20240102095234215.jpg
入口手前には当時風の瓦屋根や下見板が貼られている建物がある
DSC04365_R_20240102095237acf.jpg
この様に格納庫に直接接続しているので、戦後の建物だろう。格納庫が開かなくなる。
DSC04367_R_20240102095237782.jpg
格納庫を右後方から眺める、ほぼ正方形のようだ
DSC04368_R_20240102095237f95.jpg
後ろ側にはコンクリートの小屋がある
DSC04369_R_202401020952392f3.jpg
格納庫側面には川が流れ、石垣も当時の物だろう
DSC04371_R_2024010209524261d.jpg
一部金属が付いている所もある
DSC04373_R_202401021112292fd.jpg
付近にも古そうな建物はあるが、戦後の物だろう
DSC04374_R_20240102111233814.jpg
格納庫を回り込んで行く
DSC04375_R_20240102111233607.jpg
格納庫左側は駐車場となり、殆ど見えない
DSC04378_R_20240102111237161.jpg
正面に戻る
DSC04377_R_20240102111233b37.jpg
小屋の壁面の貼り方が横から縦に変わっているが、修理でもしたのだろう

上世屋海軍特設見張り所

DSC04260_R_20240101161358d4b.jpg
世屋高原口交差点を曲がる(この戦跡はグーグルマップにポイントされているので迷う事は無いだろう)
DSC04261_R_20240101161401a25.jpg
ここから農道に入るが軽トラ道だ(自分はここでレンタカーを置いて行く)
DSC04262_R_20240101161401b45.jpg
1分も歩くと左側にコンクリート倉庫の遺構が見える
DSC04263_R_20240101161405abe.jpg
ここに行ったのは9月だったが、これは見付けるのは容易だった
DSC04264_R_20240101161405d45.jpg
内部を覗くと天井は木製だったのだろう、無くなっている
DSC04265_R_20240101161405004.jpg
左側を見る、窓が高く小さい
DSC04266_R_202401011614073df.jpg
正面方向には窓が二つ
DSC04267_R_20240101161410295.jpg
上を見上げると、コンクリートの厚みはソコソコある
DSC04270_R_20240101161410e1b.jpg
足元にはいくつもの通気口がある
DSC04273_R_202401011648462ec.jpg
コンクリート敷きの道路を更に1分行くと、笹薮と雑木林の境に出る
DSC04274_R_20240101164849883.jpg
手前の笹薮の中に
DSC04275_R_20240101164849fd0.jpg
水槽の遺構が隠れているが、藪に入って探さないと見えない
DSC04276_R_20240101164851027.jpg
アンカーの入ったコンクリート製の基礎はソコソコ大きさはあるが、高さが無いので見付けにくい
DSC04278_R_202401011648543f1.jpg
道は一時消えてしまうが
DSC04280_R_20240101164854593.jpg
すぐにまた復活する
DSC04279_R_20240101164854078.jpg
左側には雑木林と化した平坦地があるが、耕作放棄された農地かも知れない
DSC04281_R_20240101164858db3.jpg
獣ワナのある所で、右に消える道と
DSC04282_R_202401011648581ac.jpg
左の平坦そうな道から登る斜面になる
DSC04283_R_202401011703510b5.jpg
何となく道っぽい場所を登るがハズレっぽい
DSC04284_R_202401011703555a1.jpg
前の2つの遺構はグーグルマップにピタリと嵌っていたので、マップを見ながら直線的斜面を登る
DSC04285_R_202401011703574cb.jpg
この笹薮が絡まり見難く歩き難い
DSC04287_R_2024010117040102e.jpg
頂上に近づくと、何か見えた
DSC04288_R_20240101170401f6b.jpg
ドンピシャで到着した、グーグルマップすごい!
DSC04289_R_20240101170400de2.jpg
コンクリート物件は、地下壕と違って見付けやすくて助かる
DSC04290_R_20240101172235d5b.jpg
外周は藪が酷いので、中に入る
DSC04291_R_2024010117223810d.jpg
ここは特設見張所指揮所兼探照灯となっているが、この台座が探照灯台座とは室内なので思い難い
DSC04294_R_202401011722406d7.jpg
発電機台座と電路とかでは無いだろうか、探照灯は屋上か屋外と思われる
DSC04293_R_20240101172238ae5.jpg
左側には窓と通気口が下の倉庫と同じようにある
DSC04295_R_20240101172243797.jpg
窓から首を出して見るが、屋上に登る術は無さそうだ
DSC04296_R_20240101172243bb6.jpg
当然下にも何も無い
DSC04298_R_20240101172247474.jpg
上の窓は異様に高く、事実上正面の窓からしか外部は見張れない
DSC04297_R_20240101172243f61.jpg
入口方向
DSC04307_R_2024010119013455d.jpg
扉や窓部分からは煉瓦が覗いている、通常の煉瓦積み配列では無いので何とも言えない
DSC04306_R_20240101190134091.jpg
扉の丁番らしき金属も入っている
DSC04300_R_20240101190127356.jpg
天井の穴、この規模に通気口は必要ないので電路か発電機の排煙と思われる
DSC04302_R_20240101190130707.jpg
DSC04301_R_2024010119013081d.jpg
壁面にも何かの機器を取り付けていたような金具が残っている
DSC04305_R_20240101190131cb4.jpg
入口の庇か前室の接続部と左手の金属
DSC04304_R_20240101191344568.jpg
足元にも対であるので、屋上に上がる梯子だろう、となると探照灯は屋上だったかも知れない
DSC04308_R_20240101191348361.jpg
登って見たいが庇の反り返しがあり無理だった
DSC04309_R_20240101191348ad4.jpg
施設から歩きやすそうなコースを辿ったらここに出た、これを罠の方に行くのが正解だった
DSC04310_R_20240101191350dec.jpg
倉庫と言われる遺構に戻って来た
DSC04311_R_20240101191353cd8.jpg
良く見ると、明らかに配線の跡と機器を取り付けた跡
DSC04312_R_20240101191353900.jpg
チラホラと金具も出てるし、窓の形状もあり本当にただの倉庫だろうか?

陸軍新井崎砲台(再訪)

DSC04226_R_20231220221044377.jpg
柵ギリギリに天橋立を見ながら伊根に向かう
DSC04227_R_20231220221048023.jpg
新井の棚田に到着、この背面が新井崎砲台になる
前回訪問時の観測所がどうしても気になったのだ
DSC04228_R_20231220221048054.jpg
まずはおさらいしながら見て回るが、今回は人が居てイマイチ気になる
DSC04229_R_202312202210494ea.jpg
便所遺構
DSC04231_R_20231220221052257.jpg
木造の砲具庫
DSC04235_R_20231220221052336.jpg
裏側から見る砲具庫と横にある油庫、斜面にあるのは転がった集水桝
DSC04236_R_2023122022105919c.jpg
そして丸い井戸、上に載っているのは陸軍の境界柱
DSC04237_R_2023122023381967d.jpg
他の境界石もある様だが、民家が近いので諦め、山の方に曲がる
DSC04238_R_20231220233823a87.jpg
前回も来た車道の終端に
DSC04239_R_20231220233826102.jpg
引っこ抜かれた境界石を発見
DSC04240_R_2023122023382922a.jpg
前回見付けられなかった、目印の防三六だ、ここから右の小山に入る
DSC04241_R_202312212032527da.jpg
平坦地から右の登り口を上がる
DSC04242_R_20231221203256a48.jpg
前回の大きな窪地と
DSC04244_R_2023122120325768b.jpg
小さめな窪み
DSC04245_R_202312212032585d1.jpg
角度を変える、砲台なので避難用の蛸壺か?
DSC04246_R_202312212033017ae.jpg
一段下に降りてみる
DSC04247_R_202312212033016c2.jpg
雑なコンクリートの壁が現れた
DSC04248_R_2023122120330174a.jpg
石垣だ、この観測所が気になって再訪した甲斐があった
DSC04249_R_202312212043404b3.jpg
1m程の切れ間があって、また石垣がある
DSC04250_R_20231221204343ac7.jpg
ここに観測所の入り口があったのだろうが、藪化してしまい内部の確認は出来なかった
DSC04251_R_20231221204343ce2.jpg
海側の石垣、発見出来たのでこれで良しとする
DSC04252_R_20231221204346b6e.jpg
付近には入り口を壊した破片が転がる
DSC04253_R_2023122120434973e.jpg
下の地表面まで降りてみる
DSC04254_R_2023122120434925b.jpg
特に遺構らしき物は見つからなかった
DSC04255_R_2023122120565764e.jpg
観測所とは言え、あまり眺めは良くなかった
DSC04256_R_2023122120570116d.jpg
観測所のある小山を眺めつつ撤収する
DSC04257_R_20231221205701526.jpg
車で少し離れると、道端に穴が在る
DSC04258_R_20231221205705634.jpg
車を寄せる所が無く、この写真だけ撮って終わりにしたが、横にありそうに見える

原町陸軍飛行場

DSC02146_R_20240110183904d37.jpg
南相馬市にある陸軍の原町飛行場跡を見に来た、これは第四格納庫基礎
DSC02148_R_2024011018390410d.jpg
昭和11年(1936)11月、雲雀ヶ原臨時飛行場として開隊、ほどなく拡張し原町飛行場として完成し、昭和15年(1940)6月、熊谷飛行学校原町分教所となる。
しかし大戦末期には特攻隊の訓練基地になり、昭和20年2月と8月にアメリカ海軍艦載機に爆撃され、基地機能を失う。
DSC02151_R_20240110183908afc.jpg
当時の格納庫の基礎は、こんな将棋の駒のようなコンクリートを並べて土台にする
DSC02149_R_2024011018390884e.jpg
ここに鉄骨もしくは木材の屋台骨を固定し、ドーム型の屋根を支える
DSC02150_R_20240110183908ec1.jpg
スクリューまで綺麗に残っている
DSC02153_R_20240110183909202.jpg
柱の間の低い基礎は、格納庫の壁となる土台だ
DSC02156_R_20240110183913440.jpg
壁を貼り付けていたモルタルの跡
DSC02145_R_202401101839003da.jpg
格納庫基礎の端っこには、コンクリートの塊がある
DSC02157_R_20240110183912e89.jpg
場所的に格納庫の中に位置しているので道路整備の時にでも移動され、ここに置かれたのだろう
集水桝のような形をしていて、土管状の円筒があるので、排水関係の遺構だろう
DSC02161_R_202401101940533ba.jpg
ネット上で軽く見るだけだと、この部分しか無いように思っていた
DSC02154_R_20240110194049b4b.jpg
しかし奥側にも格納庫基礎が並んでいて驚いた、しかも向こうの方が長い
DSC02162_R_20240110194053dd9.jpg
この時点ではこの空地部分に格納庫が有ったのだと思ったが違った
DSC02163_R_20240110194056fec.jpg
基礎の向こう側は宅地の様なので、空地側から見学する
DSC02166_R_20240110194056928.jpg
形状は同じようだが、角度的な違和感を覚えた
DSC02169_R_2024011019405639d.jpg
こちらは長い分、入り口部分の基礎も残っている
DSC02170_R_202401101940589b5.jpg
回り込むとさっきの集水桝の様な物が横倒しになっている
DSC02175_R_20240110203554863.jpg
この部分のコンクリートは、格納庫前のエプロンとなる
DSC02178_R_202401102035589a2.jpg
ふと見ると、格納庫基礎がもう一組ある
DSC02181_R_2024011020355830a.jpg
どうやら格納庫は民家を覆うように有ったようだ、これは第五格納庫となる
DSC02185_R_20240110203601689.jpg
第五格納庫の中に民家が建っている形だ
DSC02186_R_202401102036015d3.jpg
よく壊さないで残してくれたものだ
DSC02191_R_20240110205400c01.jpg
ふと見ると、民家の端っこに格納庫基礎が一つ見えた
DSC02193_R_202401102054043be.jpg
恐らく塀の一部となり、地権者が関わるので壊されずに済んだのだろう
DSC02196_R_20240110205404d8b.jpg
こちら側と対の第四格納庫となる
DSC02198_R_20240110205404f32.jpg
誘導路と思っていたこの道路は、格納庫の真ん中を通っている
DSC02188_R_202401102053570de.jpg
ここでとのさんがドローンを飛ばす
DSC02190_R_20240110205400e5b.jpg
空撮出来るのは強みだ
fk231126_090209_R.jpg
とのさんの写真を拝借すると、右が第五格納庫、左が第四格納庫で黄色の〇が一つだけの基礎だ
DSC02204_R_20240110210633756.jpg
少し移動すると、空地にコンクリート基礎が有った
DSC02206_R_20240110210637cec.jpg
畑の向こう側にも見える
DSC02211_R_20240110210637a1d.jpg
これは第三格納庫の跡だ
DSC02214_R_20240110210637089.jpg
第四第五とは違う形式の格納庫だったようだ
DSC02219_R_20240110210640c5b.jpg
木造倉庫もあるが、戦後払い下げの跡の建物だろう
DSC02220_R_20240110210640ada.jpg
コンクリート舗装は当時の物

グーグルマップで見ると、こんな感じだ。近くに第二格納庫跡もあるが、墓地になっているので撮影していない
05_R.jpg
へたくそに加工してみると格納庫はこんな感じに並んでいた、長さについては適当だ
DSC02222_R_202401102121524c7.jpg
上図Aの部分にある原町飛行場正門
DSC02223_R_2024011021215205c.jpg
こちら側の門柱は、側溝の上にあり、移動されている可能性あり
DSC02225_R_2024011021215657a.jpg
ヒンジも微妙な位置にある
DSC02224_R_202401102121562fc.jpg
こちら側は袖も付いているのでオリジナルだろう、道路拡幅の為に片方移動したのだろう
DSC02227_R_20240110212159bf2.jpg
まぁ破壊されるよりはマシだろう
DSC02226_R_20240110212159dc8.jpg
後に複製された正門の表札
DSC02237_R_20240110212203de6.jpg
てっぺんはこんな感じ
DSC02231_R_20240110212201373.jpg
門の前に小川が有ったようだが今は水が無い、橋は後のコンクリートだが、石垣部分は当時の物だろう
この川沿いに進みカーブの辺りに境界石が有ったようだが(Bの部分)見当たらなかった
DSC02238_R_202401102153491fa.jpg
この交差点にはロータリーがあり、右手には本部庁舎があった
DSC02241_R_2024011021535242c.jpg
雲雀ヶ原神社、飛行場内の航空神社だ
DSC02242_R_2024011021535374e.jpg
昭和15年(1940)11月3日
DSC02243_R_20240110215355f81.jpg
この石碑の傷は空襲時の機銃掃射痕だそうだ
DSC02245_R_20240110215355e89.jpg
DSC02247_R_2024011021535856e.jpg
DSC02248_R_20240110215358031.jpg
DSC02250_R_202401102153595f5.jpg
C地点の航空神社、雲雀ヶ原神社。